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2011年4月16日 (土)

閑話休題「ナバホ」の世界

 先日NHK BS-TVで放映していたある番組が、久しぶりに私の心にある感動を呼び起こした。

 子宮がんが再発し、摘出手術を受けたもののいつ再発するか分からないという状況で生きる女優の原千晶さんが、アメリカ先住民ナバホの居留地を訪問したときの記録である。

 なぜ原さんがナバホの居留地を訪れようとしたのかその理由は見落としたが、原さんは彼らの一人をガイド役としてその家族との夕食に参加した。ナバホの人々は広大な荒野の一角で羊を飼い、トウモロコシを栽培して実に質素な生活している。

 原さんがまず彼らに投げかけたのは、「幸せとは何か?」という問いであった。ナバホの若い人々は、結婚して家族を持つこと、羊や牛を飼えること、などと答えていたが、少し年配の人たちは、美しく生きることだと答えていた。夜明けに祈りに出るときその夜明けは美しい、夕暮れもまた美しい、と彼らの中の一人の男が言った。この美しく生きるろいう言葉の意味が、最初あまりピント来なかったが、やがてそれが彼らが語り継いでいる一つの詩でだんだん分かってきた。そのナバホ語の詩はこういうものだ。

 私は晴れやかに美の中を歩む

 私の前にある美の中を歩む

 私の上にある美の中を歩む

 私の側面にある美の中を歩む

 そしてその歩みは美の中で終わる

 つまりわれわれはつねにどこにいても「美」に囲まれてているのだ。その中で生きているということこそ幸せなのだ、ということである。

 結婚を間近に控えているという一人の若い娘は、寂しくなるとときどき先祖に会いに行くという。原さんは彼女と一緒にそこに行った。そこにはときどき動物の姿になった先祖たちがやってきて娘に語りかけるという。あるとき二羽のイヌワシが彼女の頭上を輪を描いて飛んだ。彼女はすぐにそれが祖父と祖母であることが分かった。彼女は自分が寂しいことを告げると二羽のイヌワシは彼女の心に「いつもおまえと一緒に居るのだから寂しがることはない」と語りかけてくれたというのである。原さんは彼女の話を聞きながら涙を抑えることができなかった。

 原さんは、次に荒野のまっただ中の古い小屋でたった一人で生活するナバホの老人を訪ねた。老人は英語がうまくないこともあってか、無口でいつも笑わない。ガイド役の男が介添えをした。原さんは老人がなぜこんな荒野の真ん中に一人で暮らしているのかを尋ねた。すると彼は「私はここで生まれた、そしてここが私の住む場所だからだ」と答えた。疑問の余地のないほど単純で明快な答えである。

 そして最後に、原さんは、この老人が「死」についてどう考えているかを問うた。それはいつも「死」を意識している原さんにとってもっとも重い問いであったと思う。老人は介添えの男を通じて次のように答えた。

 われわれナバホは「死」については語らないし、そんなことは考えない。それは考えてはいけないことなのだ。われわれはいつも美の中に生きている。それだけで充分ではないか?

 原さんは「あ〜、そうなんだ。まったくその通り。もうグーの音も出ない」としばし感慨に浸っていた。

 最後にガイド役の男は、粗末な片張り太鼓を持ってきて、それを叩きながら上の詩をナバホ語で唄い始めた。哀調をもったアイヌの叙事詩の唄に似ている旋律だった。しかし、それは英語では表現できない力強い意味を持った言葉だと彼は言っていた。

 1万年も前にわれわれと同じアジアの一角に住んでいた彼らの先祖たちはベーリング海峡を渡って、アメリカの地に移り住んだのである。そしていまヨーロッパやアフリカなどから来た異邦人たちに先祖から受け継いだこの地を支配され、彼らの「消費文明」を押しつけられようとしている。

 しかし、彼らが護り続けている、「美」はそんなものよりもずっとシンプルで力強い「生」の世界を持っており、それがこの汚れきった文明社会に生きるわれわれの心を洗ってくれるのだ。

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