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2011年2月18日 (金)

アメリカ民主主義のジレンマ

 チュニジアの「市民革命」に続いてエジプトでも「市民革命」が今の段階では成功をおさめている。アラブ諸国は古い王族の支配のもとで石油利権による潤いで経済を成り立たせている国と、チュニジアやエジプトのように石油ではなく観光やその他の産業で経済を成り立たせている国では、状況が異なると思われるが、後者の場合も王族の支配を倒した後に登場した独裁的政権が長く国を支配してきた。その中で「物言えば唇寒し」という状況がずっと続いてきたのだが、支配階級が経済的利権を独り占めしたいる問題や、政府のやり方に不満を持つ人々のエネルギーが何かちょっとしたきっかけで爆発する条件はそろっていたのだろう。

 アメリカ政府はこれらの独裁的政権と、アメリカの「国益」のために同盟を結び、一大石油産地である中東の安定を図ってきたのだ。エジプトは、パレスチナなど中東のアラブ諸国とイスラエルとの対立をアメリカに有利な形で安定化させる役割を果たし、アメリカをテロから護る同盟国とみなされてきた。

 アメリカはアルカイダなどの国際テロ組織からの防衛という表看板を掲げているが、じつはアメリカ経済にとって中東の安定化は生命線であり、これらの地域が反アメリカになってしまうことをもっとも恐れていることは明らかである。

 しかし、一方でそのアメリカの外交政策のもとでそれら中東諸国での被支配階級の人々の生活は低い水準のまま抑えつけられてきた。言い換えれば、「民主主義」を押さえ込むことでアメリカの国益を護ってきたのだ。その矛盾がいま一気に吹き出している。「市民革命」を容認し民主化を認めれば、反アメリカ的政権ができる可能性が強いのである。

 一方でアメリカ国内では、ウイスコンシン州での財政赤字対策として公務員の解雇や労働交渉権の停止などを認める法律案が提出され、公務員労働者が抗議の声を挙げ始めた。

 アメリカ「民主主義」は外においても内においても、その限界を露呈し始めているように思える。本当の「民の声」を尊重すれば、国家経済の基盤である資本主義体制が危うくなり、それを維持するためには「民主主義」を形骸化し、独裁的な支配者を擁護しなければならなくなるのである。

 アメリカ的民主主義が実は資本主義経済の前提の上に立って、その内部の階級社会(労働者と資本家という基本的階級により構成されている社会)での階級対立の構造を「市民社会意識」によって見えなくすることによって成り立っている「民主主義」なのだということが次第に明らかになってきた。

 もちろんイスラム原理主義やキリスト教保守派のような原理主義的宗教による「富裕層」への攻撃がそのまま「階級対立」の現れであるとは言えない。「世界史的な現在」においてもっとも歴史的におおきな役割を果たそうとして、その理路の明確な立場に置かれている現代の労働者階級が、自覚を持った形で、これらの状況に対処して行けるのでなければ、問題は前へ一歩も進めないだろう。

 石油採掘や精製工場で働く労働者、観光産業で働く労働者、州政府で公務員として働く労働者も、その労働において社会にとって必要な人々であり、それらの人々がその権利を主張することにおいては互いに手を結びあって協力することこそあれ本質的には国境はないはずである。しかし、国内的にはそれらの人々の労働から生み出された富を金融資本として吸い上げながら、階級対立を隠蔽する「市民意識」をさらに「国民意識」にまで仕立て上げ、「国益」を看板としながら世界資本主義市場での「国際争奪戦」(これは実は各国労働者階級によるグローバル金融資本家のための代理戦争である)を繰り返す資本家たちが、それと同じ「市民」として「自由に」市民を搾取することが認められているのが資本主義的な民主主義であろう。

 そろそろこうした真実に気づき始めた人たちも少なくないと信じたい。

 

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