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2011年6月 8日 (水)

資本の拡大再生産から見る過剰資本の処理形態について(その1ー価値論を巡って)

 私はマルクス経済学の専門家ではないので、これから述べることはむしろ専門家の視点から誤りがあれば教示してもらいたいのだが、とりあえずこのところ考えていたことを何回かに分けて書いてみようと思う。

 まず、資本論で扱われている「価値」の意味について確認しておく必要がある。これは単なる個人の価値観とは次元の異なる経済学的カテゴリーとしての価値である。マルクスはリカードやスミスなどのいわゆる古典派経済学者の唱える労働価値説(価値の源泉は労働にあるという説)を形の上では引き継いでいるように見えるが、そこには根本的な違いがある。それは、「資本」という概念のとらえ方の違いから来るものであって、資本や価値を普遍的なカテゴリーとして考える古典派と異なり、マルクスは価値が経済の法則として捉えられるようになったのは資本主義社会が成立した後であり、それはむしろ労働の結果である生産物が労働者のものとはならず逆に労働そのものを支配する「商品市場経済の法則」となってしまったために、その矛盾がそれを否定的な意味で法則として認識させる基盤を生み出したと捉えているように思われる。

 例えば、資本論 冒頭の第1章「商品」の中で価値が論じられ、価値形成実体が社会的に必要な労働一般であり、価値の量はその労働内容の如何に関わらず、その社会的に平均的に要した労働時間によって決まることが明らかにされているのを見ても、そのことが分かる。宇野弘蔵の説を引用すれば、労働力までもが商品化される経済体制が登場することによって初めて「価値」が概念化され得たのであって、そのことによって、資本主義社会の価値法則を否定し、本来の経済原則(歴史上のあらゆる社会に共通する経済の原則)という視点から、それが社会的に必要な労働に要する労働時間を表すことによってその労働に必要な社会的労働力の配分を決める指標になっていることが明らかにされ得たといえるだろう。

 しかし、この価値は実際の商品市場においては、市場価格という形で現れ、社会的な需要と供給の関係によって決まる値をとることになる。これは資本主義経済が、社会全体に必要な労働を行っている労働者自身がその必要度を把握しそれに従って生産をコントロールする(従って無駄な浪費などさせなくとも済む)という本来の経済体制をいまだ生み出し得ず、資本家が生産手段を私有化し労働力を商品として購入することで商品を生産し、それを売り買いすることで利潤を上げるために、その手段としてしか社会的に必要な生産を行い得ないために、資本家たちが自ら所有する商品を売り買いするという市場経済システムの上でしか労働の社会的配分を行い得ない(だからこそ常に多くの失業者が存在する)ためであると言える。再び宇野弘蔵の説を借りれば、私的所有による商品市場という「回り道」を介しないと経済原則を達成し得ない資本主義社会の矛盾である。

 つまり、「市場経済の法則」として現象している資本主義社会の価値法則は、労働者が社会的生産の主導権を握った暁には、廃棄され、働く人々は価値法則から解放され、したがって賃金奴隷から解放され、本来の経済原則にしたがった計画的な労働力の社会的配分がそれぞれの労働者の自由意志に基づいて行われ、それと同時に原則的に労働時間に応じた社会的富の分配をおこなうことができるようになると考えてよいであろう。

 そのような価値の概念は、現代資本主義社会において、「付加価値」としてもてはやされている利益獲得の手法(ブルジョア社会特有の個人的価値観を利用して市場価格を実際の価値よりはるかに高い価格に設定する手法)で象徴されるような資本家的「価値」(市場価格と価値と価値観とが区別できていない)とは本質的に異なる明快な概念であることをまず明らかにしておこう。

(続く)

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