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2010年1月31日 - 2010年2月6日

2010年2月 4日 (木)

インダストリアルデザイナーの労働が直面する諸問題 その5「消費者とは何か」

 IDerの仕事は、「消費者の立場に立って、モノづくりをする」ことだと、常に言われてきた。確かに、ユーザにとって使いやすい操作部分のデザインや分かりやすいインタフェースを考え、その上でユーザに美しさや快適さという心理的満足感を与えることは、誰が見ても悪いことではない。

 しかしここで言う「消費者」とは何だろう?IDerは消費者ではないのか?いや「生産者」と見なされている資本家すら消費者ではないのか?そこで「消費者」と「生産者」という区別がなぜ生じるのか考えて見よう。

 明治維新以前の日本では、武士が支配階級であり、農民や工人(職人)は被支配階級ではあったが、あきらかに誰が見ても武士は生産者ではなく、農民や工人たちが生産者であった。

 しかし明治維新以後、旧下級武士出身の立憲政府官僚たちが、欧米から産業資本主義的な生産方式を導入し、官僚指導で軍需産業や鉄鋼鉄道など基幹産業の育成に力を入れた。そこで幕末時代から蓄財してきたいわゆる商業資本家の中から、こうした産業に投資して産業資本家になる者が現れ、やがて日清・日露戦争・第一次世界大戦を経て、大正に入ってからは、産業資本家と金融資本家が国の生産活動の主役になっていった。それは同時にまた一方で労働者階級を生み出していった。しかし農業は旧態依然とした形で続けられていたし、職人的技術者も多く残っていたと考えられる。

 大正末〜昭和初期になるとこうした資本家の中から財閥といわれるグループが結成され、軍や官僚達と結びつきを強めていった。労働運動は、ロシア革命の影響を受けて組織化され、農民運動とも結びついていった。この段階では、労働者・農民という直接的生産者の階級と、生産を支配する資本家・大地主階級という対立構造がかなり明確であった。しかし「消費者」というカテゴリーはまだ無かったといえる。

 しかし、第二次世界大戦に突入する頃から、戦時抑圧体制の確立に向けて「一億総国民火の玉となれ」というような形で、支配階級と被支配階級の対立構造は見えにくくなっていった。戦後、アメリカ占領軍によりアメリカ型民主主義が導入され、それとともに行われた農地解放政策により大地主が解体され、小作農から自作農になった農民達と、戦時抑圧体制から解放された労働者達が労働運動の波を大きく盛り上げ、一時期(1950年代)直接的生産者である労働者階級と、それを支配する資本家や官僚たちとの対立構造が明確になった時期があった。ここでは「消費者」という言葉はコメなどの生活必需品を求める人々の意味であった。

 その後アメリカからケインズ型の資本主義が導入され、あらたな産業資本再興時代が始まる50年代末〜60年代にかけて、いわゆる「大衆社会化状況」の中に労働者階級の運動が吸収されていく中で{消費者」というカテゴリーが新たな意味をもって登場し、それに対する「生産者」というカテゴリーが登場したのである。

 つまり消費者とは、直接生産労働を行っているにも拘わらず生産手段を持たない産業労働者(設計・デザイン・生産管理などを含む)がその大半をしめ、それに加えて流通、運輸、などの業務に従事する労働者が含まれる階層である。そして一方で、直接的生産的労働を行わないが、生産手段を持ち、それに労働力を買い取って結びつけることで、価値を生み出させ、その大半を利潤としてすいあげるという「業務」を行う資本家や資本家の業務を分担する人々(営業、金融、販売など)に代表される企業が「生産者」と呼ばれるようになった。農民はここでは生産手段を持っていることが多いので、生産者の側に入れられる(最近では農業の資本家的経営が拡がり、農場で働く農業労働者が増えた)。

 消費者はもっぱら生産者の持つ生産手段のもとで自分たちの労働により作った生産物を、生産者が所有し販売する商品として、(直接的生産の場で労働力を提供する代わりに前貸しされた)労働賃金との交換で買わされ、それを生活の中で消費することで労働力を再生産する人々である。

 単刀直入に言えば、「消費者」とは、生産的労働を行っているにも拘わらず、生産の中に自分を表現することができないため、労働力を再生産するための消費生活の中でしか自己表現することができない人々である。

 資本家にとっては、その消費が、自分たちに利益を還元する必須の要素であり、この消費がなければ、せっかく前貸しした比較的高い賃金から、その元を取ることができなくなるのである。だからこそ、「消費拡大による景気浮揚」が叫ばれるのである。

 戦後型資本主義社会では、この消費が単に食料や衣料などのいわゆる生活必需品(労働力の再生産に直接むすびつく商品)だけではなく、耐久消費財や乗用車、趣味用品、レジャー用品、アメニティー用品などなど、直接生産過程に結びつかない部門(いわゆる奢侈品を含む)に拡大し、そこが資本にとっての利潤獲得の主戦場となったため、こうした非生産部門の購買動向が資本全体の利益を左右するようになったのである。その一方で、労働者の生活に欠かせない、社会的インフラは資本の利潤に直接結びつきにくいため、おろそかにされ、医療や教育などは荒廃するばかりである。

 IDerは自ら消費者であり、同時に生産的労働の一部を担っているにも拘わらず、あらためて「消費者の立場」を強調しないと、使用者の意図を無視した製品をデザインすることになるのである。

 その理由は上に述べたことから明らかなように、デザイナーの目的意識がその使用者としての自分の必要性からうまれるのではなく、その労働を買い取った者による「売るため」の目的に支配されているからである。したがってここでデザインされる商品は、まず「買われること」が第一義的に重要であり、「商品が買われた後に使われる場」の問題については、つねに後回しで補完されるしかないのである。

 こうして一方で中産階級化した労働者は、次から次へと商品を買わされ、がらくたや本来必要もないモノたちに囲まれた生活を余儀なくされ、しかし、「買うこと」以外に自らを表現する方法を奪われているため、それが生活の中での唯一の楽しみとなり、ますますガジェットやコレクションが増えていき、廃品回収業者が儲かる世の中を拡大していく一方で、倒産や解雇で失業した労働者達は生活ぎりぎりの生活用品を購入することもできないような生活に追い込まれ、どうすることもできなくなって、ついにはみずからの命を絶つ人達がどんどん増えているのである。彼らは資本によって「消費される労働力」なのである。

 これが経済第2位の豊かな国の実態であり、「消費者」の意味するものである。

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