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2011年8月12日 (金)

「ものづくり」を失った国は寄生国家に成り下がる

 市場での商品価格(需要供給関係で決まる)の決め手となる「個人的価値観」と経済的カテゴリーである「価値」とを区別しないのが「ブルジョア経済学者」の特徴であるが、それは「経済成長」という捉え方のおかしさにも表れている。

 経済的なカテゴリーとしての「価値」は、社会的に必要なものを生み出す労働によって形成され、それに要した平均的時間でその量が与えられる。これが経済学の基礎である。「個人がさまざまなものに対して持つ価値観は直接的にはこうした経済的な意味での「価値」とは関係がない。ただそれが、市場での商品価格を実際の価値以上につりあげるために利用されるときにのみ関係が出てくるだけだ。

 それでは資本家も「企業経営」という「労働」を行っているではないか、と言われるかもしれないが、「資本家としての経営」は労働によって生み出された「もの」を売りに出すことで利潤を獲得することが目的であって、つくられる「もの」はそのための手段に過ぎない。実際には、本来の意味で「必要なものを必要なだけ生み出す」ために行われる「ものづくり」の指揮を執る労働者がいれば、「資本家的経営」などはなくとも立派に「もの」は作られるし、その方がはるかに健全な「ものづくり」が行われるのである。

 ところで、いま世界経済を見渡すと、資本主義経済はグローバル化した市場で、「ものづくり」によって経済的な意味での「価値」を生産する国と、それをグローバル市場における需要供給の関係で決まる商品価格として取引する「金持ちの国」との間で大きな矛盾を来しているといえる。

 「金持ちの国」と思われていた国が、実はとんでもない債務国になっているのである。その要因はいろいろあるようだが、結局「金持ちの国」で動いている巨額の金は、「ものづくり」国の労働者が生み出した価値に市場で高い価格をつけて売り買いすることで儲けた「あぶく銭」によるものであるらしい。実際に取引される「現物の商品」は単にその手段とされているに過ぎず、「ものづくり国」の売り手は、買ってもらいさえすれば、それがどう使われようと関係ないのである。

 「金持ち国」では「あぶく銭」で儲けている資本家(ここには自国で「ものづくり」をする資本家はほとんど含まれていない)のおこぼれで他の国より多少よい賃金をもらっている労働者(中間層と言われている)が、デザイン・ブランドや意図的に作り出された流行によって恣意的に生み出される「付加価値」つまり「個人的価値観」に訴えて実際の価値よりはるかに高い市場価格を付けた商品をよろこんで買ってくれるので、その国の資本家はおろか「ものづくり」国の資本家も潤っているのである。

 しかし「金持ち国」の資本家は、「ものづくり国」に生産拠点を移し、低賃金で労働者を働かせて、たまった資本を金融資本に託し、金融資本家は、それを新たな投資先やローン(労働者の賃金の金融資本による先取り)などの貸し付けによって膨らませる。そしてそれに乗じて投機家たちがFXやレバレッジなどというアクロバティックな「金融工学」を駆使してさらにお金を膨らます。

 その結果、お金は、ものづくり国から生み出された実際の価値と交換される量よりはるかに大量の「お金」となって世界中を駆け巡るようになった。その「根無し草」マネーは、つねに株価や為替レートで増えたり減ったりする。

 一方、「金持ち国」の内部では、「ものづくり産業」を支えていた労働者が失業し、価値を生み出さないで「付加価値」を生み出す「サービス産業」や「ものづくり」国の労働者が生み出した莫大な価値や、それを基礎にして強引に生み出した虚飾の「根無し草」マネーを右から左に動かして莫大なお金を手にする金融業が儲け頭になり、それらの部門に労働者が吸収されるようになったため、産業構成が大きく変わった。

 他方で、社会保障制度や医療制度など社会が要求するが、莫大なお金が必要であり、金儲けにもつながりにくい問題に苦慮する政府は、国民にただでさえ高い税金を課している手前、増税もままならず、国債を発行してこれらの「根無し草」マネーの一部を吸収し、これに当てようとしている。

 しかし、その債務額は限界に達し、もはや「金持ち国」は本当は金持ちではないことが白日の下に晒されはじめた。たくさんあるように見えたお金は、実は、一握りの人々が握っていて、実際に社会的に必要な領域には還元されないのである。そしてそれら一握りの人たちが持っている莫大な金額のお金は、実は「ものづくり国」の生み出す莫大な価値に依存しており、本当は「お金持ち国」は、金貸し業的な「寄生国家」に成り下がってしまっているのである。

 そして「ものづくり国」の支配階級も実は、「お金持ち国」の一握りの人たちが投資する資本家企業のもとで、自国の労働者を低賃金で働かせ、そこから生み出された莫大な剰余価値を含む商品を、資本家企業(これには「ものづくり国」の資本家も「お金持ち国」の資本家も含まれている)がグローバル市場で売って巨額の利益を獲得させており、その上前を税金としてはねている。それによって「ものづくり国」の支配層は、国内の労働者の不満を抑え込むべく「経済成長」を押し進め、背伸びしたハイテク技術で安全性に欠けたインフラ整備や原発の増設、さらに海底資源獲得の力となる軍事力を持つために軍事産業を育成しているのだ。

 いまこそ、日本の労働者は自分たちが何とか維持している「中間層」としての地位が、どのような経済の仕組みの上に成り立っているのかよく考える必要があるのではないだろうか?「寄生国家」の中間層の運命はいまや風前の灯火なのだから。そして日本が世界に誇ってきた「ものづくり」の高水準な能力を支えてきた技術者や生産現場(生産現場の労働者は非正規雇用が増加することで、すでに「中間層」ではなくなっている)の労働者たちは、ますます失業の危機に晒されているのだから。

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