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2011年6月21日 (火)

資本の拡大再生産から見る過剰資本の処理形態について(その7ー産業構成の変化)

 ここで、こうした過剰資本の処理形態が現在の日本においてどのような社会形態を生み出しているかを社会全体の産業構成(分業種の構成)の変化において考えて見よう。

 まず、戦後復興期といわれた1950年代以降には農業の比率が下がり、それとともに農業から離脱させられた、地方出身の出稼ぎ労働者による安い労働賃金と質の高い労働力をテコに重工業を中心とした製造業の比率が高まっていった。1960〜90年代までの日本の産業構成は、「技術立国」とか「ものづくり大国」といわれ、製造業が大きな比率を占め、それらが輸出によって国際市場で莫大な利潤をあげ、資本の蓄積に大きな役割を果たすようになっていた、しかし、その内容を見ると、50〜70年代頃までは造船・運輸、土木、石油化学施設、生産機械などの生産財が主流であるが70〜90年代頃になると、奢侈品的要素を含んだ家庭用耐久消費財(家電、カメラ、コンピュータなど)が主流となっていったと考えられる。同時に徐々に、いわゆる「第3次産業」がその比率を大きくし、やがて21世紀に入ると「ものづくり」は相対的に後退し、生活資料の販売業(外食産業や量販店など)、広告宣伝、レジャー、エンタテイメント、通信インフラなどの不生産的分野が肥大化していったといえる。

 そしてこの産業構成の変化には、その背後に、資本蓄積の形の変化があったと考えられる。つまり産業資本という形の資本の拡大再生産の比率が少なくなり、各産業資本を総資本として結びつけ統括する立場にある金融資本に蓄積が集中していったと考えられる。それらの金融資本は、世界中のいわゆる「成長産業」をターゲットとしてそこに投資しながら肥大化し、その結果増大する過剰資本を一方では膨大な浪費という不生産的な形で処理しながら、他方ではさらに新たな「成長産業」に投資するということを繰り返していったと考えられる。

 ときの政府はこうした金融資本の流れを「経済活動に必須の血液」と捉えてそれを推進させ、「経済成長」を促しながら、ますます不生産的な産業構成を増大させ、そこに「雇用を創出」していったのである。そこにはつねに採算性の悪い産業の絶滅を静観する態度があった。こうして、労働者階級の生活にとって生命線である、食料生産などの第1次産業の衰退や医療など生活基盤産業の荒廃が進み、教育機関の産業予備軍養成機関化(教育産業という形での教育の資本への奉仕)が推進されたのである。

 現在の日本における労働者階級は、一方で金融資本関係の企業やそれらの投資先である「成長産業」などを中心とした企業に雇用される「新リッチ層」と、製造業や生活資料販売業、物流関係など市場動向の変化をまともに受けやすい業界に雇用される、非正規雇用労働者などを中心とした、「新プロレタリアート」に2極化され、その「格差」が拡大されつつある。後者においては、国際市場において生活費の安い低賃金労働国で生産された商品が価格競争に勝ち続け、それによりこうした業界の資本家は国内の労働者の賃金を圧迫し、法律で護られているために賃下げや解雇が難しい正規雇用労働者とは別に、解雇しやすい法律のもとに置かれている非正規雇用労働者を増やすここで、「国際競争力」を維持しているわけである。しかし一方で正規雇用労働者はその数が増えないにも拘わらず仕事量が増えて行くため、つねに過重労働に晒されているのである。

 それにも拘わらず、増え続ける失業者を吸収させようと、政府はますます不生産的「成長企業」への雇用を創出(そのほとんどは非正規雇用である)させようとしており、その一方で、われわれの生活に必須な労働分野(つまり社会的な再生産に必要不可欠な生活基盤分野)はますます海外労働に依存しつつある。

 生活基盤分野の国際分業化は、本当の意味で、国際的な労働者階級の連携が可能になった世界でならば望ましい形であるが、私的所有の極限的形態である金融資本という形で世界中のあらゆる産業での労働の成果が資本の法則の下に置かれている現在の社会においてはきわめてリスクが高い(労働者階級にとって)といわざるを得ない。

 最後にデザインについて見れば、いわゆる「付加価値」の高い、高価でハイセンスなデザイン商品は「新リッチ層」がターゲットであり、「新プロレタリアート層」はその生活に必要な資料は低賃金労働国で生産された、100円ショップ的なチープなデザイン商品で我慢せざるを得ない。そして「新リッチ」と「新プロ」の間に位置する「新中間層」にはIKEAやユニクロ、MUJIなどの割安で「良質観」を持たせた商品(これらをデザインしているのはリッチな国の若手デザイナーたちだがそれを製造しているのは低賃金労働の国々の労働者である)がターゲットとなっている。

 しかし、ちょっと考えて見よう。本当に社会にとって必要な労働を行っているのは、プロレタリアートたちではないのか! リッチな階層は生産的労働者の労働の成果を吸い上げて不生産的な分野に投資することで稼いでいる資本家から「リッチな分け前」をもらって生活する寄生的労働者に過ぎないのではないか!デザイン労働者はだれのためにデザインしているのか?デザイン労働者自身はリッチ層なのだろうか?ほんの一握りのデザイナーを除いてそのようなことはないであろう。

 われわれは、このような過剰資本の処理形態を構成する社会に成り下がってしまったいまの資本主義社会の産業界の中に「雇用の機会」を見いだすことで満足するのではなく、労働そのものの在り方やその社会的地位、そして社会全体を構成する産業構成の在り方をもっと健全なそして本来あるべき姿に再構成するための計画力(本来のデザイン能力)を持つべきなのではないだろうか?

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