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2011年1月11日 (火)

エマニュエル・トッド「空回りする民主主義」を巡って(その2)

 まずトッド氏が言う「自由貿易主義」について考えて見ると、この主張はそもそも資本主義社会が登場したときからの基本コンセプトとでも言えるような思想であるが、その前提として、「自由な商品所有者」という概念があり、その「自由な商品所有者」が自ら欲しいモノを自由に市場で求め、また売ることができる社会が理想とされてきたと言えよう。14−15世紀ベネチアあたりで地中海貿易により莫大な富を築き上げてきた初期のブルジョアジーたちは、この思想により旧体制せある王権と対峙してきた。当然、彼らは王侯貴族の特権を廃して自由な商売や貿易を主張した。だから彼らはフランス革命などでもインテリたちはもちろんのこと小生産者や労働者、街の商店主、農民などをも味方につけて「市民(ブルジョアジー)」として王権と戦ったのだ。

 しかし、やがてオランダ辺りで家内手工業をやっていた小工業生産者が商業資本家たちの商品市場拡大の欲望のもとで、商品を生産するために合理化され工場制手工業へと変貌させられ、工業生産の主導権が職人から資本家に移って行き、18〜19世紀のイギリスでのいわゆる産業革命を通じて巨大な機械制大工業という形で、社会的に必要な物資がほとんどすべて産業資本家の支配下に置かれた企業で商品として生産されるようになったのである。そこでは、社会全体が商品の集積で成り立つ条件として、労働力商品という、自らの能力を商品として資本家に売り渡すことでしか生活できない階級、つまり「自由でない」直接的生産者という階級の存在が前提とされることになったのである。

 この「自由な商品所有者」と「自由でない直接生産者」の階級対立は20世紀前半までは鮮明であった。たとえば、資本主義諸国の大都市には必ず「労働者居住区」という貧民街があった。また、19世紀中葉にアメリカで南北戦争に勝ったリンカーンは、奴隷解放を行った「自由の旗手」として有名であるが、「解放」された黒人奴隷たちは、決して自由ではなく、北部の資本家が経営する工場に労働者として雇用されるしか生きる道がなかったのである。その結果、20世紀にはアメリカは資本家的自由を謳歌する国に発展して行くことになったが、アフリカ系の労働者たちは、彼らの公民権運動が法的な最低限の権利を勝ち取る1960年代まで実質的には奴隷化されたままであった。ただそれはあからさまな人身売買的奴隷としてではなく、「自由な労働市場」で労働力を買われる賃金奴隷としてではあったが。そして現在も形を変えてさらに広範な広がりと深さをもって「自由でない直接生産者」の世界を存続・拡大させつつあるのである。

 さらに言えば、この自由貿易主義は、すでにそれが行き詰まり植民地獲得戦争となった第一次世界大戦を経て、1930には完全に破産していたと言ってよいだろう。アメリカ、イギリスなどの先進資本主義諸国に対して、ドイツ、日本など後発の資本主義諸国が、世界市場の獲得戦で不利な立場に立たされていたことから、世界経済圏のブロック化を進めようとしたのである。結局これは武力による対決という形に発展してしまったが、当時一方で、世界のかなりの部分を占める国々で、非資本主義化(いわゆる「社会主義化」)を進める運動が進んでいた。この三すくみ状態での戦争が第二次世界大戦であったのだが、そのため、先進資本主義陣営はその危機的状態に対応するために純粋な自由市場を一部否定し、国家が金融市場を通じて経済に介入し、国家による一定のコントロールによって自由市場での行き過ぎやアンバランスがもたらす経済の混乱(恐慌)を防止しようとした。そして同時にそれは慢性化した失業率の増大とそれによる労働運動の激化と社会主義化に対する防護策として雇用を生み出すことも狙いだった。

 ルーズベルトによるこの政策はイギリスのケインズらの経済に対する考え方を参考としたと言われているが、実は、戦争による短期間での大量消費が、この新経済体制を成功に導いたと言われている。

 そして戦後アメリカ資本主義が世界の主導権を握ることになり、ドルが世界基軸通貨として流通し、東西冷戦下で大量消費の一つの典型である軍需産業が活況を呈するようになった。一方アメリカの労働者階級は、政府のケインズ型消費主導型経済政策のもとで、賃金の相対的高騰により余裕ができた生活資金を生活資料商品に消費させられ、結果的に資本がそれを利潤として回収できる経済システムに置かれることとなり、いわゆる生活消費財の大量生産大量消費の時代が始まるとともに、他方でスターリン体制のもとで一党独裁、一国社会主義政策が採られるようになった社会主義諸国に対して、アメリカが「自由主義の母国」と言われるようになったのである。

 しかし、このアメリカ資本主義の黄金時代も労働者階級が「中産階層化」していく過程では国内市場の伸びが順調だったので保つことが出来たが、ベトナム戦争に参入し始めた1970年頃から揺らぎ始め、敗戦国日本やドイツでのアメリカによる対ソ経済防波堤化戦略のもとで、国内の資本家企業が復興のため関税などで保護育成され、労働賃金もアメリカより低かったため、新興の産業資本家から送り出される輸出商品が世界市場を席巻し始め、アメリカは関税撤廃による自国の商品市場の確保に乗り出したのである。彼らのスローガンは変動為替制の確立で各国通貨の調整とそれによるドル価値の維持を行うことと、「自由貿易」であった。

 一方、「資本主義体制内での社会主義的経済政策」と言われたイギリス労働党政府のケインズ的経済政策も、労働者の「過保護」による労働生産性の低下が国際市場での不振をまねき、失業率が高止まりし、社会保障を賄う国家予算の懐も怪しくなって、いわゆる「イギリス病」に陥ってしまった。そこにサッチャー率いる自由経済主導グループが台頭することになり、アメリカのレーガンとともに「小さな政府」を目指す動きが進んだのである。その背景にはハイエクらの主張する新自由主義という思想のバックアップもあったと言えるだろう。

 そしていま再び「自由貿易の行き過ぎ」が俎上に上がっているのである。1930年代と違っていまやグローバル資本主義経済の主導権をにぎりつつある「社会主義国」中国の台頭を背景として。その意味ではトッド氏が指摘する「自由貿易の矛盾」がなぜ繰り返されるのか、何が本当の「自由」なのか、だれが「自由の主人公」なのかをよく考えなければならないのである。

 すでに述べたように、「自由貿易」や「自由な市場」を要求するのは、生産手段を含め、社会全体が必要とする富を個人で「私有」する特権を持った人々(資本家階級)であって、大多数の直接的生産者である労働者階級の人々は、資本家たちの「私的所有の自由」や市場での「競争の自由」のために、働く自由も、生活する自由も奪われているのである。いまわれわれの日々の生活の中でますますそれが明らかになってきているではないか。そしてその上で「民」とは誰のことなのか?「民主主義」の主人公は誰なのかをもう一度点検し直すことが必要であろう。

 さてこうした「自由貿易」という資本主義経済の基本コンセプトとともに、それが持つ「グローバル化」の必然性について次に考えて見ることにしよう。

(続く)

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