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2011年3月13日 (日)

無慈悲な大自然

 3月11日の午後2時半過ぎ、私はいつものように自転車で街を走っていた。すると何だか様子がおかしい。電線が揺れている、「地震だな」と思いながら走り続けている内に、地面が左右にゆらゆらと大きく揺れ始め、ハンドルをまっすぐに保つことが出来なくなった。電柱は大きくしなりながら揺れ、電線がバタンバタンと音をたてている。揺れはますます大きくなり、周囲の住宅のきしむ音がごうごうと鳴る。電柱からトランスが落ちてくるのではないかとヒヤヒヤしながら蛇行運転した。

 何とか家に帰って、家内に「すごかったな」というと、家の中でも揺れていたとき壁につかまっていたが戸棚が倒れてくるかと怖かったらしい。しかしなんとか戸棚は倒れなかったようだ。

 TVを観ると地震速報が始まっていた。しばらくするとヘリからの映像が映し出された。名取川の河口から津波が押し寄せてくる映像だ。川を逆流する津波と同時に海岸から一気に上陸した津波が住宅を破壊し巻き込みながら、ものすごい泥流になって次々と住宅や自動車を呑み込み、ついに川の堤防を越えて住宅や自動車などのがれきの山を川に落とし込みながら、川を逆注してきた津波と合流する。私は声もでなかった。ただただ自然の想像を絶する猛威の無慈悲で途方もない破壊力の前にこうべを垂れるしかなかった。

 これはSFドラマやCG映像ではない。本当の現実なのだ。突然途方もない大災害が実際ににやってきてしまったのだ。

 時が経つにつれて明らかにされていく被害状況や、次々と映し出されるおそるべき津波来襲の映像は、目に焼き付いておそらく生涯忘れられないほどの恐怖のインパクトを与えた。

 そして、危険が予測されるにも拘わらず、われわれの生活に必要な電力を供給するという名目で造られてきた原子力発電所が、その自然の無慈悲で桁外れの力の前にもろくも危機的状態に追い込まれ、核物質拡散の巨大危険物になることを現実に示したのだ。

 おそらくは一瞬にして一万数千もの命を奪い、家族や身近な友を失った多くの人々の悲しみそのものをも丸ごと呑み込んで、また何事もなかったかのように引いていった津波に対して、われわれは、どうすることもできなかったのだ。日々の生活を営々と営み懸命に生きる人間の世界のことをあざ笑うような大自然の無慈悲な仕打ちである。

 しかし、大自然とはそういうものなのだ。あるときはわれわれに自然の恵みを与えてわれわれの生活を成り立たせ、あるときはそのすべてを奪い去って行く。われわれ人類も自然の一部でしかないことを、いやというほどに思い知らされる。われわれは、決して自然の法則性を超えることはできないのだ。

 だが中東で繰り広げられているような、圧政に苦しんできた人々の革命運動とそれを踏みつぶそうとする独裁権力者たちの無差別攻撃と、この大自然の無差別な破壊とはまったく異なる無慈悲さを感じる。独裁者の無慈悲さは、人類の歴史の流れに逆らおうとする者が、結果的には自らの愚かさを歴史に残すために行う無慈悲さである。しかし大自然の無慈悲な破壊は、自然の法則の下にその無差別さを発揮するのであって、われわれ人類はその法則性を理解することの必要性とその意味の深さを大自然から思い知らされる。それは大自然の一部であり、その法則性のもとに生きる人類の歴史的使命を突きつける無慈悲さなのである。

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