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2011年3月28日 (月)

今後の日本社会を考える(その2 目標)

 追記:この項のサブタイトルは最初「枠組」だったが、内容的には、「目標」というべきことがらなので「目標」に改め文章の一部を訂正した。

(その1)に続いて、今回は、大震災後の日本社会のめざすべき方向のへの模索を試みよう。ところで、このところ新聞やTVでは、「暴動も略奪も起きない日本」を日本の美徳として讃える論調が多く見られる。しかし、本当にそうだろうか?確かに暴動や略奪が起きない、日本社会の風土はこういう場合にある意味で良い方向に機能すると言えるだろう。しかし、おかしいことには声を挙げ、間違ったことに異議を唱えることまでをも、「日本再建への一致協力」という美名のもとに「混乱を生じないように」という自主規制的な雰囲気を生み出し、そのまま封じ込まれてしまう「羊のようにおとなしく」支配階級の意向に従ってしまうのでは困る。

 まず、われわれの社会が目指すべき大きな目標は次のようなことであると言えるだろう。

 第一に、グローバルな資本市場における、私的所有と投機的行為への制限が必要になるだろう。世界的な流動過剰資本を巡る争奪戦の根には、それを私的な利益として獲得しようとする動機が常に存在することと、そのためには社会的混乱など意に介しない投機筋による世界経済の支配権が合法化されているという現実がある。そもそも過剰流動資本の基礎となる「価値」を生み出す源泉は、全世界で資本のくびきのもとで働く数十億人もの賃金労働者の労働である。彼らが、一定の労働時間において自分の生活を維持し、労働力を資本に提供しうるために必要な生活資料に相当する価値を生みだし、それに必要な労働時間をはるかに超えて生み出される膨大な剰余価値を生産手段の所有者である資本家に無償で提供しているという現実、そしてさらに彼ら自身が生み出した生活資料に必要な価値を「買い戻す」ために前貸しされた貨幣資本が生活資料商品の市場においてそれを支配する資本家群に獲得され、彼らに利益をもたらしているという現実、こうして労働者階級から、資本家によって不当に取り上げられた価値が結局は、金融資本という形で資本家階級自体をも支配し、国際的な経済活動全体を支配しているという事実を認めることが必要である。この仕組みが資本家代表政府諸国間の合意の元で「合法化」されているという真実を明らかにして、それを根本的に改める方向に踏み出すことが必要であろう。そのためにはマルクスによる資本の分析が必須の武器になるのである。

 第二に、「私的所有」の意味をより深く考えなければならない。社会に必要な「もの」(直接消費の対象となる生活必需品はもちろんのこと、生活に必要な知識の生成や利用に関すること、物資の流通や分配に必要な手段の生産などを含む)を生み出している労働者が、その生活を維持し、労働力を再生産するに必要な「もの」(上記に述べた生活資料)は、当然のことながら私的な生活において私的に消費し使用するためのものである。私的所有の対象となってはいけないのは、労働者が生活に必要とする土地(居住地)以外の土地や自然環境全体(空気・水・光・森林・動物そしてあらゆる地下資源)、社会全体が必要とする生産手段(交通・通信・エネルギー供給などの社会インフラや社会維持に必要な医療や法律の管理運営機構、教育機関、働けなくなった人々へのサポートなどに必要な社会公共的ファンドである。これらの本来社会・公共的な対象が私的な資本家企業によって私的に所有されることを合法化してきたのが資本主義社会である。その場合、一人あるいは少数の資本家が直接それらを所有するのではなく多数の資本家が互いに資本を分担所有する形をとるのが現代の資本主義的企業である。そのため資本家=経営者という関係が間接的な形(例えば機能資本家であるCEOと実質的資本家である株主や持ち株会社の関係などのように)となっているので、労働者が自ら生み出した価値を取り戻すべく対峙する「資本」の実体が掴み難くなっているというのが現実である。労働者側は、こうした現実に幻惑されてはならない。

 第三に、資本家階級はその商品・資本・金融の市場においてとっくに国境を越えて「グローバル化」されているのに、労働者階級は「国家」という枠組みに押し込められ、「国民感情」とか「国家の威信」とか言う支配階級側のイデオロギーに欺され続けているという現実である。中国を含む資本主義国家群の支配階級は必死になって労働者階級の国際的な連帯と団結の雰囲気を生み出さないように押さえ込もうとしているのだ。にもかかわらず中東諸国ではそれを打ち破って独裁国家の圧政に苦しむそれぞれの国の民衆が互いに共通の立場を意識し始めている。「先進資本主義国」で「民主的な政府」のもとにあるわれわれには関係ないと思っていたら大間違いである。われわれは彼ら多大な犠牲のもとでいまの生活を維持できているのである。そのことを忘れてはいけない。

(以下次回に続く)

 

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