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2010年7月4日 - 2010年7月10日

2010年7月 9日 (金)

職能としてのデザイナーの労働と労働過程一般におけるデザイン的側面との関係

「デザイン学会に参加して(その3)」において述べたことを、さらに一歩深めて考えてみよう。

 度々マルクスが出てきて「うざったい」かもしれないが、資本論 第一巻 第三編「相対的剰余価値の生産」の中の、第11章「協業」第12章「分業と工場手工業」第13章「機械装置と大工業」という部分で、マルクスは今日われわれが「あたりまえ」と考えている(思い込まされている)、資本主義的生産様式に特有な労働形態の仕組みがどのようにしてできあがってきたかを詳細に述べている。ここは資本論の中でももっとも分かりやすい部分なので、ぜひ読んで欲しい。

 その中で、マルクスが目の前に展開する現実の中で、「自分のものではない労働」において、資本主義社会を支えなければ生きてゆけない労働者の矛盾と悲惨な状況を否定的にとらえ、なぜそのような生産の仕組みが登場したのかその歴史的経緯を明確にしながら、本来の労働過程とは、こういうものであるはずだ、として抽出し得たのが、前回で引用した労働過程の記述である。川添登は、デザイナーが資本主義生産様式特有の職能であることに気づいていなかったので、それをそのままデザイナーの理想的姿としてとらえるという決定的な誤りを犯したのである。当時はデザイナーが文明の形成者である、という主張が声高に語られた時代である。

 歴史的に言えば、デザイナーとは、直接的生産過程における労働過程が資本家的形態に分断される(例えば生産ラインで働く非正規雇用の労働者の労働がこれである)ことによって失われた、生産的労働者自身が生産物全体の姿をあらかじめ描き出す能力(資本主義生産様式以前の職人的労働にはこれが含まれていた)を、資本家の商品生産の意図として代行し、生産物全体の姿を描き出すことを専門的内容として登場したといえる。

 つまり、最近の「デザイン学」云々で述べられている、「構成的思考(これもすでに1940年代に三木清が「構想力の論理」という本の中で述べている)」や「未来を先取りする思考」などというICSIDなどで飽きるほど繰り返された「デザインの定義」は、現実の労働の中では、社会的生産労働のすべてをさまざまな分業形態において支配している資本家たちによって、直接的労働において労働者から奪い去られた生産の目的意識が、彼らにおいては露骨な商品市場での競争と常に商品市場の動向に左右される無政府的本質を持っていることを覆い隠すために持ち込んだ空想物語に過ぎず、それを「デザイナー」という職能の理想的姿として職能主義的(デザイナー至上主義的)な観点から持ち込んでいるに過ぎない考え方なのである。

 実際のデザイナーの労働とは、資本が自ら所有する生産手段と、それを稼働させ剰余価値を生み出させるために必要な労働力の獲得によって初めて生産される、商品の全体の姿を、資本家の意図に沿って、資本家に代わってあらかじめ考え出すことが使命なのである。その意図の本質を一言で言えば「売るためのデザイン」なのである。

 そのような資本主義社会特有の職能としてのデザイナー(デザインの専門性)と、それを否定し、労働者階級が社会的生産を自ら直接コントロールできるようになって初めて労働者階級全体が獲得できる能力としての、労働のデザイン行為的側面とを、同じ地平でとらえることは不可能なのである。職能としてのデザイナーの仕事がもつ矛盾を、その職能を生み出した資本主義生産様式の本質的矛盾の「内部」で克服しようとすること自体が矛盾であり、それに基づく「デザイン学」や「デザインの定義」は、所詮、絶対に実現できない空想物語を語る無内容な「研究」以外のなにものでもない。

 現代のデザイナーは、確かに現代の生活文化を生み出すことに寄与してきたし、その中で多くの「傑作」と言われる商品を生み出してきた。それは20世紀後半の資本主義社会特有の、その典型的生活スタイルを生み出したといえる。しかし、その職能が持つ本質的矛盾がさまざまな形で噴出していることを覆い隠してないけない。

