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2010年5月23日 - 2010年5月29日

2010年5月27日 (木)

研究者の世界はいま...

 私自身が大学で研究者として働き、自らの生活を営んできたので、職業としての研究者をリタイアしたいま、あらためて研究者とは何だろうと考えることが多い。

 大学における研究者は、研究や教育を職業としているので、必然的に、研究や教育を通じてその社会に貢献することがその存在意義であるといえる。そういう形の社会的分業を担っているのである。したがって、そのような社会的分業を必要としている社会の構造の一角を成しており、その意味でその社会のあり方やそれが生み出す矛盾と無関係ではあり得ない。

 しかし、他の分業種と少し違うのは、自分がその一角を担っている社会が抱えている矛盾や問題を批判的に検討する(つまりある意味で自己批判をする)ことを通じて、その問題を解決する方向を探索できるという位置にいることである。つまり完全な「社会-内-存在」ではないということである。研究者のこの社会的位置が見失われるとき、社会全体が抱えている大きな矛盾は「問題」として見えなくなり、「内部修正の課題」としてしか受け止められなくなることにより、問題解決のためのパラダイムシフトが出来なくなるのである。残念ながらいまの社会はそうなってしまっているようである。

 例えば、マルクス的社会観から見た現代社会への批判を含む研究にはおそらく文科省の科学研究費はつかない。またそういう立場を前面に出すことは、研究者としての社会的生命を失うことにも通じるのである。したがって「不都合な真実」に関する問題提起や研究成果は正面から取り上げられることがない(ゴア氏のような有名人はまた別格であろうが)。

 もちろんその「不都合な真実」の取り上げ方も問題であろう。できるだけ「客観的」にそして「科学的」に真実を明らかにする必要があるだろう。

 もう一つは、正当な意味での「批判」というものが成り立たない社会になってしまっている、という問題がある。学会発表などでも、権威ある先生の発表には批判が殆ど出ない(出せない?)し、出してもまともに受け止めてもらえないという状況がある。また、「権威」ではなくとも一定のステータスを得た研究者達が、新しい研究を評価する際に、自分達と相反する視点に基づく研究に対しては、「意味がない」とか「価値のない研究」という烙印を押し。闇から闇へと葬ってしまおうとするのも大いに問題である。異質のものをそれとして許容しつつ、それを公開の場でのディスカッションを通じて研究を進展させていくというのが「研究の本道」ではなかろうか?

 これらは日本の学会特有の現象であるかも知れないが、多くの海外での生活・研究経験のある若手研究者がいるにも関わらずそうなっているのは一体なぜだろう?わが国では、批判は「非難」や「ケチ付け」と殆ど同義と考えられているようだ。しかし、正しい意味での批判こそが、学問の進化をもたらすのであって、批判なき学会では、研究そのものが停滞し、形骸化していく。

 もう一つ研究の形骸化の大きな原因になっているのが、いまの若手研究者の置かれた状況である。彼らは、助教→准教授→教授、と昇格していくために、何よりも研究業績が要求される。そしてその研究業績は、ある分野の権威ある教授たちが仕切っている分野で評価されねばならない。しかも研究業績では発表論文数がもっとも大きな指標となる。したがって、若手の研究者は、それらの権威ある教授達の仕切っている学会で評価されやすい研究をできるだけ多く発表しようとする傾向が強くなる。当然のことである。

 そして、その結果、研究発表件数はどんどん増え、研究発表会は盛況になり、科研費を受ける若手研究者もどんどん増えていく。それにも拘わらず、社会全体から見ると、もっとも研究されなければならない問題がいつも空白域として残され、時代に乗った研究だけがもてはやされ、若手研究者の目はほとんど皆そちらに向いてしまう、という状況になっている。

 これでは、現実に巨大な矛盾に直面している今日の社会をまともに見据え、問題の根源をえぐり出すことは難しい。こういうことを訴えると、たちまち「実践性のない批判ばかりしている偏屈なじじい」というレッテルを貼られてしまいそうであるが、べつにそれでもかまわない。この巨大な矛盾を前にしてそれほど簡単に「実践的提案」など出せるはずがないのだから。先ずはそれがどれほど大きくかつ深い問題であるかという自覚を持ち、そこから少しずつ解決の糸口を探し出して行かざるを得ないのであるから。

 職業的研究者の立場はすでに数年前にリタイアしたが、研究そのものには終わりはない。年齢や病気によって頭脳が最終的に破壊されるまで、私は研究者のはしくれとして問題提起をし続けるつもりである。

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2010年5月23日 (日)

