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2011年3月26日 (土)

今後の日本社会を考える(その1 背景)

 多数の死者と不明者を出し、原発の状態はいまだに大きな危機が続いており、油断できないが、壊滅的な打撃を受けた東日本を始め、日本全体が、この大災害を境に、新たな再構築を迫られているといえるだろう。

 現状は、おそらく多大な死と破壊をもたらした第二次世界大戦後の状況にも似た日本社会全体の変曲点にあると思われる。そして世界的に見ても、第二次世界大戦後が、その後の「社会主義圏」と修正資本主義経済体制(ここでは「20世紀後半型資本主義経済体制」と呼ぶことにする)とのせめぎ合いという世界情勢の変化への大きな変曲点であったように、いまは第二の世界情勢の変曲点であると思う。

 1945年の第一の変曲点から後、1980年代末までは、いわゆる東西冷戦という世界情勢の中で、「社会主義勢力」に対抗するために取られた資本主義陣営の戦略が勝っていたと言わざるを得ないだろう。それは、1930年代の資本主義経済体制最大の危機を乗り越えるために取られた様々な措置が、結局は、資本家側にとって致命的な過剰資本の圧迫を、巧みな貨幣価値の操作をテコにして、労働賃金を相対的に上昇させ、それによって労働者階級に生活資料を浪費させることで、労働賃金として支払われた(前貸しされた)貨幣資本を生活資料商品の購入という形で支出させ、それを全体としては資本家側に還元できるシステムを構築したことが功を奏していたと言える。

 そしてそれが同時に労働者階級をアトム化された個人の「消費者」とし、資本家側を「生産者」として位置づけるような意識構造(社会常識という「上部構造」)を生み出し、それによって労働者が正当な階級意識を持つことを巧みに防いできたのである。

 その中で、労働者階級は、「豊かな生活」といわれるような、無駄遣いを推奨・促進させられる「消費生活」を尻押しされ、ものの見事にそれに乗せられて、商品を買うことだけが人生の意義であるかのような生活を行わざるを得なくなった。その「創られた消費欲」を引き金とした経済活動が社会全体を動かす原動力になってきたのである。デザイン労働者(デザイナー)は、まさにその先兵として資本のために働かざるを得なかったのである。

 1970年代から90年代に形成された「中産階級」といわれる人々のほとんど(私自身もこれに含まれる)はそうした人々であろう。有名ブランド商品など付加価値商品によって実際の価値以上の価格の商品を競って買いあさり、そうした商品で着飾った「豊かな生活」をあたりまえのように行ってきた。一方ではそのようにして資本家側に獲得された富は、やがて土地の買い占めや投機に回され、われわれの生活を圧迫することになることも知らずに。そして1990年代には、ソ連を盟主とした東欧のいわゆる「社会主義圏」は、崩壊し、資本主義陣営は、東西冷戦に勝利したのである。

 そうした中で、中国やベトナムなどアジアの「社会主義国」は、依然として共産党の一党独裁体制を維持しながら、実質的に世界資本主義市場の一員となるべく、経済政策の変更を行った。

 東西冷戦に勝利した資本主義陣営は、経済的にはG5やG7という形でのゆるやかな経済同盟を結びつつ、湾岸戦争やイラク戦争などで、「多国籍軍」という新たな軍事同盟を確立し、あたかも世界の警察として「正義の味方」を装うようになっていったのである。しかし、その中で、圧倒的世界人口数を擁する、いわゆる「開発途上国」は常に「先進資本主義国」のイニシャティブのもとに置かれ、経済的な支配権を奪われてきたのである。そうした国々では、一部の独裁者が政権を握り、それら独裁政権が「先進資本主義国」の支配階級と手を結んで利益の分け前を独占してきた。そこに「開発途上国」を中心に国際的なテロ組織などが生まれる土壌が育ってきたと言えるだろう。2001.9.11はそれが象徴的な形で現れ、アメリカ社会はそれ以後大きく変化してきたし、それとは違った形でいま起きている中東諸国での民衆の蜂起にもそうした状況が象徴されている。

 資本主義経済体制が東西冷戦に勝利したことで、資本主義経済体制は、一方で市場を世界的なレベルで拡張し、その中に中国や「途上国」も巻き込まれることになった。しかし他方で、莫大な富として金融資本に私有化されている過剰資本の蓄積は、それへの争奪戦の中で投機的動きに拍車をかけ、また「先物買い」やサブプライム・ローンなどのような「労働賃金の先取り」体制を築く「砂上の楼閣」を積み上げていくような状態となり、それが一気に崩れるべくして崩れることで、さまざまな形の金融恐慌を生じるようになった。もはや末期的症状なのである。

 そしてそれにも増して、地球上に生活するすべての人々にとって深刻な事態がやってきた。地球環境破壊・環境汚染そして資源の枯渇である。

 一方で「消費拡大」がなければ経済が成り立たず、他方で「消費拡大」による資源の無駄使いや浪費が増えれば地球環境の破壊や汚染が急速に進むというパラドックスが誰の目にも見えてきたのである。もはや20世紀後半型資本主義経済体制は明らかに通用しなくなったのである。

 そしていまや中国やアジアの国々にシフトした生産資本が生み出す低賃金労働による巨額の剰余価値とそこでの生産物がアメリカなど消費大国の商品市場で生み出す浪費なしには「先進資本主義国」の経済は成り立たなくなったのである。

 こうした世界情勢の劇的な変化の中で、今回の日本の大災害が発生した。だからわれわれは、いまそのような背景を踏まえて、今後の日本社会を再構築するためのラフスケッチを始めなければならないだろう。(次回に続く)

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