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2011年1月11日 (火)

エマニュエル・トッド「空回りする民主主義」を巡って(その3)

 もともと資本主義経済の市場には国境がないと言ってもよいだろう。しかし当初それはモノとしての商品に関してであったと言える。中世末期、ベネチアの商人たちはアジアなどから珍しい品物を運んできてヨーロッパで売ることによって巨万の富を蓄えた。そして19世紀のイギリスでは産業資本家による生活資料の商品化と工業的生産が一般化することで、ギルドなどによる古い職人的な生産や農業などの自給自足的経済体制が破壊され、国内市場が形成され、多くの原料や食料などが海外から輸入され、工場で加工生産された商品が市場に出回るようになった。そして国内需要が一定程度満たされるようになると原材料の輸入と商品の海外輸出が盛んになったと考えられる。

 19世紀末から20世紀初頭には、こうした海外市場への進出のために植民地が活用され、植民地での労働力が大量に用いられるようになっていったと考えられる。

 しかし、最近の「経済のグローバル化」はこの段階をとっくに通り越し、前回述べたように、古典的自由貿易の挫折と世界恐慌と社会主義国の進出による危機を資本主義的に克服するために採られた政策が、資本主義社会を大きく変化させたことが基本にあると言える。恐慌を防ぐことができた反面、膨大な過剰資本が蓄積され、それを支える過剰消費によって加速されながら世界中を動き回り、これを獲得するために争奪戦を繰り返す資本家的企業にとって「国籍」の意味を失わせしめるようになったのである。

 一方では、「国際分業化」とも言われるような、国境で区切られた経済圏における労働者の生活水準の違いと貨幣価値の違い等による利潤獲得の有利さを基準とする労働の国際的搾取形態の形成が行われながら、他方では、それら全体を国際的な金融資本のグループが間接的に支配するという形が登場してきたのである。グローバル資本は、自国の労働者を含む、世界中の労働者からその生活水準にふさわしい賃金と労働内容によって生産を割り振り、莫大な量の剰余労働を搾取し、それを含む商品を国際市場で売るための激しい競争を繰り返しているのである。そのため各国の労働者は「国際競争に勝つため」という至上命令のもと、日夜激しい労働に追いまくられ、自分たちの生活を律することすら出来なくなってきている。それにも拘わらず、一方では国際市場での価格競争に勝つための生産の合理化がどんどん進められ、先進資本主義国では社会全体での労働者の雇用は減る一方なのである。

 資本のグローバル化の本質は、国際的な労働の搾取体制の確立であり、それにより過剰に蓄積される資本の資本家同士による「自由な」奪い合いの場なのである。そしてこれこそがグローバル資本主義が掲げる「自由貿易主義」の目的であり結果なのである。

 だからたとえばG20などでの各国政府首脳たちが、自由貿易の行き過ぎによる問題を「良心的に」解決しようとしても、おそらくは、実質的に自国の経済を支配している資本家たちの利害を配慮し、お互いに無駄な過当競争には歯止めをかけて、政治的戦略と駆け引きのもとで、互いに国際資本市場のもたらす富の分け前を決めて妥協するくらいがせいぜいであろう。その意味でいまの資本主義国の政府は本質的に「資本家代表政府」なのである。

 そしてその中で中国がどのような態度に出るかが重要である。おそらくは、いまの欧米の国際資本に対抗して中国政府紐付きの中国資本をグローバル資本の仲間入りさせることに腐心するのではないかと思う。その一方で世界的な過剰消費による欠乏が危惧されている資源や食料の獲得争奪戦が始まるであろう。それがどのように展開されるかは予測できないが、彼らは決して労働者階級の生活状態の改善や発展を第一義的目的とはしていないのである。その意味でおそらくトッド氏が考えるほど現実は甘くないと言えるだろう。

 こうした状況の中で、世界中の労働者は、共通の矛盾のもとに置かれながら、互いに連帯することも出来ず、「国家」と「民族」あるいは「宗教」の壁の中に押し込められ、互いに対立しながら一部の人々は無差別テロなどに走っているのである。

 次に、トッド氏の言う、「ハイパー個人主義」と民主主義の問題について考えて見ることにしよう。

(続く)

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