 例えば、前にも何度か述べたように、マルクスの時代とは異なり、産業資本が金融資本に呑み込まれ、労働者階級が日々の労働から生み出したにも拘わらず、資本家がそれを独占的に所有する剰余価値による莫大な資本蓄積が、過剰資本として資本主義的生産を圧迫し窒息させないようにするため、絶えず新たな消費を大量に生み出していかなければ経済体制が維持できないという社会になってしまっている現状がある。その中で、絶えず、新たな消費を生み出すために、デザイナーの「創造力」が「消費」されているのであって、それらの過剰資本処理のための膨大な無駄の生産総体の結果が、膨大なエネルギーの浪費とそれによる地球規模での資源の枯渇と自然破壊、気候変動をもたらしているのである。

 もちろん、その責任はデザイナーにあるわけではなく、デザイナーという職能の労働をそのような形で剰余価値創出のために生みだし、使用する資本主義的生産様式全体の矛盾が問題なのである。

 こうした事実を基盤にしてデザインの問題を考えることこそいまわれわれにとってもっとも必要なことであるといえるだろう。

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2010年7月 7日 (水)

デザイン学会に参加して(その3)

 そこで、まず、われわれの住むいまの社会全体がどのような分業種によって構成されているかを考えてみてほしい。おそらく膨大な種類の分業種によっていまの社会全体を支える労働が成り立っていることに気づくであろう。しかもその分業種は常に変化し、あるものは短命に終わり、別の新たな分業種に取って代わられ、また、あるものはずっと続くという具合である。その中で、デザイナーという職能は名前は同じであってもその労働内容がどんどん変わってきた分業種の一つといえるだろう。

 しかし、なぜ、これほど労働内容が変化してもそれを「デザイナー」という名前で括れるのかを考えてみよう。それは、「広義のデザイン」と言われるものの内容が、人間の普遍的な労働過程の中核を成す特徴であるという事実から来ているといえるだろう。

 マルクスが、19世紀産業資本主義特有の形に細分化され分断された労働の形を批判的にとらえることにより初めて、普遍的な、つまり資本主義社会の中で失われてしまった本来の労働過程として抽象することができた、労働過程の内容に関する次のような叙述を思いだそう。「われわれは、労働がもっぱら人間にのみ属するばあいの形態における労働を想定する。蜘蛛は織匠のそれに似た作業をなし、蜜蜂はその蝋房の構造によって、多くの人間の建築師を顔色なからしめる。しかし、最悪の建築師でも、もとより最良の蜜蜂にまさるわけは、建築師が蜜房を蝋で築く前に、すでに頭の中にそれを築いているということである。労働過程の終わりには、その初めにすでに労働者の表象としてあり、したがって、すでに観念的には存在していた結果が、出てくるのである。彼は、自然的なものの形態変化のみ引き起こすのではない。彼は自然的なもののうちに、同時に、彼の目的を実現するのである。彼が知っており、法則として彼の行動の仕方を規定し、彼がその意志を従属させねばならない目的を、実現するのである」(資本論 第一巻 第三編 第5章 第1節より)このくだりは、かつて1960年代に川添登が「デザインとは何か」の中で引用している。

 しかし、マルクスは、このような普遍的な労働過程が現実の資本主義的生産様式における労働者の労働としてそのまま実現しているなどと言っているのでは決してない。このことはきわめて重要である。いまデザイン学会などで取り上げられている「デザインとは何か?」あるいは「デザインの学とは何か?」という設問を考えるとき、現在のデザイン労働の中で人間の普遍的な労働過程がそのまま実現しているかのようにとらえ、それをデザインの「定義」としてみても何の意味もないばかりか、それは虚偽であり、もっとも重大な問題から目をそらせる効果しかないのである。

 現実のデザイン労働の中で、どのような形で、普遍的人間労働の過程が分断化され、そこから基本的な労働の目的意識がどのように奪い去られ、その目的意識をあらゆる種類の労働(分業)の中で共有するための仕組みがいかにして奪い去られているのかを明らかにしない限り、「広義のデザイン」の定義は欺瞞の理論でしかなくなるのである。

