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2011年4月 4日 (月)

今後の日本社会を考える(その6 本来の経済システムへの布石)

 追記:この項は「ラフスケッチb」というサブタイトルであったが、内容的にはラフスケッチのために必要な問題把握の一環であるため、サブタイトルをこの項の内容に即したものに改めた。

 さて、前回では、まず世界的レベルでで、無駄な消費とそれによって生じる過剰な資本であるマネーの争奪のための無駄なグローバル市場の競争を抑制することが先決であると書いた。これは地球資源の浪費とそれによる自然環境破壊を防ぐために早急に必要な措置であり、求むべきは、限られた資源や自然環境をいかに持続的にわれわれすべての享受と共存を可能にする合理的な経済システムを確立するかである。大自然は誰のものでもなく自然の一部である人類がその自然の一部としての存在意義と役割を果たすために必要な形で共通にその恩恵を受けることは当然のことであり、大自然が私的利害の犠牲となることは当然許されるべきではない。こういう形での私的利害はいずれ私的立場そのものの足元の大地をつき崩していくことになるのである。これはある意味で「大自然の公理」である。

 いずれは、国際的な合意の元で無駄な消費の拡大と私的利害追求のための資源獲得競争を抑制するための国際的監督機関が設立されねばならなくなるだろう。これがグローバル資本主義経済体制崩壊への第一歩であり、世界レベルでの計画経済への第一歩である。

 セルジュ・ラトゥーシュが指摘するように、いま資本主義陣営が掲げだした「持続可能な経済成長」という看板はいうまでもなくナンセンスである。彼らのいう「経済成長」は資本の成長であり、労働者階級の生活や人生の成長ではない、いやむしろそれを根本的に阻む物だからである。いまは莫大な資本蓄積という形に抽象化されている過去のあらゆる具体的労働の成果をそれを生み出してきた労働者階級に取り戻すことが必須である。その「取り戻し」はもちろん労働者の個人的な利益としてではなく、労働者階級が共通に必要としている社会的な共有ファンドとして還元されるべきなのである。

 そのためにも、いまのブルジョア政党(民主党や社会民主主義者の一部の含む)の打ち出す資本家的私有の合法化にもとづく税制の根本的な誤りを明らかにし、その過程で、いかに資本の成長を押さえ込み、それによる無駄な私的利害追求のタネをなくすかを考えることが必要なのである。

 その上で、人類が共有すべき大自然の恵みをいかに合理的にしかも節約しながら、人類の生存や活動そのものが大自然の物質代謝の一環として組み込まれるような経済システムを築き上げていくことが必要であり、それこそが真の意味での持続可能な経済体制なのである。

 CO2を削減するために火力発電をやめ「クリーンエナジー」である原発に切り替えるなどというサルコジ首相の主張は笑止千万である。またグリーンインダストリーと言われる「環境保全のための産業」を盛んにし、そこに雇用を確保していくというオバマ大統領やその”まねっこ”の菅さんの経済政策も間違っている。「持続可能な成長」と銘打ち消費を際限なく拡大し、それに必要なエネルギー供給源を増やそうとすること自体が間違いなのである。それは一言でいえば「資本のエゴ」以外のなにものでもない。今回の大災害と原発事故に遭ったわれわれにはそのことがはっきりと見えるのである。

 このような合理的で持続的な経済体制を可能にするためには、社会を支えるために働く人々が自らその生産と消費のシステムを直接に共同管理することが前提である。社会を支えるための労働が資本という私的所有の形態によって管理運営され、その結果が私的利害追求のための市場を通じて資本の増殖を媒介しなければ社会に還元し得ないという資本主義社会の矛盾はもう繰り返してはならないのである。

 (続く)

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