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2011年6月13日 (月)

資本の拡大再生産から見る過剰資本の処理形態について(その5ー不生産的消費財)

 前回では、大内力による「国家独占資本主義」社会での過剰資本の処理形態の分析について述べたが、その中で述べられていたようにデザイン、広告宣伝、そして第3次産業の隆盛がこの社会における過剰資本の処理形態の重要な一部となっていることが指摘されていた。そこで今回は、マルクスによる総資本の拡大再生産表式とこの「国家独占資本主義」における不生産的生産による過剰資本の処理の関係について考察しよう。

 マルクスは、社会的総資本が拡大再生産を続けていくためには、社会全体で生産される生産手段商品(I 部類)の価値構成と生活手段商品(II 部類)の価値構成の間に、I(v+m)>II(c)(もちろん、ここで言う c:不変資本部分, v:可変資本部分 ,m:剰余価値部分という商品の価値構成はすべてのI 部類とII 部類商品に含まれている)という関係が維持されていることが条件であると言っている。これはあくまで資本が生産的に機能している場合の話である。資本が生産的に機能するというこことは、蓄積された資本が資本家の生活手段に回される部分(本来の奢侈品もこれに含まれる)を除いてその他の剰余価値部分のすべてが次の拡大再生産のために用いられ、それによってあらたに増大した利潤を資本家にもたらすという場合のことを言っているのであって、過剰資本が形成されると、それがあらたな拡大再生産に結びつけられなくなるために、資本家にとって大きな圧迫となってくるわけである。そのため、資本家はこの過剰資本となった部分を不生産的に処理しながら拡大再生産表式を維持し続けようとするのである。

 国家独占資本主義においては、大内力によれば、まず貨幣価値を金本位制から離脱させ、中央銀行による一定程度の貨幣価値のコントロールを可能にさせるとともに、インフレ政策などによって資本の循環過程でGの価値を少しづつ低下させながら、それを利用して労働賃金を見かけ上高騰させて労働者に消費財をどんどん買わせる仕組みを生み出したというわけである。

 そのため、国家独占資本主義における労働者の生活手段は、そのような位置づけを与えられ、「不生産的消費」のための生活手段という形に変質していくことになる。もちろんここには生活必需品としての消費財が含まれているのだが、それとともに「不生産的消費財」が入り込み、全体としては「豊かな消費生活」という外観を与えることになるのである。現代のデザイナーは、この「不生産的消費財」の購買を増大させることが資本家によるミッションとして与えられた職能なのである。

 「豊かな生活」という外観を持った、国家独占資本主義社会においては、一方で資本家階級が、実質的には何ら生産的労働を行っていないにも拘わらず、単に生産手段を所有しているという理由で「生産者」と呼ばれ、他方で、日々生産的労働を行っている労働者階級が、それにも拘わらず「消費者」と呼ばれ、消費においてしか存在意義のないかのような実存を与えられるという状況を生み出し、それによって労働者階級としての意識を失わせしめられ、プチブル的意識のもとに置かれることになる。そこでは、デザインの良い生活財が要求され、レジャーや教養が生活の中で要求され、一戸建ての住宅でガーデニングを楽しむ人々があふれるようになるが、ここでプチブル化した労働者階級によって消費される「不生産的消費財」は、結局、それを生産する資本家の利潤を生み出すための手段であって、資本家階級全体に平均利潤として環流する価値なのである。

 だから、ここで生産される「不生産的消費財」は資本家がその利得の一部と交換する本来の「奢侈品」と同じような外観を持つが、その位置づけはそれとは異なり、可変資本部分 vの一部に組み込まれた「不生産的消費」なのである。言い換えれば、資本家階級にとってそれらは奢侈品的外観をもつ労働者階級の買収費という意味をも持つものなのである。

 資本家にとっては利潤をもたらす限り「生産的」であると言えるのであるが、それが「不生産的」と言われるゆえんは、それが社会全体として本来必要な財を生産するという形にならず、その意味では、無駄な消費、つまり社会的には浪費にすぎない生産だからである。

 それは、人類の共有財産である地球環境や地球資源を資本家の利益のために無駄に食いつぶし、そして石油の浪費によって増やし続ける二酸化炭素を減らそうとすれば電力が不足し、原発を増やして行かねばならなくなるような状態を生じさせながら、その一方でそれがあたかも「豊かな生活」であるかのように演出するための生産なのだ。

 これこそ、現代の国家独占資本主義社会が人類全体にとっては著しく「腐朽化」した社会となっていることを示す大きな証左である。

(続く)

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