« 大震災の生活保障について考える | トップページ | 資本論をめぐる「場所的自覚」の問題 »

2011年5月16日 (月)

 mizzさんのコメントから考えさせられること

 5月2日にここに投稿した私の「朝日新聞「声」欄の投稿から考えさせられるデザイナーの役割」という意見についてmizzさんからコメントがあったことはご覧の通りである。5月2日の朝日新聞紙「声」欄で山田さんが「私は原発造らせた覚えない」という投稿で反論している相手の坂岡さんという方の投稿を4月23日の朝日新聞紙上から見つけて頂いた。その内容はmizzさんのコメントを見て頂ければ分かるが、それに続けてmizzさんが言っている次のような意見がおもしろい。

 「電力も原発も商品であって、売るのは自由です。これが現在の社会的な政治経済の状況です。買う方も自由であって、互いに商品と貨幣の交換が行われることで成り立っている社会です。欲しい商品があるわけではなく、売りたい商品だけしかなく、取引が成立した後は、買った人の自己責任であって、売った方は基本的には、一定の責任以上のものを持たない自由が保証されており、政府がそれを法で支えているのが国の役割の存在ということになっています。ここに本質的な問題点があることを指摘できなくては、ジャーナリズムとしての存在理由を失いかねないところです。商品と物との違いをしっかりと把握しておくことが何といっても基本中の基本です。こうした時に云ってやりたいと思っていた言葉があります。悔しかったら、家庭用原子炉を造って売れって。それができないんだったら、政府とか特定者のみに売るような原子炉はつくるなって。つくらせない自由があるのが分かるだろ」

 まさにその通り!というところである。田中さんも坂岡さんも言いたいところは多少のニュアンスの違いはあれよく分かる。「経済成長で豊かな生活を」というスローガンのもと、次から次へと「消費者の要求」が恣意的に生み出され、「新商品」を買わされ、やがてはそれなしには生活できないような現代のわれわれの生活様式が出来上がってしまった。その結果、地球上の資源は食い尽くされつつあり、その争奪戦が激化しており、廃棄物による自然環境の汚染が危機的な状態になり、人類の生活の物質的基盤そのものが破壊されているにも拘わらず、生活においては、まるで新商品を買うことだけがわれわれの存在意義であるかのようにされてしまったのである。そしていま、まるで大自然からの警告のような大震災によって突然原発が動かなくなると同時に、放射能の恐怖が襲いかかり、電力供給が絶たれ、停電などで家庭生活はおろか企業の生産活動も医療活動もストップしてしまうという事態を生んでしまったのである。

 この事態に対して、これほど危険な原発を「必要」とさせるような社会経済システムを生み出してきた本当の原因を明らかにし、その誤りを正そうとする意見が出てくるのは当然である。

 これに対して「原発を全廃せよというのは非現実的だ」とか「ニッポンをもとのように元気にするには原発は必要だ」などという主張を掲げる連中がいかに罪深い連中であるかは明らかである。彼らは、「経済成長」という名の下に資本を成長させ、「経済成長により豊かな生活が実現される」というあやまった幻想をばらまいて、原発政策の旗を振ってきたことへの反省の色がまったく見られないのである。mizzさんの皮肉はこういう連中に向けられる鋭いとげである。

 朝日新聞などは、原発廃止論に近い意見を掲げているが、その一方で、「経済成長」の本質が何であったのか?そしてその結果、われわれの生活が本当に豊かになったのか?という根本的な問題を完全に回避しており、見せかけの「リベラル」でしかないことは見え見えである。

 問題は、膨大な無駄な消費を、あたかもそれによって人類が豊かになれるかのように吹聴し、そのために、「経済成長」が必須であると言い聞かせ、グローバル資本を国際市場競争に勝たせるために毎日働かされ、それにも拘わらず(というか、だからこそ)生活が少しも楽にならない労働者たちをだまし続け、挙げ句の果てに原発がなければ成り立たないような生活様式を生み出し、そして震災でそれが崩壊したにも拘わらず、「ニッポン再生のためにがんばろう」などとハッパをかけて、生活を維持するために馬車馬のように働く労働者のしりをさらに叩いているのである。そして、崩壊した原発の中で命がけで働く修復労働者たちは、東電社長の何十分の一かの賃金で恐怖に充ちた地獄で働かされているのだ。

 一方で、こうして欺され続けて「豊かな生活」を夢見て働き続けてきた労働者から、日々の労働で搾取され続けている剰余価値は、資本の利潤として蓄積され、やがてすべての資本の上位に位置し、すでに過剰となった資本を「消費拡大」によってさらに増加させ、国際的な競争によって資本家間で再分配しようとするグローバル金融資本のもとに蓄積される莫大な富として資本家階級の支配を築いているのである。そして彼らに「雇用」されることなくしては生活することができない賃労働者を日々再生産しているのである。

 もういちど、よく考えて見よう。目の前で起きている事態の歴史的な意味を!

|

« 大震災の生活保障について考える | トップページ | 資本論をめぐる「場所的自覚」の問題 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/51685138

この記事へのトラックバック一覧です:  mizzさんのコメントから考えさせられること:

« 大震災の生活保障について考える | トップページ | 資本論をめぐる「場所的自覚」の問題 »