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2010年11月21日 - 2010年11月27日

2010年11月26日 (金)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(3)絶え間ない買い換え需要の創出

(前回からの続き)

 このように、巨大になりすぎた資本が過剰資本の圧迫から逃れるために、労働者の生活資料商品生産にかこつけて湯水のごとく資源やエネルギーを消費しながらそれによって過剰資本を消尽させながら、同時に資本蓄積を拡大成長させて行かざるを得なくなった20世紀後半特有の矛盾に満ちた資本主義経済体制の中で、それにふさわしい生活文化の形が生まれた。それは生活資料商品の多品種化と奢侈品(贅沢品)化そして広告産業とレジャー産業の隆盛を促進させる文化である。まず我が国でのその歴史を顧みてみよう。

 戦争で壊滅的打撃を受けた日本の資本主義経済が、労働運動の盛り上がりや東西冷戦が進む中で、朝鮮戦争の特需をきっかっけに、ケインズモデルを基礎としたアメリカ型資本主義を手本とした戦後型の資本主義経済に脱皮し、それに伴い1950年代後半から生活文化の変化が始まった。まず電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ、掃除機などの家電機器が次々と市場に登場し、政府のクリーピング・インフレ政策の中で労働者の賃金は相対的に上昇し、それらの商品を購入することが可能な状態となり、それらの商品は売れ行きを伸ばした。それと同時にそれらの商品の宣伝広告を専門とする企業が急成長し、広告料だけで経営される放送局が登場した。家庭内ではそれまでの、たらいに洗濯板、氷の冷蔵庫、ラジオ、箒などが廃棄されるか部屋の片隅に追いやられていった。当時は、「文化生活」と言われ、公団団地やアパートなどが「文化住宅」と言われたのである。これは確かに、生活文化の大きな革命であったと思う。この段階ではインダストリアル・デザインやモダンな住宅デザインが世の中の変化を可視化してくれる役目を果たし、同時に産業資本が生み出した商品の販売をプロモートする広告産業資本がグラフィックデザインやCMというジャンルを生み出し急速に拡大した。

 1960年代に入ると、日本にもアメリカ的なモータリゼーションの波が押し寄せ、成長する自動車産業資本の周辺に多くの関連産業資本が生まれ、家電製品なども含むこれら耐久消費財の生産を中心とした産業資本群が急速に成長した。それに追いつかない道路やインフラ整備で「てんやわんや」の時代であった。そこでは政府の公共投資が盛んに行われ、道路やダムの建設とともに、資本家的企業の育成が推進され、日本の資本主義経済は高度成長の道を歩み始めた。しかし一方で60年代中庸からすでに排水や排気ガスによる公害が社会問題となった。工業製品の大量生産を無制限に促進することへの警鐘が鳴り始めたのである。そして時代の方向に敏感な学生たちによる学生運動が盛んになった。

 しかし、同時にこの時代は、いわゆる小市民(プチブルジョア)意識が社会一般に拡大した時代でもあり、中間層化したアメリカの労働者階級をお手本としてそれを日本の資本主義社会も追いかける形となった。学生運動もその影響を免れることができず、60年代末には先鋭化しながら、実質的な展望を持つことができなくなっていった。その一方で「左翼的」技術論者の星野芳郎が「マイカーのすすめ」という本を出して評判になったり、同じく「左翼的」建築評論家の川添登が「デザインとは何か」の中でデザインは文明の形成者であるかのような説を展開したのもこの時代の特徴であろう。一言でいえば、マルクスの思想にルーツを持つ人たちも、圧倒的な現実となった、大量消費社会をベースとした「市民社会」に足をすくわれ、それを普遍的な生活文化の形として礼賛する立場になっていったのである(これについては別の機会に詳説したいと思う)。そうした中で、労働組合は、たんに「春闘」という形で、毎年労使間の賃金水準を調整する機関となってしまい、階級意識などは薄れていった。

 1970年代になると、生活必需商品の購買形態がおおきく変化し、クルマを使った顧客を対象にするスーパーマーケットや量販店が成長した。そのため町の個人営業の食料品店や電気屋さんなどが次々につぶれていった。この時期に、すでに需要が一巡した家庭電化製品やクルマの需要を再活性化させるための新製品の売り込みが激しくなった。そこでは、耐久消費財商品の奢侈品化が急速に進んでいった。工業デザイナーの仕事はこの頃から、いわゆる「買い換え需要」促進のためのデザインが主流になっていったのである。

