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2011年1月15日 (土)

朝日新聞「「成長」を相対化する」での議論を巡って(2)

 藻谷氏は政策投資銀行参事役という立場であるから、いわば資本主義経済を推進する側である。それゆえ、ジャクソン教授より遙かに資本家的なリアリストであり、主張は具体的である。しかしジャクソン教授のようなグローバルな視点は乏しいようだ。藻谷氏の見解は次のようなものである。

 一口に言えば、今の日本経済は実は輸出も好調で貿易黒字も増えている。低迷の原因は、国際競争に負けたからではなく、内需の縮小こそ元凶である。内需減少傾向は1990年代後半から始まり、経済が成長しているときでも続いてきた。それは景気変動と関係なく、就労年代の人口の減少に連動している。定年退職者の数が新規学卒者よりも多くなってから、住宅、クルマ、家電製品など現役世代を市場とする商品の需要が下がってきた。しかし商品の生産は機械化されるので、就業者が減っても生産量は下がらない。だから供給過剰となり、値下げ競争を恒常化させ、消費額の減少を引き起こしている。就業世代の減少とともに外国人労働者の受け入れ論が出てくるが、過剰な生産を抱える日本に必要なのは労働者ではなく消費者である。働かずに消費だけをしてくれるお金持ちの外国人こそ受け入れるべきだ。

 人口が減少するのは必然であって、そうなっても海外から資源や食料を輸入する金は稼げる。労働者の減少を補う機械化、自動化が輸出産業の国際競争力を向上させ、海外から稼ぐ金利差益も増加している。イタリア、フランスのような高級ブランド商品をつくり輸出すればそれも儲かる。

 内需縮小に歯止めをかけるには、高齢富裕層から若い世代や女性への所得転移を図るべきだ。団塊世代の定年によって浮く人件費を、モノを消費しない高齢富裕層への配当に回さず、若い世代の人件費や子育て社員の福利厚生費に回すべきだ。若者の低賃金長時間労働は内需を縮小させ、企業自らも利益を損なっている。賃上げ→内需拡大→売り上げ増加という好循環を生み出すように企業も努力すべきだ。

 以上が藻谷氏の見解である。

 藻谷氏は労働人口が減るのは「必然」としているが、それは先進資本主義国での話であって、先進資本主義国の「成長維持」は実は途上国の労働人口増加に依存するのである。市場がグローバル化し、途上国の低賃金労働による生活資料が国際市場で価格競争に勝ち、先進国の生活資料として輸入され、国内のそれらの競合生産部門はつぶされていく。衣料品、食料品、廉価家具、そして廉価家電製品などの生産企業がそれによって国内から消えていく。

 そしてそれらの低価格生活資料商品の流通が、国内での資本家による労働者の賃金抑制を可能にさせる。もし国内での労働賃金が上がれば、日本で生産された商品の国際市場での競争力がなくなる。だから資本家は決して簡単に労働者の賃金を上げたりしない。むしろ合理化により労働生産性を上げながら、それによって少なくなった労働者には過重な労働を課し、剰余労働をできるだけ多く搾り取ろうとするのである。競争に勝つために相対的剰余価値の増大を図る資本家が資本構成の高度化(いわゆる合理化)により労働者数を減少させれば、全体として労働者から吸い上げられる剰余価値量が減少するという矛盾(利潤率低落の傾向的法則)に対応するために、資本の拡大を図り、企業規模を拡大して雇用を増やしていくという戦略が取れたのは、もはや過去の話になってしまったのだ。

 その結果、輸入商品と競合する部門での商品値下げ競争が激化せざるを得なくなり、それに対して労働者は資本家によって「消費者」として意義づけられているにも拘わらず、低賃金と雇用不安の中で将来の生活資金を確保せねばならず、たとえ安くてもあまり無駄な買い物はしなくなるのである(これは大量の無駄な消費より格段に健全な考え方である)。藻谷氏の言うように労働人口の減少に対する商品の供給過剰が消費を縮小させているのではない。

 この現実を藻谷氏は知っているのか知らないふりをしているのか分からないが、藻谷氏の結論的提案(賃上げ→内需拡大→売り上げ増加という好循環を生み出すように企業も努力すべきだ)は、なにやら「ケインズ主義再び?」という感を抱かせると同時に、1930年代と違って、当時と全く状況の異なる現在では、そんなことが出来るわけがないと言いたくなる。しかもそのケインズ主義の限界がいま突きつけられているのだから。問題は消費の拡大(内需拡大)ではなく、節約した合理的な消費でも経済が成り立つようにすることなのである。

 一方高齢富裕層は、リッチに見えるが、これとて銀行や投資会社によるいわゆる「個人資金運用」という誘いに乗って、預貯金を提供し、金融資本はそれを原資にして国際的な投資市場でまんまと儲けているのである。だから実は高齢富裕層は、死ぬまで自分の預貯金を全部使えず、たとえ子孫にそれを残しても、贈与税で吸い上げられ、国の財産となり、最悪の場合、破綻した金融資本のつっかえ棒に利用されたりするのである。また政府は国債を買わせてこの個人資金を吸い上げようと必死になっている。

 高付加価値商品(いわゆるブランド商品など実際の価値より遙かに高い市場価格で売ることの出来る商品)もリッチな人々からお金を吸い上げようとする資本家の戦略の一つであるが(欧米や日本のデザイナーはこの分野で資本家に貢献している)、ここで富裕層から吸い上げられた莫大な利益は、あらたな資本として蓄積され、決して労働者階級の生活向上のために還元されることはないだろう。

 いまわれわれが直面している問題はジャクソン教授や藻谷氏が主張するように簡単に答えがだせるようなものではないのだ。

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