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2011年8月 8日 (月)

価値とは何だろう?アメリカ国債格下げを巡って

 アメリカの借金が債務不履行寸前にまでふくらみ、それを先延ばしできる法律がぎりぎりのところで成立したが、国債の格付けが下がり始めた(この格付けを行う会社というのも奇妙な存在であるが)。それ以前からすでにドルの国際為替レートは下がり初め、相対的に円が高くなりつつあった。EU内でもポルトガルやイタリアが危ないといわれ、ユーロ圏中軸国のドイツやフランスがそれを支援しなければならなくなってきている。いまやグローバル資本主義経済の成長を牽引している中国もアメリカの国債を大量に買っているので、アメリカ経済の行方が気になるらしい。いよいよ世界的な大経済恐慌がやってくる前兆かもしれない。

 20世紀前半、世界の主要資本主義国が金融恐慌の前後に、金本位制を離脱し、いわゆる管理通貨制を取るようになったのだが、その後、第二次世界大戦を経て、アメリカのドルが国際基軸通貨になったのも、アメリカの資本主義経済がもっとも巨額の富を蓄え安定成長していたからであろう(ドルは一応金に対する交換レートが決められてはいるらしいが、兌換貨幣ではない)。そのため、ドルに対する他の国の通貨の表示価格の率が通貨の為替レートとして計算されるようになった。

 しかし、国際的な投機筋は、この為替レートの変化による差額変動を「金儲け」のために利用している。ある国の経済状態が危なくなると、その国の通貨で持っていた財産を売って、他の安定した通貨に変える。「かね」で「かね」を買うわけだ。そのため通貨の表示価格 に対する交換価値はさらに変動する。そこでグローバル商品市場での取引が大きな影響を受ける。同じ価値(つまり同じ労働時間をかけて作られたもの)の商品であっても、それと「等価交換」される貨幣の表示価格がもつ実質交換価値が下がってしまえば、利益は減ってしまうからだ。

 いまの資本主義経済が世界市場としてグローバル化しているにも拘わらず、そこで支払われる貨幣の交換価値がいつも変動しているということであり、さし当たりは「金」(「かね」ではなく「きん」である)の現物が安定した蓄財の手段として狙われているようだ。そのため金の価格が高騰しているらしい。通貨価値のアンカー役である金が市場で取引されて値上がりしているのだから、何をか言わんやである。金も商品なのだから仕方がないかもしれないが、そのうちもっとも確実に「価値を生み出す商品」としてグローバル市場で「労働力商品」が取引されることになるかもしれない。これはジョークであるが、なぜジョークなのかといえば、奴隷と違って生身の労働者が市場で取引されることはないからであるのはもちろんなのだが、その他に次のような事情があるからだ。

 同じ価値をもつ商品(同じ労働時間をかけて作られたもの)がグローバル市場の競争においては、なぜ他の国で作られたものに比べ、格段に低い価格で売ることができるのか、その理由は、その商品を生み出すために必要な労働時間が同じであっても、その労働力商品の価格が他の国々に比べて格段に安いからである。労働力商品の価格は、労働賃金のことであり、その価格は、労働力を再生産するのに必要な生活財の価格に等しいからである。生活費の安い国では労働賃金が他国よりはるかに安い価格で労働力商品が買えるために、その労働力で生み出された商品の価値は同じあっても、資本家が奪取する相対的剰余価値量ははるかに多くなるからである。したがってグローバル市場での競争で、労働力が高い国で作られた同じ価値の商品よりずっと安い市場価格で売っても資本家には巨額の儲けがあるのだ。

 もし、労働力商品そのものがグローバル市場に持ち出され売り買いされたなら、安い労働力商品が買われるに違いないのだが、現実には、労働者が、生活の場を他の国に移してしまえばたちまち労働力商品の価格(賃金)がその国の生活水準に近い額(外国からの出稼ぎ労働者の場合はその国の労働者より低い水準になる)まで上がってしまうのである。

 だから労働者を低賃金で働かせるには、生活資料の安い国(したがってその国では生活資料を生産する人々は過酷な労働に晒されているのだが)に彼らを縛り付けておかねばならないのである。言い換えれば、資本がグローバルになっても労働者は低賃金の国に留め置かれ国境を越えられないのである。こうして賃金の高い国の労働者は、つねに、資本家の支配のもとで、賃金が安い国の労働者と競争しなければならなくなり、資本家に利潤を獲得させるために、賃金を抑制されるか労働時間を延長され、雇用が抑制されることにもなるのである。そして賃金の高い国の労働者は、賃金の安い国で作られた輸入生活資料商品を買うことで、低く押さえ込まれた労働賃金で何とか生活しなければならなくなるのである。

 価値とは、もともと社会全体に必要とされるさまざまな労働のうち各人の労働がどのくらいの寄与率であったかを決めるための指標でもあり、それに応じて、生み出された価値が、それを生み出した人々に配分され還元されることになるはずなのであるが、現実には、労働者によって生み出された価値の大半が(おそらくは数百兆円もの富として)、一握りの金融資本家や投機家の手元に蓄積されるか、グローバル金融市場で新たな投資の場を求めて動き回るかしているのである。

 しかし、いくら差益や利子を獲得できたとしても、資本そのものは決して自ら価値を生み出しはしない。価値を生み出す実体は資本と対立した存在である賃労働者の労働だけだからである。

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