 ここで何をもって「奢侈品」というかをはっきりさせておかねばなるまい。それは、生産物の使用価値を構成するための必要十分条件が、競合商品との競争の中で、一定の限界を超えて、使用者の心理に訴えるようなレベルまで拡大された状態になったものを指すとしておこう(これについても別の機会に詳説する予定)。たとえば、家電製品であれば、基本機能のほかにさまざまな「魅力的な」付加機能をつけて売る場合。そして競合各社の技術水準がすでに横並びとなったため、投資した労働力の割に大きな利潤が期待できる奢侈品化は「既存モデルよりかっこいいデザイン」にすることである。あとは派手な宣伝でいかに購買者をその気にさせて商品を売りまくるかである。こうして生活資料商品の生産と宣伝販売には止まることなく拡大への拍車がかかることになったのである。そしてそれと同時に、家庭用耐久消費財のメンテナンスや修理という仕事が世の中から消えていった。またその一方で、労働者の休日や余暇も「金儲け」のチャンスと捉え、観光やレジャーなどへ資本が投入され、いわゆる第三次産業の比率を高めていった。

 ここに「なくてもいい無駄な消費」を生み出すことでしか生き延びられない戦後資本主義経済の原型が出来上がったのである。しかしこの流れは、一方で絶え間ない「技術革新」を伴っており、ニューモデルの開発はそうした技術革新をドライブとしても行われたため、一見、技術の進歩の「結果」と見えたのである。だがこの技術革新の背景には、東西冷戦下でのソ連とアメリカによる軍事技術開発競争があったということと、資本主義陣営の内部では、「売れる商品の開発を目的とした技術開発競争」が推進力であったことを忘れてはいけない。人間生活に必要な技術の開発が、資本主義経済体制においてはその目的を「売ること」に置き、「生活に必要な」という内容はその手段として位置づけられているのである。アメリカなどでは軍需技術開発などで生まれた素材を、何か消費財として売れる新商品に流用できないかと考えて新製品が開発されることも多かった。しかしこれも本質的に「売るための技術開発」であったことには変わりない。

 一方、70年代中庸には、1週間にもわたる鉄道の大ストライキがあり、労働運動の最後の盛り上がりがあったが、それ以後は、労働運動も学生運動も急速に萎んでいった。このことは労働者階級や学生が1970年代後半からは完全に、実生活の上でも意識の上でも「小市民化」し、運動への意味と目標を見失っていったと考えてよいであろう。そしてその後には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた80年代バブル経済の時代がやってくるのである。(続く)

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2010年11月24日 (水)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(2)過剰な消費で過剰資本を処理する経済体制

(前回からの続き)その中で、資本主義諸国の支配層は、互いに手を結びあい、G7やG20という形でお互いの利害の調整と支配体制の維持を図っている。この圧倒的な支配体制が実はもはや崩れかかっているというのに、それに代わる世界的な秩序を生み出す勢力は存在せず、ただ展望のないテロリズムだけが恐怖を煽っているように見える。

 もし、中国共産党は、自分たちが資本主義社会の矛盾を乗り越え、新たな世界を築いていく歴史的な展望があるならば、それを示すべきであろう。しかし彼らはもっぱら「白い猫も黒い猫もネズミを捕る猫はよい猫である」「豊かになれる者から豊かになればよい」という鄧小平の言葉に従って資本家の育成を図り、党や政府の官僚は、労働者階級への搾取体制を推進しているとしか思えない。「ネズミを捕って」「豊かになった」資本家や官僚たち、そしてその「恩恵」によってほんの少しリッチにになってきた一部の労働者たちが形成する中間層は、かつての高度成長期の日本の「夢」を拡大再生産しようとしているかのように見える。しかしまだおそらく80%以上の労働者、農民は貧しい生活を強いられ、その虐げられた生活への反発は、一方では、働いて稼ぎ「豊かに」なるための強い意欲となり、他方では学校で教わった「悪い国」日本への反発となり、あるいは支配層への隠れた反抗ととして鬱積したエネルギーになって蓄積いると考えられる。

 だが、もし、中国のこれら圧倒的多数の貧しい労働者や農民たちがすべて「豊か」になったとしたら、どうなるのだろう?労働者は資本家たちが作った商品をどんどん買わされ、それを次々と廃棄し、「豊かになった」と錯覚しているうちに地球上の地下資源は使い果たされ、環境悪化は急激に進み、その間に一握りのグローバル金融資本家への富の局在化はどんどん進み、その奪い合いから世界全体の生産体制が破綻してしまう可能性すらある。

 ここで考えなければならない重要なことは、われわれが考える「豊かな生活」とは実は「大量な購買」に過ぎず、資本家と違って労働者によって購買された生活資料商品は次の生産に結びつくことなく、生活において消費されるか、あるいはほとんどの場合その使用価値を全うしきれずに廃棄されるのである(だから決して大量購買=大量消費ではない)。一方、資本家はわれわれが大量に商品を購買してくれることにより、利潤を増やし、それをふたたび生産手段と労働力の購入に回し、商品の生産に結びつけることで資本を回転させることができ、「豊か」になっていく。だからいったんわれわれに売ってしまった商品がまだ何年も使えるにも拘わらず、そんなことにはお構いなしに次々と新製品を作り、どんどんわれわれに買ってもらおうとするのである。

