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2010年12月26日 - 2011年1月1日

2010年12月28日 (火)

就活で負け続けている学生諸君へ

 就活とは、正確に言えば労働力市場での労働力の売り込み行為のことである。資本主義社会では、大学自体が、労働力養成の場になっており、交換価値の高い労働力商品を養成する(資本主義社会の言葉で言えば、企業に受け入れてもらえる能力を身につけた学生を生み出す)ことを競っているので、学生の就職率が大学の看板になっており就職担当者は必死に企業に学生を売り込もうと努力している。いうまでもなく学生本人にとっても就活で自分の労働力を資本家的企業に買ってもらえなければ、自分自身のこれからの生活や人生が危うくなるのである。

 一方、労働力の買い手である資本家的企業の方はどうであろう?最近のTVニュースを見ていても、大学卒業者の就職内定率が50%を切る状態であっても、ある企業では外国人の学生には門戸を開いているのである。自分の国で多くの学生が職に就くことができなくても、企業の国際競争力をつけるために海外の優秀な学生なら雇用したいというわけである。自分の企業を守るためなら日本の若者の将来のことなどは二の次になる。こういうのが資本家の本音なのである。

 さて、資本家だ、労働者だと言ってみても、だれが資本家でだれが労働者なのか、なかなか実感がわかない人たちも多いと思うので、少しそのことについて考えて見よう。

 前にも書いたことがあるが、一方に性悪で金儲け主義の資本家がいて、他方に善良で貧乏暇なしの働き者の労働者がいる、といった図式は、どこかの国の「社会主義リアリズム劇」にでも登場しそうな図式であって、現実の社会はそれほど単純ではない。私利私欲を捨てて、世の中のために企業を起こし、努力を重ねている資本家もいるし、性悪で、仕事をさぼってばかりいて、権利ばかり主張する労働者もいるのである。

 私の紆余曲折を経た人生の中で、唯一、ずっと守り続けてきた趣味の世界があるが、その世界でつきあっている人の中には好人物の中小企業のオーナー社長もいるし、大企業の要職に就いていた人もいる。また雇われている会社の給料では趣味が続けられないのでアルバイトをやっている人もいるし、家族総出で農業を切り回している人もいる。そして勤めていた会社が潰れ、別の会社に変わって過酷な労働を強いられている人もいる。

 しかし、その趣味の世界ではそんなことは何の関係もなく、皆がほぼ対等に話ができるのである。昔、ある経営学の先生が言っていたが、こういうのを「インフォーマル・ソサエティー」というのだそうだ。学生のサークル活動やボランティア活動などもこれと同様であろう。

 こういうインフォーマル・ソサエティーでの人間関係には、決して資本家と労働者の階級的対立的関係は見えてこないのである。しかし、たとえば、私がその好人物の社長の会社に雇われて、その給料で生活をすることになったとすれば、そこで初めて彼と私の階級的な関係が現れてくるのである。資本主義社会の階級対立は、「金儲け主義の資本家」が世の中を牛耳っているために起きる対立ではなく、どのような性質の人間であろうとも、ひとたびこの社会の経済システムを構成している企業で雇用者と被雇用者という関係に置かれたときに、そこに決して逃れることの出来ない資本の論理が貫徹されていることが分かるのである。

 たとえ、どんなに私利私欲を捨てて、世の中の発展のために努力を重ねている資本家であっても、ひとたび市場での競争に負けて、その会社が経営危機に陥って、何とか倒産を防がねばならなくなれば、従業員を「整理」し、会社を守らねばならない。「泣いて馬謖を斬る」というわけである。資本家の立場にたった人は、結局は社会のために企業活動をやるのではなく自分の会社の存続発展のためにそれを行うのであり、そうせざるを得ないのである。

 しかも資本側は生産手段を占有(企業所有という形での私有化)しており、社会に必要な生産システムの中枢を握っている。それに対して大学を卒業した学生たちは、自分の「能力」や「技術」という労働力しか財産をもっておらず、それを「売り」に出して資本家の企業に雇用され(労働力を買ってもらう)なければ生活していけないのである。これが資本主義社会の本質的な矛盾なのである。就活の渦中にあって苦しんでいる学生諸君はいまその矛盾に直面しているのだ。

 雇用関係は資本家と労働者の関係を明らかにさせるものであるが、たとえば、ある巨大金融企業の傘下にある大企業が、その下にいくつもの下請け企業を抱え込んでいれば、その中間にある雇用者自身が上位にある企業の被雇用者とほとんど同じ立場に立たされるわけである。そこでは雇用と被雇用と同様の関係が何層にもなっている。しかし、小企業の経営者は親会社に支配されているように見えても、生産手段を所有しており自分の給料は自分で決められる以上は、賃金労働者(昔風に言えば無産労働者)とは言えないのである。いまでは、こうした小資本家の人たちも、巨大な国際流動資本の動きに翻弄され、海外に安い労働力を求めざるを得なくなっている。

 このように社会を成り立たせている生産から消費にいたるシステム全体に、厳然として貫かれる資本の論理によって、企業の経営を行う資本家は、その資本の論理を貫徹させる役割として資本の機能を果たさねばならず、そのもとで働く従業員は、賃金労働者としてその論理に支配され、剰余労働を搾取され続けざるを得ないのである。マルクスが明らかにした資本の論理は、こういういまの社会関係の基本を貫いている資本の論理であって、その本質的な矛盾を明らかにしているのである。

 学生諸君は、この真実に気づき、たとえ、運良くどこかの企業に雇用されたとしても、世の中を本当に変えていくことができるのは君たち以外にいないことを分かってほしい。道のりは長いかもしれないが、どこの国の資本家代表政府も政党も止めることができなくなった国際流動資本の暴走による、資本家企業の過当競争と、それが生み出す過剰資本の処理を過剰な消費で処理しながら地球全体の環境や資源を食いつぶしている状態を止め、資本主義社会での生産の逆立ちした目的と手段関係(商品として売ることを目的に社会的に必要なものをその手段として作る)を正しい関係に置き換えて、正常な生産活動を取り戻せるような社会、そして働くひとたちが主人公の世の中にすることができるようにがんばろう!決して絶望して自暴自棄になったり自死したりしないで、世の中の真実を見抜くこと、そこからすべてが始まるのだ!

 

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