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2011年9月 3日 (土)

朝日朝刊「創発する民主主義」を巡って

 今朝(9月3日)の朝日新聞朝刊、オピニオン欄に、MITメディア・ラボの伊藤穣一氏の「創発する民主主義」という意見が載っている。ちょうど昨日私がここに書いた「強力なリーダーは必要なのか?」という記事に関係しているので、これについて少し考えて見ようと思う。

 ボトムアップ的に、ある状態を生み出していくことを「創発(Emergence)」と言っているが、これは彼のマイケル・ポラニーが言い出したことである。伊藤氏はいまのネットワーク社会でのソーシャルメディアを用いた政治システム「創発的民主主義」の可能性について述べている。そこでは、さまざまな「現場」に携わる人たちが、自分たちで集めた情報をもとに自分で判断し、それらの人々の間で密度の高い議論が戦わされ、その結果全体として、一人一人のレベルを超えた困難な問題をも解決していく方向ができるというのである。 

 伊藤氏は次のように言っている「従来の代表民主主義は、国民が代理人としての政治家を選挙し、彼らに政策決定を委ねていますが、人々が自分で判断し、発信できるようになれば、政治家に何かを決めてもらう必要もなくなるんじゃないか。草の根から、現場から、直接民主主義に近い政治的な秩序が生まれてくるようになるんじゃないか。それが創発民主主義の夢です」さらに「代表民主主義では意思決定の権限が政府に集中しています。しかし、現代の世界は国際関係にしても経済にしても、ものすごく複雑化し。変化も激しくなっている。政治家たちがそれを全部きちんと理解して、常に正しい判断を下すことができるとはとても思えません」そしてさらに「複雑化する世界の中で唯一生き残る方法は、意志決定の権限を分散していくことです。現場主義です」

 私もこの意見には基本的に賛成である。カリスマ的指導者による政治を期待するよりもはるかに民主的な方法であり、いまのネットワーク技術はそれを可能にさせる基盤を持っている。

 しかし、問題は、このボトムアップ的民主主義を担う一人一人の人たちが、すでにあらかじめ、「支配的イデオロギー(支配的地位にある階級の一方的な歴史観にもとづく虚偽のイデオロギー)」にどっぷり染め上げられているという既成事実である。

 例えば、われわれの生活を維持するために雇用を拡大する必要がある。そのためには経済を活性化させねばならず、したがって消費を拡大しなければならない、といった考え方に異を唱え、人々の賛同を得ることは、ほとんどの人々がそうした支配的イデオロギーに染め上げられている現状のままでは非常に困難である。

 もし、そうした「支配的イデオロギー」を普遍的な既成事実として前提し、そこからボトムアップ的民主主義が出発すれば、いまの社会の根底に横たわる本質的な問題、つまり賃労働の疎外態としての資本による生産=消費の支配という問題はそのままにされてしまうだろう。

 ボトムアップ的創発民主主義が、本当に複雑で困難な問題を解決できるような状態になるためには、それと平行して、いまの社会の「支配的イデオロギー」を根底から批判しうる人々が登場しなければならないだろう。もちろん、その批判は単なる感情論や個人的怨嗟などによるケチ付けや非難であってはならず、徹底的に論理的かつ科学的な基礎の上に立った本来の意味での批判でなければならない。

 そのような批判が多くの人々を「支配的イデオロギー」から解放させることができたときに、初めて創発民主主義は本来の威力を発揮できるようになるのだと思う。

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コメント

伊藤穣一氏のオピニオンでまず気が付く事は、「直接民主主義がソーシャルメディアを通じて成立しうる条件が十分に成熟しつつあるのか」の分析がないことです。現政府の判断の不安定さに直感的に反応しただけの意見を超えてはいないでしょう。

野口さんは、支配的イデオロギーや情緒的・文学的な感情に漬け込まれている我々には未だ、この状況を根本的に改革する直接的民主主義理論を、依然として構築しえてはいないことを指摘しています。

野田総理は松下幸之助の政経塾出身です。この塾を眺めれば、ここから登場するであろう人材の性質も分かろうというものです。いうなれば、資本家階級の支配を維持したい論理を小賢しく支える者以外の者はいないでしょう。また、今話題のやらせですが、このような直接民主主義を演出する程度の者か、もっと直接的に財界・経済界・哲学屋等と結託する第三者風御用委員会を設置する程度の者しか出てはこないでしょう。

イスラム国の独裁者は、これに対して、武力による弾圧を加えて封殺してきましたが、反政府運動そのものを拡大させて自滅する道しかありませんでした。資本家階級による自由主義的民主主義陣営も、テロ呼ばわりして対抗していますが、いずれは自分たちが作り出した失業者に改革を迫られることは必至で、時間を要するもののその歴史的な運動は休むことはありません。我々は、このことを地道に、将棋でいえば、奇手ではなく、俗手で寄せるだけのことです。資本家階級・高所得者への増税、正社員雇用、賃金と労働時間の適切化、歴史的唯物論の展開、そして国家主義や精神主義・文芸主義への批判等々。

投稿: mizz | 2011年9月 4日 (日) 22時18分

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