 資本家階級は、すでに20世紀前半の段階でその富が過剰に生産手段に注ぎ込まれることで生じる利潤への圧迫を回避することができなくなり、大恐慌というカタストロフを経ることで、なんとか考え出した方法として、労働者の生活資料商品生産にかこつけた過剰な消費によって過剰資本を消尽させながらそれを通じて資本蓄積を拡大して行く方向に舵を切ったのである。これが湯水のごとく資源やエネルギーを消費しながら「成長」しなければ倒れてしまう20世紀後半型資本主義経済の「隠れた秘密」なのである。

 たとえていえば、ため込み過ぎた燃料による自らの過剰な重さによってスピードがおちガソリンタンクに、穴を開けてガソリンを無駄にまき散らしながら走らざるを得なくなったクルマような状態である。何でこれを「豊かな社会」と言えようか?莫大な量の「しなくてもよい無駄な消費」をまるで「豊かな生活」であるかのように見せかけてきた社会、これが20世紀後半以降の資本主義社会の特徴であるといえる。

 そこには資本家同士の市場での競争の中で、一方に、本当は生産者であるにも拘わらず、むなしい「消費者」にさせられてしまった労働者階級があり、資本家を競争で勝たせるために何十年も労働力を提供し続け、定年を迎えても、終の棲家を維持することすらおぼつかなくなって愕然としている姿があり、他方では、労働者に「賃金」として前貸しした資本が生活資料商品の販売を通じてすべて資本家の手に環流し資本の回転を促進し、労働者の労働が生み出した価値のすべてが「富」として彼らの手にもたらされ、それがグローバルな金融資本を太らせているという現実がある。そして、その体制が必然的に陥った破綻状況を、労働者階級の犠牲によって取り繕おうとしているのがいまのG7体制であるといえるだろう。

 われわれはもっと合理的に、必要なものを必要なだけ生産し、その生産にそれぞれの労働者がそれぞれのできる形で労働を提供することによってもっともっと、今とは比べものにならないほど少ない消費でも本当の意味で豊かな社会が築けるはずなのである。しかしそれができるのは決して私的な利害の獲得を基盤とした資本家階級とその代表政府ではありえないし、「社会主義」の看板を掲げながら資本家的に成り下がった共産党官僚の政府でもない。生産的労働を直接互いに分かち合うことのできる、国際的に手を結んだ労働者階級だけがそれをなし得るのだと思う。

(続く)

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2010年11月22日 (月)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(1)東西冷戦下での労働者の「小市民化」

 「近代社会」の経済的土台を築いてきた資本主義社会が、どのように血塗られた歴史を辿って発展してきたかは、「資本論」の記述に任せることにして、ここではマルクスが知ることができなかった20世紀特にその後半から現代に至る資本主義社会の構造的特徴について少し考えて見よう。

 20世紀初頭、レーニンが、金融資本主義国家(金貸し国家)となった当時の英国の実情と、ヨーロッパ列強による植民地再分割戦争への動きを批判的に分析しその特徴を「帝国主義」と名付けたことは周知であるが、宇野学派はこれをのちに「帝国主義段階の資本主義」としてとらえていた。これについてはレーニンの「帝国主義論」(岩波文庫)や降旗節雄の「帝国主義論の史的展開」(1972 現代評論社)を参照してほしい。またその後第一次大戦とロシア革命を経て金融大恐慌により最大の危機を迎えた後、変貌を遂げた、いわゆるケインズ型資本主義の問題については、大内力「国家独占資本主義」(1972 東京大学出版会 UP選書)を参照してほしい。私の現代資本主義社会に関する基本的把握はこれらの文献に依るところが大なので。

 資本主義社会は、少なくとも外形的には、その後さらに大きく変化し、特に、20世紀末のいわゆる「社会主義圏の崩壊」以後は、上記の論者たちの分析の域を超えた状況に来ていると考えられる。上記の論者たちのような専門家ではない私が、それに太刀打ちできるような分析をなし得るはずもないが、現状をマルクス経済学の視点で深く分析した文献に巡り会わないので、仕方なく私の乏しい知識でこれを行ってみようと思う。

 まずは、マルクス時代の資本主義社会から大きく変わっているにもかかわらず、本質的な変わらないものは何かを押さえ、それらが、本質的には変わらないにも拘わらず、外形的にはどう変転してきたのかを考えて見ようと思う。

