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2010年8月15日 - 2010年8月21日

2010年8月20日 (金)

「正論を疑え、正解とは限らない」

 この表題は、実は電車の中で見た缶コーヒーの広告のコピーである。最近の広告コピーはなかなか手が込んでいてそれなりにおもしろい。このコピーは結局はある缶コーヒーメーカーが、その比較的強い香りを売り込み、それに混迷する現代社会の中を強く生きるための心構えを重ね合わせて表現しているのだ。

 そのコーヒーがうまいかどうかは別として、その広告に写っているある男優のニヒルな顔つきとこのコピーの取り合わせは、私にもある種の共感を感じさせた。そう、まさにいま「正論を疑え、正解とは限らない」ことを肝に銘ずべきときなのだ。

 一方で資本家を中心とした経済成長神話があいかわらず継続し、他方でそれに対して脱成長(デクロワサンス)が唱えられ、一方で商業マスコミが政治家たちのスキャンダルや派閥争いを大げさにそして無責任に騒ぎ立て、「一般大衆」はそれによって右往左往して選挙の投票相手を変えたりし、他方ではそれに対して何ら的確な方向を示すことができる政党も論者も出てこないという混沌状態が、現代の風潮であろう。

 そこで「正論」という立場を前面に出してきている論説なり見解は、ひとまず疑ってみる必要がある。その理由は、まず第一に、そこに論述されている見解の内容が、すでに使い古されてしまった世界観や価値観の焼き直しや、単なる「うらがえし」ではないかと言うこと。第二に、それを「正論」と感じる受け手の側が、そのような復古的な、言い換えれば既成の世界観や価値観を無意識のうちに自分の心の拠り所にしてしまっていることが多いのではないかということである。

 いま必要なことは、すでにあらゆる場面でほころびやボロが目立ち、病んで膿が噴出している世の中の仕組みを変えることであり、その仕組みを支えている「時代精神」の矛盾を見破り、そのためには同時に、自分自身の持つ価値観や世界観の「常識」を変えることが必要である。一体何が正しいのか、何が間違っているのかを見定めようとする努力が必要である。深く考えないで「自分の感覚(かっこいいとか、なんとなく嫌いだからといった)」に頼っていたり、マスコミなどの流布する「世論」に頼っていてはだめである。

 もちろん「正論を疑え、正解とは限らない」は、極端な場合、「すべてを疑え」ということにも通じ、懐疑的でニヒルな感覚に陥る危険性もあるので気をつけなければいけないが、とにかく思想的な自立が必要なのである。そしてその思想的自立の過程で、表面的には「あたりまえ」あるいは「当然」として常識的に受け止められていることの中に潜む重大なごまかしや偽りがあることを見抜く力を持つことが必要なのである。

 まず自分の頭で考えよ!その努力なくして、どこかの政党にすべてを任せているようでは、絶対に世の中は変わらないのである!

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2010年8月18日 (水)

TVドキュメンタリー「食材生産体験」

 昨夜のNHK 衛生第1Chでやっていた表記の番組はなかなかおもしろかった。

 イギリスの中流階層の若者数人が自分たちが日頃食べているツナ缶の生産現場に体験留学し、そこの生産現場の人たちと一緒に生活し、労働をするという話である。現場はインドネシアのある町にあるヨーロッパ向けツナ缶を生産している工場である。

 彼らはまず、工場に勤めている従業員の自宅に行って、その住み家の貧しさに驚く。そこで寝心地の悪い一夜を過ごしてから、翌朝早く起こされ、彼らはツナ缶工場に向かう。そこで出会った現場監督から厳しいルールを聞かされ、まず訓練場に行く。そこで目にしたのは、まずカツオをさばいて、ゆであがったカツオの皮をむき血合いを取って、身の部分だけを取り出す作業である。

 イギリス人の女の子たちは、まずカツオのはらわたを出す場面で吐き気がしてしまう。そして蒸し暑い工場の中での最初の作業であまりのしんどさに彼女のうち一人は卒倒してしまう。その後で、彼らがカツオのさばき作業に適性があるかどうかのテストを受ける。そこで彼らの仲間うちの一人の男の子がインチキをやっているのを同じイギリス人の仲間が発見し、喧嘩になる。

 結局男の子らは作業を妨害する恐れがあるという理由で外され、カツオ漁船に乗せられる。数時間の航行で小さな漁船にすし詰めの漁師と一緒にごろ寝をして漁場に着いたときは彼らはすっかり船酔いでふらふらになっていた。しかし気を取り直して現地人の漁師と一緒にカツオの一本釣りを始める。漁師たちはものすごい勢いで釣り上げるのに彼らはたった2匹しか釣れなかった。

 一方ツナ缶工場に残った女の子たちはきつい作業で厳しい評価をされながらクタクタになるまで作業を続け、また翌日も同じようなきつい作業が続いた。

 その間、彼らは現場の労働者やその家族たちとその生活や人生観について話し合う。そして最後にイギリス人の若者たちは、賃金をもらう。それはイギリスでは1時間の賃金よりも安い金額だった。彼らは別に賃金が目当てで来たわけではないので、町でスナックやお菓子を買って、その残りのカネを従業員で世話になった女性にあげてしまう。すると、そのインドネシア人の女性は感激して泣きだしてしまうのである。そして「お金はとっても大切なものです」と言う。

 最後にこの体験学習を終わって、帰国するかれらの一人は、「あんないい人たちなのに、あんなに搾取(日本語に翻訳されていたが確かにこう言っていた)されているなんて許せない。僕はイギリスでツナ缶を安く買っていたが、これからはもっと高く買ってでも彼らの生活の足しにしてあげたい」と。

 これが日本の若者であってもきっと同じ思いをするに違いないと感じた。これが現実なのである。われわれが日頃比較的安い食材として食べているものを生産している人々はこういう労働をし、こういう生活をしているのである。日本やヨーロッパの労働者階級が比較的リッチな生活を営めるのも、こういう人たちの厳しい労働と生活があるからなのだ。そしてそのインドネシア人の女工たちは、これでも自分たちはちゃんとした仕事にありついているのだからありがたいと言っていた。つまり彼女たちは、さらに自分たちの生活より厳しい状態で生きている人たちの労働によって、ヨーロッパ人の労働賃金の何十分の一かの労賃でも必要な生活手段をなんとか買うことが出来るのである。

 マーケットでの価格競争の背後で、世界にはこのような人たちが何億人いもいて、われわれの生活のもっとも必要な生活資料を生み出しているのである。そしてわずか数十人かの人たちに、天文学的金額の富が集中し、彼らはさらなる利益をあげるために「国際競争」を繰り返しているのである。これが資本主義社会の「高度成長」の帰結である!

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