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2011年5月13日 (金)

大震災の生活保障について考える

 3月11日から、はや2ヶ月が過ぎ、そろそろ救援や支援活動の正念場が来たような気がする。被災した人々の生活保障も、災害の規模の大きさから当然のことながら莫大な金額が要求され、「資金難」からいろいろな面で壁に突き当たっている。

 ボランティア支援活動にも行かず、せいぜい義援金を拠出するくらいしかやっていない私にあまり生意気なことは言えないが、大震災の生活保障について私なりにマスコミや政府の視点とは違った視点から考えてみた。

 現代のように資本主義社会の仕組みが「あたりまえ」な日常的常識となっている場合、例えば、ローンを組んで高額の家を買い、それが津波などで破壊されて、土地の改良を含めて家を建て直すためにはさらに高額な資金が必要となり、2重、3重のローンを組んで「借金地獄」とならざるを得ないのは当然と思われている。

 これに対して、政府や自治体の補助はわずかな金額しか出ない。なぜなら政府も自治体も「資金源がないから」というのである。原発事故での放射能汚染による「強制移住」や農作物の被害に対する保障は原発の建造・所有者である東京電力が行うことが当然と思われている。だから東電が会社として潰れないように(東電が潰れると電力の供給がなくなり産業が成り立たなくなるからという理由で)するために政府が税金で国民から徴収した資金を使って東電の保障を支援することが「あたりまえ」と思われている。

 しかし、よく考えてみると、そもそもわれわれの生活はわれわれが働いて生み出した生活資料(家なども含めて)をわれわれ自身が使う(消費する)ことで成り立っているのだ。その生産と消費の間にあって、そこから生み出されるわれわれの労働の成果の大半を占める「剰余価値部分」を吸い上げることで利潤を得ながら成長する「資本」という怪物が存在するためにおかしなことが起きているのである。

 本来、われわれがわれわれ自身の生活を維持するために働いて生み出す社会的な財は、ふつうそれだけには留まらず、それを超えた量の社会的財を「剰余価値」として生み出すことができるのである。社会的な生産力が高まり、一人当たりの働き手が生み出す価値の量が飛躍的に高まっている現代社会では、本当は、労働時間の7割以上が、この剰余価値部分を生み出すために費やされているといってよいだろう。

 この剰余価値部分は本来ならば、われわれ自身が大災害などの異常事態で普段の生活で必要な生活財の量をはるかに超えた財が必要になったときのために備蓄して置かねばならない「社会的共有ファンド」なのである。だからそれは私的な企業を経営する資本家が自らの利潤を維持獲得するために吸い上げてはならない財なのである。

 しかし資本主義社会においては、この社会的共有ファンドが私的企業の運営のために「合法的に」吸い上げられ、働く人々は自らの生活を日々維持するため(つまり労働力を維持するため)に必要な資金だけを「賃金」として前貸しされるのである。そしてこの前貸しされた資金を、生活財を作っている資本家的企業に支払って、われわれ自身が生み出した生活資料を買い戻すのである。しかもその生活資料はそれを作っている労働者を雇用している資本家(生産企業資本家と呼んでおこう)からそれを買い手に届けるまでの流通販売システムを担当する資本家的企業(流通販売企業資本家と呼んでおこう)に売り渡され、そこでの中間搾取を得た後に初めてわれわれが買い戻せるようになるのである。

 言い換えれば、われわれ社会に必要な生活財を生み出す労働を行っている者たちが、そこから生み出される財の大半を生産企業資本家や流通販売企業資本家の利潤として無償で提供し、彼らの利益が「成長」することによって、彼らから「雇用」を与えられ、賃金を前貸しされることで初めて自分たちの生産物を買い戻すことができるのである。こんな馬鹿げた話が「あたりまえ」となっているのが資本主義社会なのである。

 しかもこうして「産業の担い手」になりすました資本家達の利益を守るために「民主的な方法で」選出された代表が政府機構を作っているのだから、政府の人々は当然これを当たり前のことととして常識化することに努め、その労働の成果の大半を資本家のために捧げている働く人々から、さらに税金を徴収することになるのである。資本家から前貸しされた労働力維持のための資金である労働賃金(これは資本家にとっての価値を生み出す資本つまり可変資本であり、労働者の所得では決してない)を所得としてみとめ、そこから所得税を取り、生活に必要な家や住むために必要な土地(これらは資本家的企業がそこで労働力を搾取して利益を獲得するために必要とする工場やオフィスおよびその敷地とはまったく社会的な意味の異なるものである)を「固定資産」と解釈し、そこから固定資産税を取るのである。

 かくして、今回のような大災害においても、企業はおろか自治体も政府も被災した働く人々を「資金難」という理由で再起不能の状態に追い込むか、より条件の悪い労働者として資本家的企業にその労働力を提供するように仕向けるのである。そしてその上、財源難を理由に全国民から新たな税金を取ろうというのである。

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