« 就活で負け続けている学生諸君へ | トップページ | エマニュエル・トッド「空回りする民主主義」を巡って(その1) »

2011年1月 4日 (火)

働く者の目で2011年の世界を把握しよう

 新年の娯楽番組が一息ついてようやく通常の番組を放映し始めたTVの国際ニュースをみた。イギリスでは消費税にあたるVATが17.5%から20%に上げられるそうだ。フランスではかつて2002年に年平均の常勤労働時間を週35時間とする法律を成立させたフランス社会党が、今度は労働者の賃金水準を上げるためにこの労働時間の制約を撤廃させようということを考えているらしい。そしてシンガポールなどでは今年は鈍ることが予想されているものの経済成長が二桁を続けている。さらに世の中の今後について楽観的か悲観的かというアンケートの結果が、フランスでは「悲観的」が60%を超えていた(おそらくほかの西ヨーロッパ諸国でも)のに対し、アジアや南米の後発資本主義の国々では「悲観的」は20%台に過ぎなかったということである。

 これらは何を示しているのだろうか?常識的には、先進資本主義国の経済が翳りを見せ始め、発展途上国が勢いを増しつつある、ということだろうが、もう少し深く考えてみよう。

 まずいわゆる先進資本主義諸国では、経済成長率が低迷し、税収が減少するのに反比例して政府が社会保障や医療保険などに投入しなければならない資金が増加しているので、個人への税金を上げたり、企業への税を軽減して景気浮揚させようとしたりしている。そのため「もっとも公平な税」と言われる消費税が上げられたり、労働者の賃金を上げるために労働時間の制約を外そうとしたりしているのであるが、これはとんでもない間違いであるといえる。

 そもそも先進資本主義国はすでに自ら富を生み出すことが出来なくなりつつあり、後発資本主義諸国の低賃金で働く生産労働者により生み出される巨額の剰余価値が含まれる商品が市場で売買されて国際流動資本として世界中を回りながら、金融資本に蓄積されていく過程をうまく利用して、莫大な金貸し的利益を獲得したり、世界中の生産資本がそれによって牽引されている「無駄な消費」を大量に生み出すための産業(ガジェット商品小売り業、娯楽産業、付加価値産業、観光産業などなど)を取り込み、そこに国際流動資本からのお金を落とさせることで、経済が成り立つようになってきているのに対し、後発資本主義国では、まさに富を生み出す現場として、巨額の剰余価値を先進資本主義国に収奪されてもなお、自国の労働者の生活を従来に比べて改善できる経済的な余地があるからであろう。

 こうした状況はいわゆるグローバルな市場が一般化してきたために起きていることである。これまで各国で異なっていた生活様式や「生活水準(これが何を意味するのかはもう少し検討する必要があるが)」が国際的に商品が同じ市場で取引されることにより、商品の価値はそれに費やされた労働時間を基準として価格が決められるので、労働力商品の価値を示す労働賃金は、労働力の日々の再生産に必要な生活資料の価格によって決まるために、生活資料の価格が安く、生活様式もシンプルな国々の労働賃金は低く抑えられる。そこでの剰余価値率は大きくなり、市場に出される商品に含まれる剰余価値は増大する。その上、お金持ちの国々と貧乏な国々が同じ市場に登場する場合、モノとしての商品の価格は需要供給の関係から、本来の価値からかけ離れた高い価格(これにはいわゆる付加価値も含まれる)で売買されることになる。それでも十分競争に勝てるからである。

 こうして国際市場でうごめく資本家たち(もちろん投資家も含まれる)は莫大な利益を上げているのである。しかし、一方では資本家的「自由社会」の原則で競争相手の資本家がいくらでも現れるために、常に価格競争の渦中にあって、これに打ち勝たねばならなくなり、「国際競争力を付けるために」と称して、従業員の労働時間を延長したり賃金を抑制しなければならなくなるのである。

 互いに金儲けにおける機会均等を主張しながら、同時に互いにつぶし合い、首を絞めあう資本家たちの過当競争の中で、労働者はますます過酷な労働を強いられ、人員整理で解雇されたり就職の機会を奪われているのである。

 消費税で「公平に」税を取ると言っても、お金持ちにとってはわずかばかりの出費が増えるに過ぎないが、労働者の生活はやせ細るばかりであって、生活資料への出費を控えざるを得なくなる。つまり少しも公平ではないのである。

 また、労働時間制限を撤廃すると労働時間が劇的に増え、その分見かけの賃金が上がった様に見えるだろうが、よく考えてみれば、時間あたりの労賃はかえって低くなっていたりして搾取率は増大することが多い。そして何にもまして労働条件は際限なく悪化することは疑いない。

 つまり生産資本家たちは市場での価格競争に勝つためにつねに生産の「合理化」を進め、「人減らし」を行ったり、政府の減税をテコに生産性の良い機械設備を導入したりするのであるが、それによって自らの企業の利潤を確保するのが目的であって、労働者の生活を豊かにするのが目的では決してないのである。これが資本主義経済の法則なのだから。

 一方で後発資本主義国の労働者たちも、このまま生活水準が上がっていくと考えるのは大きな間違いであって、やがて、この市場を牽引している莫大な「無駄な消費」が地球環境や資源という大自然の壁にぶつかって行き詰まり、資本家代表政府間の資源獲得のための領土争いから戦争に発展する可能性もあり、また成長が止まった経済により国際市場が混乱し大量の失業者があふれ出ることになることは目に見えている。

 今年はその兆候があちこちで現れ始めることであろう。確かなことは、一方で「金余り」がますますふくらみながら他方ではまっとうに働こうとする人たちの貧困化がますます増大し、どこかでこの矛盾が爆発するであろうということだ。どこかでこの「不正」を正さないとわれわれは生き延びることが出来なくなるだろうから。

|

« 就活で負け続けている学生諸君へ | トップページ | エマニュエル・トッド「空回りする民主主義」を巡って(その1) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/50488179

この記事へのトラックバック一覧です: 働く者の目で2011年の世界を把握しよう:

« 就活で負け続けている学生諸君へ | トップページ | エマニュエル・トッド「空回りする民主主義」を巡って(その1) »