 だから、職能としてのデザイナーが現実の労働の中で、なぜ必要もないモノを次々に「必要化」させられ、それによって社会的には無駄な消費を拡大させられ、そのためにデザイナーの創造力が「消費」され、地球規模での資源の枯渇と自然環境悪化に寄与させられているのか、という重大な問題が無視されるのだ。しかも、「デザイン学をデザインする」のセッションである先生がおっしゃっていたようにもし、「誰でもデザインしている」のであれば、デザイナー以外の他の労働分野で働いている人々はなぜ自分たちがデザイナーだとは思っていないのか、どうしてデザイナーだけが「クリエイティブ」な仕事を独占しているかのように思い込まされているのか、などなど重大で本質的な問いかけがなされないままに、「デザイン学」が論じられているのである。

 こういう状況こそがデザイン研究の危機をもたらしているのであって、それに気づくことこそがいまわれわれに課された最大の課題ではないのか!!!

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デザイン学会に参加して(その2)

 かつて、1965年頃、私がT大学で小池新二教授の研究室の大学院生だった頃から、彼は「デザインとdesignは意味する内容が違う。designは意匠という意味だけではなく、もっと広い意味での計画・企画的な内容も指している」と言っていた。

 当時は、高等工芸系の先生方が反小池グループを作って、こうした彼の思想と対抗していた。そこで小池氏はT大を定年退職後、九州に新しい大学を作って、そこで彼の理想を実現しようとしたのである。その結果についてはここでは述べないが、その後時代の変化は小池氏の理想とは異なる方向へ進んだといえる。しかし、今頃になって小池氏の主張が亡霊のように再登場したようである。

 もともと1920年代にアメリカに登場し、1930-50年代を中心に活躍したインダストリアル・デザイナーという職能は、その仕事の範囲がまさに「口紅から機関車まで」というように、あらゆる工業製品に及んでいたので、小池氏のような考え方は当然出てきておかしくなかったのである。いったん、こうした状況が生まれると、それまで「図案」「意匠」「家具木工」「陶芸」などというそれ以前からあった職能が「デザイナー」という職能のカテゴリーに組み込まれることとなったのである。

 しかし、その後、特に日本においては、産業別のインハウス・デザイナーという形態が定着したため、実際のデザイナーの労働(仕事)内容は、デザイン対象別に、分化したのである。例えば自動車企業のデザイナー、家電企業のデザイナー、カメラ企業のデザイナーなどなどである。

 そして、1980年代以降には、電子工学関連の技術が急速に進展し、コンピュータ関連機器や電子回路を含んだ新しい機器が急速に増えた。そのため、機器の機能は電子的に制御されることが多くなり、製品の形態はメカニズムの制約から解放され(つまり「形態は機能に従う」という機能主義のテーゼが成り立たなくなった)、操作部分を主としたインターフェースのデザインが工業デザイナーの労働内容で大きな位置を占めるようになったのである。

 1990年代になると、コンピュータ技術がそれを基盤としてネットワーク化の方向をたどり、インターネットの急速な普及を通じて社会の情報通信網を大きく変革していったのである。

 それに従って、いわゆるホームページ(Web site)が大きな役割を果たすようになると同時に、インターネットによる広告が広告産業を基盤とする商業資本の大きなドル箱になっていったのである。そこでWeb designが、デザイナーという職能の中で大きな位置を占めるようになった。ここではすでに工業デザイナー、グラフィックデザイナーという職能の区別は意味を成さなくなったのである。

 このため、デザイナーを育成する役割を持った教育機関では、次々と「時代の要請」の急速な変化に従って、教育内容を変化させざるをえなくなったのである。そこでは、さまざまな領域で異なった内容の労働をする「デザイナー」という名前の職能に共通する要素を抽出してそれを理論の中心に置こうとする動きが当然出てきたと考えられる。

 これがかつての小池教授が唱えていた内容とよく似た内容で、再び「広義のデザイン」とか「一般設計学」(これは吉川弘之教授が1970年代に、当時台頭してきた設計方法論という流れの中で生み出した理論である)の再把握という形で登場する理由であるといえるだろう。しかし、いまや1960年代とは全く異なる背景においてである。

