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2011年6月10日 (金)

資本の拡大再生産から見る過剰資本の処理形態について(その2ー資本の循環と再生産)

 前回は価値の概念について述べたが、今回はまずその価値が貨幣(資本家に私有された貨幣)から出発して様々な資本の形をとって循環しがら、再び増加した貨幣の形で資本家に回収される「資本の循環」について、さらに社会的総資本の再生産について考えることにする。この分析は資本論 第2巻 第1編「資本の諸形態とそれらの循環」および第3編「社会的総資本の再生産と流通」で詳細に行われているので参照してほしい。

 まず出発点は、資本家が所有する貨幣(G)である。資本家はこれを支払って生産に必要な商品(W)を購入する。この商品の流通過程はG-Wと表記される。そしてこのWは実は生産手段(Pm)と労働力(A)の2種類に分かれる。そして資本家はここで生産手段(Pm)に労働力(A)を結合して、新たな商品(W')を生産するのであるが、ここで、資本論 第1巻で分析された労働力商品の価値が問題となる。つまり労働力商品の価値はその労働力を再生産するに必要な(生活資料)商品の価値(可変資本 v)として取引されるが、実は労働力商品の使用価値は「価値を生み出す」ことなのである。そこで労働力の再生産に必要な価値量を超えて労働させられた結果の剰余価値(m)は、そこで生産された商品の価値として加算される。労働力商品の価値が「可変資本」と呼ばれる所以である。他方、生産手段の価値はただ生産される商品に転移するに過ぎないので不変資本(c)と呼ばれる。

 こうして生産された商品の価値はそれを生産するために購入された商品の価値を上回る価値をもった商品(W')となる。そしていったん生産過程で中断された資本の流通過程が再び始まり、生み出された新たな価値を持った商品が市場に出され、それを売ることで資本家の手に再び貨幣が、今度は最初に支払った金額よりはるかに多い金額の貨幣として環流してくるのである。この過程はW'-G' と表記される。

 結局、資本家は、G-W(Pm+A):W'-G' という形で資本を循環させ、より多くの貨幣のもとで再び次の資本の生産過程を始めることができる。そこでは労働者は再び資本のもとで労働力を売って生活する「賃金奴隷」として再生産されるのである。

 ちなみに、マルクスは資本論 第1巻で、労働者によって一定の労働時間に生み出される価値量のうち、労働者自身の労働力の再生産に必要な価値量 v(直接的には賃金として支払われる)とそれを超えて生み出される価値量 m(剰余価値)の比率(m/v)を搾取率と呼んでいる。

 この資本の循環過程は、それぞれの視点から見ると、G-W...P...W'-G'という貨幣資本の循環という視点、P...W'-G'-W...Pという生産資本の循環としての視点、そしてW'-G'-W...P...W'という商品資本の循環という視点から見ることが出来る。(W...P...W'は流通が中断され、生産過程に入っている過程を示す)

 このうち、商品資本の循環という視点を捉え、社会的総資本の生産を単位循環期間(例えば1年間)で考え、社会的総資本を生産手段商品(I 部類)と生活手段商品(II 部類)の二つに大きく分けて考えると、次のようなマルクスの再生産表式が適用される。生産手段商品においても生活手段商品においてもその価値構成はc+v+mであるが、もし社会的総資本が単に前年度と同じ価値量の資本しか再生産しなかった場合、つまり単純再生産の場合は次のようになる。

 I(v+m)=II(c) (単純再生産表式)

ここでc: 不変資本、v: 可変資本、m: 剰余価値部分を示す。すべての商品はその価値構成部分でいえば、その生産過程で形成されたこの3つの価値部分で構成されている。c 生産手段の価値が移転した部分、vとmは労働者がその労働において生み出した価値部分であり、v は労働力の再生産費として資本家が労働者に労働賃金として前貸した資本部分であり、m は労働者がv の形成過程を超えて労働することによって生み出した剰余価値部分であり資本家に搾取される部分である。

 この単純再生産表式の意味は、単純再生産においては、社会的総資本の生産手段商品部類の可変資本部分と剰余価値部分の和が、生活手段商品部類の不変資本部分の大きさと同じであることが単純再生産の条件であるということである。

 実はこのことはかなり重要な意味を持っている。つまり、生産物としては生産手段であるI 部類の商品は両部類の資本家によって買い取られるが、一部はII 部類の資本家が生産した生活手段商品と交換され、I 部類の労働者と資本家の生活資料として消費される(単純再生産の場合は資本家がm部分をすべて自分の生活資料として消費すると考える)。一方、II 部類の資本家はI 部類の資本家から購入した生産手段を(不変資本 c として)用いて生活手段商品を生産する。残りのI 部類の生産物はI 部類内部の資本家によって生産手段として用いられ、残りの II 部類の生産物はII 部類の内部で資本家と労働者の生活資料として消費される。

 言い換えれば、I 部類とII 部類の間で行われる流通においては生産手段を生産する資本家のもとで働く労働者が前貸しされた労働賃金vとその労働者が生み出し資本家によって取得された剰余価値mが、II 部類の資本家が生産する生活手段と交換され、同時にそれと等価値の生産手段商品が、生活手段を生み出す資本家の生産手段として買い取られるのである。そしてこの交換関係が社会的総資本の単純再生産の条件となるのである。

 ここでc は過去の労働の成果を示す価値部分、vは新たに生み出されたつまり現在の労働の成果を示す価値部分、そしてmは新たに生み出された価値のうち本来ならば未来のために蓄積されるべき価値部分と解釈できる。そのような意味からは、まず生産手段生産において新たな価値を生み出すことが生活手段に生産手段を与える条件となると言えるのである。

 (続く)

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