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2011年9月 2日 (金)

「強力なリーダー」は必要なのか?

 政界・マスコミ挙げての「菅降ろし」の末、菅内閣が総辞職して、野田内閣が発足した。巷では、5年間に6人もの首相が入れ替わり、「国難」を乗り切る体制ができない、ここで強力なリーダーシップを持った人に登場してもらわないと日本はダメになる、という話でもちきりであるが、本当にそうなのだろうか?

 日本という国は、「強力なリーダーシップ」がなければやっていけないような国なのだろうか?そもそも「強力なリーダーシップ」とはなんだろう?伊藤博文も高橋是清も「強力なリーダーシップ」を発揮した人物なのかもしれない。しかし、彼らは「無知蒙昧の民」を国家体制を維持させるために先導する役回りを果たしたのかもしれないが、時代は変わったのである。本当の民主的国家では、そこに住む人たちすべてが、高い知的水準を持ち、一人一人が、共同体としての「くに」をどうすべきかを主体的に考える能力を持ち、そうした人たちの合意の元に共同体を運営する代表者を選ぶのではないだろうか?

 もし、未だに日本が「親方日の丸」的な国民で占められていて、強力なリーダーを望んでいるのなら、それは本当の意味での民主主義がいまだに根付いていないことの証拠であろう。あえて言えば、それはまだ、われわれの社会が階級社会であることの証拠でもある。

 要は、われわれ自身がもっと賢くならねばいけないのだ。菅さんがやったことが正しいのか正しくないのか、それがどのような背景で成されたのか、そういうことに関心を持ち、たとえマスコミや有名人がいろいろ言っても、自分の考えはこうであると言えるような立場になるべきであろう。

 時代の波にうまく乗ることだけを考えていないで、その「波」の背景と真実を知ることから始めるべきであろう。いまの社会での「時代の波」は、マスコミやインターネットで騒がれると、それが「暗黙の権威」になってしまい、人々は知らず知らずのうちに。その作られた「暗黙の権威」に従っていくような態度をとってしまうという、ある意味でおそろしい社会なのである。そこにその「波」に乗って「強力なリーダー」が登場すればどうなるか、想像してほしい。

 いま必要なのは、「強力なリーダー」ではなく、われわれ一人一人の自立的思考と実存の確立なのではないだろうか?

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