 だから、現場で働くデザイン労働者にとって、日々こなさなければならない仕事と、大学で教わる「広義のデザイン」との間のギャップはあまりにも大きく、当惑せざるを得ないのは当然である。

 そこで次の(その3)では、この「広義のデザイン」と現実のデザイン労働のギャップが何を意味するのか、という問題について考えてみよう。

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2010年7月 6日 (火)

デザイン学会に参加して(その1)

 7月3日〜4日に、上田市の長野大学で行われたデザイン学会研究発表大会に参加してきた。今年は久しぶりに、私自身の発表はせず、聞き手に徹した。

 今回はその中で、オーガナイズド・セッションとして「デザイン学のデザイン」という催しがあり、聞いてみたので、3回に渡って、その感想を述べてみよう。

 6人のパネリストがそれぞれの専門の立場から、「広義のデザイン」を前提としてデザイン学について自分の考えを述べた。

 最初のM先生(芸術工学)は、技術の人間化、という視点から感性と工学の融合を図ることを主し、具体的には「課題提案型」の生活を模範として開発するデザインを目指し、「実践型」の学としてデザイン学を成立させたい、と述べた。

 次のS先生(情報デザイン)は、いまさまざまな領域で、デザインすること、創造すること、シンセシスに関心が寄せられているが、それぞれの専門からの視点で捉えられており、それに対してデザインの専門からはあまりそれにふさわしい視点による見解が出ていない。デザインが自分自身を説明する論理を持つべきである、と述べた。

 3番目は、N先生(人工知能学)は、H.サイモンの「人工物の科学」に触れ、広義のデザインという意味では、だれでもデザインをしているのだが、その方法は自然科学の方法ではなく、構成的である、と述べた。

 4番目のF先生(建築)は、「デザイン対象を限定しないデザインについて考えることは可能か?」という設問を立てた上、それは「デザイン知」について考えることに他ならないとする。その上で、その方法は科学的方法と同じだが、その生成物が異なるのだ、と主張した。

 5番目は、本人欠席でビデオ出演のS先生(認知科学)で、認知のあり方そのものを背後で左右しているメタ認知の問題を取り上げ、それをデザイン学の視点から研究対象にしたいと述べ、その視点から見たデザインの状況依存性の問題を取り上げ、「エッセイを書く」という行為をひとつのデザイン行為として研究していると述べた。

 6番目は、N先生(デザイン創造論)で、デザイン学を研究するには何はさておき、コミュニティーが必要であると述べた。

 その後、司会のT先生(機械工学)が会場から質問を受けた。すると一人の若者が手を挙げて質問した。彼はS先生の指導の下で情報デザインを学び、ある電子機器製造会社にデザイナーとして就職したが、会社に入ってみると、まわりのデザイン系でない人たちもみな、「情報デザイン」的なことをやっている。むしろ彼らはシステムエンジニアとして僕らより優れた専門性を持った上で、情報デザイン的な仕事をやっている。そこで自分の専門性がいったい何なのかさっぱり分からなくなってしまった、と述べ、どの先生でも良いので教えて欲しいと質問した。

 これに対して、まずF先生が応え、デザイン行為のループの中での仕組みを作ることがデザイナーの役割だ、と応えた。次にS先生が、デザインの専門性はその対象物で決まるという図式は崩壊しており、新しい仕組みを作ることが仕事だ、と述べた。最後にN先生(人工知能学)が、デザインの通常の仕事をinnovationとしてではなくimprovementとして考えることが必要だ、と述べた。

 若い質問者の疑問は、いまの職能としてのデザイナーの位置と大学の研究教育でのデザイン学のとらえ方との間にある重大なギャップを突いているのである。しかし、それに対して先生方の方からは的確な回答はなかったと考える。

 さて、私は、ここで言っておきたい。それは、もう10年以上前から私が主張しているように、「広義のデザイン」と言われるものと、職能(専門性)としてのデザイン(狭義のデザイン)は異なる視点で捉える必要があり、その上で両者の関係を明らかにすることこそが、「デザイン学」にとってもっとも必要なことなのだということである。

 その理由を(その2)(その3)で述べる。

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