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2011年4月 3日 (日)

今後の日本社会を考える(その5 世界経済の枠組み)

 追記:この項は「ラフスケッチa」というサブタイトルであったが、内容的にはラフスケッチのために必要な問題把握の一環であるため、サブタイトルをこの項の内容に即したものに改めた。

 今回の震災以前から日本社会の未来像を論じる意見は数多くあった。その中で、福祉国家を目指すためのモデルとしてスエーデン型福祉国家と、アメリカ型の自助努力型国家というのがたびたび引き合いに出されていた。前者は高額な税金による税収を年金制などで個人単位での生計を維持させるよりも、社会全体で必要とされる福利厚生的部門にそれを投入し、同時に地方分権型の行政を強化させることで「大きな政府」による負担を分散化しようとしている。労働者の高額な税金への支払い能力を維持するために、資本家的企業での労働生産性を高め利潤率を高めるための同一労働種同一賃金制といった法的な措置を採り労働賃金への資本の配分率を高めようとしている。資本家的企業は福利厚生への支出を政府が肩代わりしてくれるためそれがある程度可能になる。しかし利潤率の低い企業は淘汰されるのである。そのため自ずとその国での産業は国際市場で有利になるような「得意部門」に集中し、そこに労働力も集中することになる。

 しかし、こうした体制がいまの労働力商品市場の国際化という事態のもとでどこまで維持できるのかは分からないし、それが失業者の増大と高額な税負担とのバランスを急速に失わせる可能性は高い。

 一方、共和党が主張するアメリカ的自助努力型国家では、個人の能力に応じた収益を獲得し、それによって個人的な裁量で福利厚生的な支出をも賄えばよい。それが不可能な人々には最低限の保障を確保し、政府はできるだけ「小さい」方がよい、というものである。しかし、この方式が結局はうまく行かなかったために共和党政権は崩れ、オバマ民主党政権が登場したのである。なぜうまく行かなかったのかという問いにはなかなか一筋縄では答えられないが、要するに、個人的利益を追求する「自由」を原則とした資本主義社会においては、結局それはあらゆる能力(労働力)の「疎外態」である資本の表象つまりマネーを私的に獲得することに集約され、際限のない欲望を生み出し、その結果、富は一部の人々に集中し、絶対的多数の人々は、自ら生み出した富を還元されないままに「自助努力が足りない人」と見なされることになるのである。この矛盾が噴出したのが2009年のアメリカである。オバマ政権はこの事態に対処しようとしたが、如何せん、根強く残るアメリカ的「自由と自助努力」の風土に大きな抵抗(ティーパーティなど)を受け、結局中途半端な状態で宙づりになっていると言える。

 スエーデンとアメリカは21世紀初頭における資本主義社会モデルの両極のように見える。スエーデンはヨーロッパ連合の中の中堅国としての位置にあるからこそこうしたモデルが可能だったのであり、アメリカは世界に冠たる資本主義社会のトップランナーであるからこそこういう風土が育ったのであろう。したがって「日本はどちらのモデルを目指すべきなのか?」という問いはナンセンスである。すでに末期的症状が噴出している資本主義社会のくびきから如何にして脱出できるかがいま問われているのだから。

 まず第一に必要なことは、決して増やすことのできない人類共通の「富」である地球の天然資源を資本家的企業やその利害代行政府の国々による奪い合いから護らなければならないということである。そして第二に結局は、無際限な資源の無駄使いと環境破壊に繋がるマネー獲得競争に集約される「消費拡大型経済」を一日もはやく押さえ込むことである。

 この二つは、一国内の問題ではなく国際的な合意にもとづく協定という形が必要であり、この協定を破った国への厳しい制裁を含むべきである。これが可能になれば、まずグローバルに繰り広げられ、すべての資本家と労働者がその渦に巻き込まれながらも誰もそれを止めることができなくなっている「国際的な市場競争」にブレーキをかけることができるようになるだろう。これが第一歩である。

 この第一歩を確実なものとしながら、同時に第二歩としては、各国がこの無益で莫大な資源の浪費を前提とした自己矛盾的な国際市場競争からのプレッシャーがなくなったところでそれぞれの国々が持つ特性にあった経済社会の形成に着手することが必要であろう。もちろんそれは閉鎖的な一国経済体制などではなく、あくまで国際的な分業体制のもとでそれぞれの国が役目を演じる形で行われることになるだろう。

 こうした世界的な枠組みのもとでいま危機に陥っている日本社会の「脱資本主義的」経済構造を考えるべきなのではなかろうか?(続く)

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