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2011年6月 6日 (月)

 結局民主党は自民党「左派」だった

 前回の「菅首相不信任案決議を観て」を書いた後で、事態はまた変化し、菅さんが「目途のたった段階でやめる」というのは具体的にいつのことか?という「菅降ろし派」の質問に菅さんが答えず鳩山さんの怒りを買ったのち、「自民公明との大連立」という流れになってきた。

 私の前回のブログに対するmizzさんからのコメントに「自民公明と殆ど同じ立場に身を置くかぎりは、政党としての支持を得ることはできないのは自明だが、マニフェスト復帰もないとなれば、首のすげ替えを3回続けることもないだろうから、早々総選挙となる。総選挙の繰り返しと大連立含みになるのも避けられないが、その経過の中で、民主的な選挙の本当の意味が分かってくることだろう」という指摘があった。

 まさにその通りというところ。結局は「選挙対策」でしかなかった「マニフェスト」とそれが当然のことながら瓦解していく中で、民主党の本質が実は「自民党左派」でしかないということが明白となった。

 われわれはもう欺されてはならない。週間××などの過激な見出しに惑わされず、来るべき選挙を見据えよう。いま世の中がどうなってるいるのか、世界がどう動いているのか、そしてなぜそうなっているのかを冷静に見極め、大震災を巧みに利用して「ニッポン国のためにがんばろう」などというまやかしの旗印に決して乗ってはいけない。主人公は、「幻想共同体」としての「ニッポン国」などではなく、日々の労働の中でわれわれの生活を築き上げている個々の働く人々であり、そういった諸個人が日々直面している現実に踏まえた問題提起でなければならないはずだ。

 なぜ「消費拡大」が叫ばれながら現実にわれわれの生活は良くならないのか?なぜみんなが一生懸命働いても世の中全体がおかしな方向に行ってしまうのか?誰があのような危険な原発がなければ成り立たないような、「浪費の成長」しか生み出さない馬鹿げた経済の仕組みをつくったのか?そしてこのような眼前の現実を意図的に覆い隠すような「ニッポン・イデオロギー」に欺されることなく、日々われわれが直面している問題の背後にある巨大な「資本」という怪物の存在とその本質を見抜くことが必要である。

 現実に社会を支えるために日々働く人々が「消費者」という形の資本の「賃金奴隷」に貶められ、すべての労働者の労働の成果は資本として蓄積されあらゆる労働を市場経済の法則のもとに支配しているにも拘わらず「自由と民主主義」を看板ににしている国「ニッポン」とはいったい何なのか。いったい誰が「自由」なのか?「民」とはいったい誰なのか?

 その「ニッポン」を支配している政治経済機構そのものがその本質的矛盾ゆえに必然的に崩壊しかけているいま、それを「ニッポン国」という旗印の下に、もとにもどすために「修復」するのではなく、それとは本質的に異なり、働く人々が「消費者」であると同時に「生産者」であるような、本来の主人公になれる新しい政治経済の仕組みを築くための議論が必要なのではないか?

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