 その中心は、労働者階級の状態である。マスコミ的表現で言えば、「市民の生活状態」である。1930年代以後、特に第2次世界大戦以後の先進資本主義国における労働者階級は、失業と窮乏生活から逃れることができたように思われてきたのである。それはあたかも「市民」の労働と努力によって未来に渡って経済は成長し続け、労働者はその恩恵を受けてだんだんリッチになっていける、というパラダイムを形成するまでになった。そこには資本家も労働者もともに「市民」として豊かな生活を送る社会が想定されていた。ブルーカラーよりもホワイトカラーの比率が高くなり、「市民」は「サラリーマン」に代表される姿として捉えられるようになった。資本家は経営者と呼ばれ、労働者は従業員とか勤労者とか呼ばれるようになり、その本質的な違いは問題にされることが少なくなった。その立場の違いや対立関係が現れるのは、労働者による賃上げ闘争や労使交渉の場面くらいであった。

 労働者は「消費者」として、資本家の売り出すさまざまな商品を「ショッピング」し、自分好みのデザインの商品を選んで、自分の生活空間を作っていった。そして休暇にはレジャーを楽しみ、少しづつ貯金を殖やすこともできた。資本家的企業は労働者を「消費者は王様」と祭り上げ、次々と新製品を売り出し、それを買わせることで、ますますリッチになった。これが「右肩上がり」の経済成長(実は資本の成長)期における労働者の生活であったと言ってもよいだろう。われわれの世代は、これをほとんど「当たり前」のように考えてきた。

 しかし、よく考えて見れば、この状況は、一方に、スターリン以後大きく変質してしまったとはいえ、いわゆる「社会主義圏」が存在し、そこには少なくとも資本主義社会と対峙し、その矛盾を乗り越えようとする人たちが存在していたことにより、初めて現出させ得た状況であったという事実を忘れがちである。

 それは、東西冷戦下という状況で、資本主義諸国の支配層たちが、ソ連や「社会主義圏」の動きを横目で見ながら、自国の労働者階級がそれらの勢力と手を結んで国際的に反資本主義として連帯しないように、資本家主義国の支配層同士が手を結び最大限譲歩したからこそ可能な状態であったと言ってよいだろう。決して現代資本主義社会が必然的にもたらしてくれた「恩恵」ではないのである。

 だから、その後資本主義国が優位に立ち、あたかもそれが「普遍的市民社会」のように思われるようになるころから、あちこちでその体制にボロがほころび始め、行き詰まった「大きな政府」に対して、市場主導型の「小さな政府」などを目指してみたりしたが、必ずしもうまくは行かなかった。そして「社会主義圏」がその内部矛盾の激化により自壊した後は、今度は「グローバル資本主義」として国境を越え、旧社会主義圏をも巻き込んだ資本側の圧倒的攻勢が始まったと考えられる。

 しかも皮肉なことに、来るべくしてやってきた国際的な金融資本崩壊の兆しのなか、ソ連崩壊後も一国社会主義政策をとり続け、独裁的支配階級となった共産党の統制のもとで資本主義経済を導入した中国が、いまやグローバル資本にとっては「救世主」のごとき存在となったのである。

 いま、労働者階級と農民がもっとも大量に過酷な労働を強いられ、したがってもっとも多く剰余価値を生産する国は、中国であるかもしれない。そしてその莫大な剰余価値の集積をよってたかって奪い合うのが、「グローバル資本家」たちであって、その影響を失業や就職率の低下や雇用形態の悪化という形でもろに受けているのがアメリカ、ヨーロッパ、日本などの、これまで比較的高賃金で生活してきた労働者階級であるといえるかもしれない。しかもいまでは、すっかり「プチブル化」してしまった労働組合指導部もこうした状況に何ら対抗することができないのである。

 一方で中国製の生活資料に囲まれた生活をしながら、他方で雇用が失われ労働の場が日々悪化していくという現実が、いまの「先進資本主義国」の労働者階級の直面する生活状況であるといえる。これまでの「リッチな市民生活」の中で階級意識をまったく失ってしまったこれらの国々の労働者は、中国の労働者と本質的には同じ立場に置かれながら、意識の上では「中国に仕事を奪われた」と思いやすい状況である。そして中国でも、過酷な労働状況への不満が「愛国的反発」という形をとって日本に向けられている。互いに憎み合う個人的な理由など何一つないばかりか、いまこそ互いに手を結びあってグローバル資本主義に対決すべきときであるにも拘わらず。あるいは職を失い、別の職に就くこともできず、貯金を減らしながら不安な日々を送り、アニメやゲームなどに気を紛らわせ、あるいは、職にありついたとしても「国際競争に勝つために」日々過酷な労働を課され、生活時間を失わされ、結婚もできず疲れ果てている日本の労働者階級は、頼みの政権交代も惨憺たる失望に終わり、このままでは先がないという状況に追い込まれている。

 このような状況は1930年代以上に悪い状況と言えるかもしれないのである。

(続く)

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