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2011年3月16日 (水)

この大災害の教訓を計画的経済体制への転換点にしよう!

 前回も書いたが、東北関東大震災とそれにともなう重大な原発事故によって、首都圏を含む東日本の経済は混乱状態になっている。

 まずは災害地への救援活動を優先させることは言うまでもないことだが、原発の事故処理はそれと同等の優先実行事項であろう。しかし、これらの優先実行事項をバックアップする経済活動がしっかりしていなければならない。ということは、直接災害を受けていない多くの人々の生活も維持しながら、優先事項を実行させねばならないということである。

 こうした場合に、はるか70年も昔に行われた戦時経済体制を教訓的に思い起こすことも必要であろう。災害地や原発事故地点はまさに「前戦」である。そしてそれをバックアップするわれわれは「銃後の守り」である。銃後から前戦への兵站補給(ロジスティック)を計画的に行うことが決定的に重要である。これらの状況で、可能なリソースの確保と、その必要場面への分配、配送とそれに必要な機材や労働力を確保することなど、を状況の変化に即応しつつ適切に行わなければならない。

 皮肉なことに、あの人類史上最大の「人災」であった第二次世界大戦の教訓がいま未曾有の自然災害の場面で適用されざるを得なくなっているのだ。

 戦時中はいわゆる統制経済体制で、「銃後」の人々は食料品や衣料品の配給によって生活を営んでいた。そこではいまのような「自由市場」はほとんど壊滅していたのである。また「ヤミ米販売ルート」などのような非合法の流通経済が裏で行われ、それによって不当な利益を獲得していた連中もいた。戦後しばらくはこの「非常時経済体制」は続いたが、やがて「自由市場」が復活し、朝鮮戦争特需を引き金として昭和30年代の「高度成長期」へと移って行ったのである。

 しかし、いまやかつて「高度成長期」をもたらした消費主導型「成長経済体制」は世界的に限界を露呈しはじめている。一方で「消費拡大による経済成長がすべてを救う」と言いながら、他方でそれによって地球資源の枯渇や環境破壊を急速に押し進めているという、誰の目にもあきらかな矛盾が現出しているのである。

 中国やインドのような人口が多く、「先進資本主義国」に比べて労働者の賃金水準が低い国々は、資本市場が国際化することによって、労働力商品の価値が国際的に比較できる労働力商品の「価格の差」として表れることになり、相対的に安い商品を国際市場に送り出す結果となり、それによってそれらの国々の資本家たちは莫大な利益を上げている。いまや金融資本の支配下で「金貸し国家」となった「先進資本主義諸国」の経済はこれらの「開発途上国」の低賃金労働による莫大な利益の分け前なしには成り立たなくなっている。しかも中国やインドなどの「開発途上国」の経済は「先進資本主義国」の大量消費によって成り立っているという、奇妙な相互依存関係が成り立っているのだ。しかし、この状態は一方で「大量消費」=「天然資源の浪費と自然破壊」という矛盾した現実があるから可能なのであって、決してその状態を永久に維持できるものではない。

 したがって、これは世界経済における資本の永久的「成長」を前提とした「自由市場」の全面的支配がすでにその限界を露呈していると言えるだろう。「持続的可能な成長」というコンセプトはその根本においてラトゥーシュも指摘しているような「欺瞞」があり、消費主導型資本主義経済体制のもつ矛盾を克服し得ないものである。

 そのようなときに、今回の大災害が起きたのである。そしてその大災害の中でそれを克服するためにはもはや「自由市場」ではなく、コントロールされた計画的な経済体制が必須であることが証明されつつあるのだ。

 この厳然たる事実に、われわれはどう向き合うべきなのかを考える必要があるだろう、おそらく災害が復興すればもとの「自由市場」支配の経済体制が一時的に復活するだろうが、それはそのまま永続できるものではない。いずれ世界的な資源の枯渇と自然破壊が限界に達し、それにともなうガソリンの不足、エネルギー不足そして食料品供給不足などが必ず起きてくる。それに対して従来のような資本主義的な「自由市場」経済は、ただ投機や私的利害の奪い合いによる経済の大混乱を生む(今回の株式市場の状況を見ても明らかなように)以外何ら役に立たないことは明らかである。

 政府はいよいよ本気で将来の日本の経済体制の計画的なありかたを考えねばならなくなった。それはもちろんかつての軍部主導の「戦時経済体制」ではなく、完全なシビリアンコントロールのもとに置かれた計画的経済体制でなければならない。そういう意味で今回の大災害は、歴史の大きな転換点として捉えるべきなのではないだろうか。

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コメント

野口さんの指摘は災害時の計画経済とその先のそれにも触れていて、その通り歴史的転換点となるものと思う。私が追加的に触れて置きたいことは、緊急に立案検討しなければならないであろう計画についてである。まずは福島原発の大きさである。

チェルノブイリ 100万kw(発電出力 以下単位同じ)
スリーマイル 95.9
福島1 1号 46
同 2-5号 78.4
同 6号 110
福島2 1-4号 110
福島総計 909.6
特に3号炉は、プルトニウム(MOX)燃料を使用しておりウラニウムより核分裂率は高い。
先例に較べて約9倍を越える放射線事故が想定されることを知らねばならない。

津波被害者の生活維持、福島原発のクールダウンに次いで、世界最大の計画的避難を検討しなければならないはずなのである。風下側約100km範囲の段階的避難の実施計画そのものである。もしかしたら、250kmの範囲も考えなければならない。世間を騒がすようなことは控えよと云われると思うが、人間の頭脳の単純な予見もまたあらねばならない。云って置かねばならない。

当時福島原発に駐在していた数名のドイツ原子炉技術者は、ただちに帰国したという。またドイツから来た緊急援助隊も、放射線データを自前で測定して、退去帰国の途についたと云う。アメリカのチームも近づかない。

気象データ他から、拡散のシュミレーションはできる。どの範囲を段階的な避難地域とするかは、現在の30km圏のそれとは全く異なる。人口密集地を政治的に排除するといった非科学的な珍奇案の必要もない。次いで避難先の設定、そのための交通等の手段、計画的な物資確保等々の計画である。交通路確保に障害を生じないように、早めに浜岡原発は停止措置に入り、事故防止策を徹底する。避難期間は20年を考えなければなるまい。さてこう考えれば、商売の自由なる商品経済、資本主義体制では不可能と分かる。計画だけで済んで呉れればいいが、そうはなるまい。実施の可能性は、彼等の言葉を使えば、否定できない。放射線量の測定網の設置も緊急の課題である。またその定時的なデータの公開が不可欠であり、その時の突発的な対応についても検討して置かねばならない。現政府だけでは無理と思うし、御用学者ではどうにもなるまい。でも取り組まなくてはならない。避難受け入れ側も計画主体として対応を迫られる。世界的な最大計画主題なのである。海外にも受け入れをお願いする必要も出るものと思う。世界も受け入れざるを得ないはずでは。原子炉の売り手もいるのだから。そしてそこに、世界的な計画経済の端緒も生じる。

東京都での放射線測定値 http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1022
もし大事故の場合 http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1019

投稿: mizz | 2011年3月16日 (水) 15時14分

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