不採録になった論文

 ある学会誌が今年の秋に「デザイン学」特集を出す。私は久しぶりに、翳んだ視力に悩まされながら投稿論文を書いた。その内容は以下のファイルを参照いただきたい。なお、このファイルの文字コードはShift-JISである。
ダウンロード unacceptedpaper2010.txt (39.8K)

 投稿してから待つこと4ヶ月、学会の特集号編集委員会からの査読結果は「不採録」であった。
 不採録となった理由は、一人目の査読者によると、「本論文は,3つの問題を指摘しているが,そのいずれもが問題の指摘にとどまっており,その解決策について具体的な提案と実践がない.また,3つの問題は,本特集の編集意図にそぐわない,あるいは,誤解に基づくものがあり,あえて,論文として掲載するほどのものではない.以下,具体的に述べる.職能としてのインダストリアルデザインを議論の出発点にしているが,まず,なにゆえに,職能としてのインダストリアルデザインに注目しているのか,不明確である.日本語では「デザイン」が職能としてのインダストリアルデザインと密接に関係しているから,と記述されているが,本特集号では,「デザイン」をそのように用いていないことは明らかである.なお,事例として,インダストリアルデザインの実態を紹介するのは,本特集号にとって有意義なことであるが,論文に記載する事例紹介としては,その記述が曖昧である.9頁から数頁にわたって紹介されている内容は,おそらく著者の経験か経験者からの伝聞に基づくものであろうが,その記述の根拠がない.職能としてのデザイン行為を一般化すると,社会制度の議論にいきつくと述べているが,それは職能としてのデザインに限ったことではなく,生産活動一般に当てはまることであろう.現在,サービス工学/科学など,新たな生産形態が模索されており,本論文も,生産活動のあり方に関する新たな視点を提起しているといえようが,その視点に基づいて著者が行った具体的な研究成果の紹介がなく,説得力に欠ける.」というものであった。
 また、同じ査読者は次の様なコメントを附している「冒頭に,「デザイナーとしての教育を受け,デザインの領域に長年軸足を置く著者の視点からみて,いくつかの問題点が見えてくるので,ここでそれについて若干意見を述べようと思う」とありますが,学術論文では,著者の経歴は全く関係ありません.また,学術論文は「意見をいう」場でもありません.たつべき視点を明確にし,それに基づいて議論を展開するものだと思います.学術においてはどの視点をとるかは自由であると思います.自分とは異なる視点に対して,その視点をとること自体を,詳細な検証なしに評価し批判することは慎むべきことだと思います」。

 そして二人目の査読者による不採録の理由は、「まず2章において、デザイン研究の難しさを3つの視点から述べています。しかしこれら3つの視点は、○○科学の研究者ならば当然認識している事柄であり、目新しさはありません。さらに、本論文でこれらの問題提起をした以上、何らかの結論もしくは方向性を示すべきではないでしょうか? しかし本論文においてはそれがなされていません。3章では、ケインズやマルクスを引用しながら、経済思想史的な観点からインダストリアルデザイナーの職能としての本質を明らかにしようとしています。しかし本論文においてこの議論が本質的だとは思えません。本章での結論が、10ページで述べられているように、インダストリアルデザイナーは無駄の生産と環境破壊やエネルギーの枯渇を促進している、というのではあまりに単純化した議論ではないでしょうか? さらに、13ページにおいては、デザイナーの意図は、彼を雇った資本家の意図であると述べています。議論の成否は別として、「○○科学」においてはあまり意味のない議論だと考えます。さらに、14ページにおける、資本主義と社会主義に関するナイーブな議論も同様だと考えます。本論文において、特に問題だと考えるのは、3章までの議論と4章以降の議論が乖離していることです。4章では、デザイン思考を議論するために、サイモンのシステム論的手法や吉川弘之の一般設計学、アレグザンダーのパタン・ランゲージなどをサーベイしています。議論自体に新たな視点はありませんが、何よりも3章までの議論との乖離が大きく、読んでいて疑問を感じてしまいます。4-2節、4-3節の創造性および創造的デザインの一部の記述には査読者も同意する部分がありますが、「発見」、「あたため」、「気づき」に関する議論もこれまでの発想支援研究や創造性支援に関する研究で十分に議論されてきた事柄です。
最初にも述べましたが、本論文は展望論文であるため、本分野の研究を独自の視点でサーベイし、「○○科学」の読者に対して有益な展望を示す必要があると考えます。しかし本論文ではこの目的が達成されていないと判断いたしますので、残念ながら「不採録」と判定させていただきます。」とのことであった。

 著者としてはこれらに対して何のコメントもせず、ここに敢えてそのまま掲載させて頂くことにした。

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