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2011年11月10日 (木)

自由貿易主義と世界金融危機へのもう一つの視点

 日本ではTPP交渉への参加の是非を巡って与党民主党内でも意見が分かれ、混乱している。これを世界的な「自由貿易」を目指す流れの一環と見るか、反対に世界経済のブロック化への流れと見るかで考え方も大きく異なることになる。どちらにしても、EUでのユーロ危機を含めて、今日の世界資本主義体制では市場の「グローバル化」とそこに参入する個々の国々での資本主義経済の形態や状況の違いがもたらす軋轢が露呈していると考えられる。

 そこでこれらの現象を別の視点から捉え直してみよう。市場のグローバル化には二つの種類があり、一つは商品市場のグローバル化であり、もう一つは金融資本市場のグローバル化である。商品市場のグローバル化では、農業生産物や工業生産物を自由に輸出入するためにあらゆる関税障壁を取り払うということが推し進められている。生産性を高めている資本はより大きな市場を要求するからである。ここでは資本家的に生産をコントロールしやすい工業製品と自然に大きく依拠しているが故に生産をコントロールしにくい農業漁業生産物の本質的違いが問題となっており、日本などでは、農業漁業生産物をグローバル市場に開放すれば、大規模化によって生産性を上げねば、価格的に国際市場で競争できなくなるという問題に追い込まれている。戦後の農地改革などによって小規模自立農業が主体となってきた日本の農業は、このままいけばおそらく大規模化という名目のもとで大農業資本の支配下に置かれていくことになるだろう。市場での競争相手はアメリカなどの穀物メジャーなど農業大資本であるのだから。資本主義的大規模化に遅れをとってきた日本の農業は世界的な農業大資本に呑み込まれる可能性が大きい。

 一方で先頭を走ってきた工業生産資本は、いまや安い労働力を求めて中国や東南アジアに生産拠点を移している。そして日本では工業労働者の雇用が激減し、失業者や半失業者(その多くが不安定なアルバイトなど)が増大させながら、資本家たちはその成果としての工業製品を関税障壁を取り払って世界市場で販売促進させたいと願っている。

 こうして農業においても工業においても生産的労働者は低賃金と不安定な雇用を拡大させられ、生産性が上がれば上がるほどその生活は苦しくなっていく。資本の賃金奴隷としての呪縛のもとに置かれ、「国際競争力」を高めるために、賃金を抑えられ、雇用を制限されるからである。

 気がつけば、こうしてどんどん生産される農業生産物や工業製品は大きく二種類に分かれつつあり、一つは労働者を低賃金に維持するため(安い労働力商品を確保するため)の安い生活資料の生産に、もう一つは、「国際競争に勝った」リッチな人々のための奢侈品生産である。後者は、激しい「国際競争」に安い労働力を酷使しつつ勝つことで資本家階級のもとに蓄積される(主に金融資本という形で)過剰資本の「はけ口」としての浪費の新しい形である。(多くの「デザイナー」はこうした奢侈品の「付加価値」を高めるためのデザインに従事している)

 そして残りの過剰資本の大部分は、世界金融市場を駆け巡り、それを獲得することに血眼になっている金融資本家たちの投資や投機のターゲットとなっている。

 労働者階級の長い闘いの結果として獲得してきた、労働時間の短縮や社会保障制度などが、資本のグローバル化によってそれぞれの国々の財政を脅かし、「国債」による借金で社会保障等を維持せざるを得なくなってきている。つまり労働者階級に階級意識を持たせないようにするための総資本の「必要経費」でもあった社会保障制度への国庫負担(現在の資本主義国家は総資本の代表機関になっている)が借金で賄われ、その借金の担保となっているその国の経済力(総資本の利潤量に依存する)が疑われるようになると、たちまち、国際的な金融不安や金融危機が発生するようになった。その結果、ギリシャやイタリアなどでは、緊縮財政という形で、労働者階級への社会保障の縮小や増税がEUからの支援を受ける条件とされた。労働者階級がもたらしたわけでもない「経済危機」に労働者階級への負担が強いられているのである。そして世界経済を支配している金融資本やその代表機関となった政府担当者は、それによって世界金融危機を防ぎ彼らの支配権を維持することにやっきになっている。

 よく考えて見よう。労働者の生活を犠牲にする「自由貿易」と金融資本の世界支配は、決してわれわれを自由にすることはない。それは単に世界金融資本による「自由な」労働力の支配以外に何ものをも生み出さず、それは、結局はただ地球資源や環境の破壊と人々の生活の破壊をもたらす力でしかないということを。

 いまわれわれが求めるべきものは、われわれ自身が、そしてわれわれの父母が、そして祖父祖母が生涯をかけて働きつづけることによって生み出し、それを収奪され資本という形で蓄積され、買収や乗っ取りや投機によって一部の資本家の手に集中された莫大な社会的富を、正当にわれわれ自身の手に取り戻すことではないのか?そのために世界経済システムを根底から組み替えることが必要なのではないのか?

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