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2011年2月 4日 (金)

セルジュ・ラトゥーシュの思想に関する考察(その方法)

 ラトゥーシュが前述のような彼の目標とする<脱成長社会>を実現させるために、その具体的な方法を8つのスローガンで示した。これらについてその内容を見てみよう。ラトゥーシュは以下のように主張する。

(1)再評価する(re-evaluer):「ドミニク・ベルボムが指摘するように、われわれの社会体制を裏返せば、「個人主義的な誇大妄想、道徳の拒否、快適なものへの嗜好、自己中心主義」が顔をのぞかせる。では、優先すべき価値を見てみよう。」と述べ、自己中心主義に替わる「愛他主義」、際限なき競争に替わる「協力」、労働の執着に替わる「余暇の快楽と遊びの精神」制約のない消費に替わる「社会生活の大切さ」。グローバルに替わる「ローカル」、他律性に替わる「自律性」、生産主義的な効率性に替わる「すばらしい手作りの作品」、科学的合理性よりも思慮深さ」そして物質的なものよりも「人間関係」が重視されるべきであり、「真実への配慮、正義の感覚、責任、民主主義の尊重、差異の称賛、連帯の形成、機知に富んだ生活」こそが何物にも代えて取り戻さねばならない価値である」(経済成長なき社会発展は可能か?」p.172)

(2)概念を再構築する(reconceptualiser):「様々な価値観を変革することは、世界を別の角度から眺め、したがって現実を別の方法で理解することを可能にする。概念を再構築すること、つまり意味を定義し直すことと次元を調整し直すことは、例えば、豊かさの概念や貧しさの概念だけでなく、経済思想の根底にある悪魔的な対概念ー中でも希少性/豊穣性の対概念は脱構築せねばならないーにとっても不可欠である。」そして「イヴァン・イリイッチとJ=P. ヂュビュイが明らかにしたように、経済は、自然の搾取とその商品化を通じて物質不足と(依存的な)欲求を人工的に造り出すことで、自然の豊穣性を希少性に転換する」(p.174)

(3)社会構造を組み立て直す(restructurer):「「再構造化」とは、生産装置と社会関係を諸々の価値変化に応じて調整することを意味する。このような構造転換は、支配的な価値体系を揺るがすだけに、一層根元的なものであろう」(p.175-176)

(4)再配分を行う(redistribuer):「社会関係の再構造化は、すでに事実上の再配分である。再配分は、階級間、世代間、諸個人間といった各社会の内部にとどまらず、北側諸国と南側諸国との間における富および自然資産へのアクセスの分配も含む。」「再配分は、消費の削減に対して二重の効果をもたらす。直接的には「グローバルな消費階級」の権力と手段、特に私服を肥やす略奪者たちの寡占体制が保有する権力と手段を削減する。間接的には誇大妄想的な消費への勧誘を削減する」(p.176)

(5)再ローカリゼーションを行う(relocaliser):「思想は越境的な性格を有して然るべきだが、商品と資本の移動は必要不可欠な範囲に制約されねばならない。...再ローカリゼーションは経済的な領域のみにとどまらない。政治、文化、生活の意味こそが生活圏においてそのその立脚点を見いだす必要がある。地域レベルで実行可能なあらゆる経済的、政治的、文化的な決断が、地域規模でなされなければならない」(p.178)

(6)削減する(reduire):「第一にわれわれの生産様式と消費様式が生物圏に与える影響を縮小することを意味する。まずわれわれの生活習慣となっている過剰消費と信じられないような贅沢な食生活を制限する必要がある。...(中略)...ゴミの削減、保健衛生上のリスクの削減から労働時間の削減は、慎重に慎重を重ねた予防策によって達成されねばならない。もう一つの削減は、大衆のツーリズムである。ツーリズムは「世界の公衆環境の最大の敵」とみなされるようになるだろうし」膨大な数のツーリストの移動によって消費される石油の量は膨大である。そして「最後に労働時間の削減が必要である。われわれはこれを反失業の政治闘争を通じて成し遂げるであろう。仕事をしたいと望むすべての人々が雇用されるようにワークシェアリングを実施することが大切だ。労働時間の削減は景気循環や個人生活の周期にともない人間の活動が変容する可能性と折り合いをつけて実施されねばならない。...(中略)...何よりも大切なことは、生産主義のドラマの中心的な要素である「仕事」中毒を解毒することである」(p.178-181)

(7)再利用する(re-utiliser)および(8)リサイクルを行う(recycler):ラトゥーシュはさまざまな企業でのリサイクルの試みの例を挙げ、「ここでもまた、企業や消費者を「有徳」な道へと押し出すために欠けているのはインセンティブであるが、そのようなインセンティブを発案することは至極簡単である。足りないのは、そのようなインセンティブを実行に移すための政治的な意志である。

 ざっとこのようなものがラトゥーシュの主張するプログラムである。これを見て、正直私は最初の彼の現状認識で感じた共感がみるみるうちに萎えていくのを感じざるを得なかった。

 では、次に、こうしたラトゥーシュの思想へのトータルな批判と、それを通じて私が考える、近未来社会のとりあえずではあるが「あるべき姿」のイメージについて述べることにしよう。

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