« 世界資本主義体制の崩壊が始まった | トップページ | 自由貿易主義と世界金融危機へのもう一つの視点 »

2011年11月 5日 (土)

だれが次世代社会のデザインをするのか?

 自己崩壊が進む世界資本主義体制に対して、動き始めた反資本主義運動はまだ目標も定まらず、バラバラで何を要求しているのか分からないと支配階級側から揶揄されている。少し前、アメリカでオバマが圧倒的勝利をおさめ、日本では自民党政権が終わりを告げたとき、それはすでにこうした世界情勢の変化の兆候であったと言えるだろう。アメリカでオバマを選び、日本で民主党を選択した人々が望んだものは、とにかく今よりましな生活や、将来に希望が持てる社会だったと考えられる。

 しかし、その後、その希望は裏切られたとほとんどの人々が感じているに違いない。なぜなら、アメリカではいまや「産業界のインフラ」となってしまった金融業界の倒産による社会的影響を防ぐという名目で多額の公的資金が投入され、税金が使われた。しかし、当然のことながら「景気回復」したのは金融企業や大手自動車会社であって、全体としてはアメリカの失業者はむしろ増加した。そしてローンや借金の重荷で職や生活を失う人々が続出している。

 日本でも官僚主導から政治主導へという掛け声の下で「事業仕分け」などが行われ、一時は期待を持たせたが、われわれの生活や仕事の将来への希望は結局、円高や自由貿易化への資本側の要請の中ですべてが「経済の活性化」のために捧げられる羽目となり、挙げ句の果てに大震災による国家予算の支出増大を大増税でカバーしようという話になってきた。こうした紆余曲折は、結局民主党内閣に「国家戦略室」があっても看板だけで、次世代社会への基軸的な戦略や見通しがまったくないことに見られるように、「何かありそう」と期待して民主党を選択した人々をがっかりさせたのである。

 そのような中で、最近あちこちで見かけることばに「次世代日本をデザインする」といったフレーズである。そのこと自体は大いに結構であるが、いったい誰がデザインするのかが問題である。どこかの学会のセッションにあったような「社会をデザインする方法」などという便利なものは理論的にも事実上もあり得ないのであるが、歴史的に見てどの社会でも、社会の未来についての思想はその社会の支配階級の思想そのものであった。

 いまのこの資本主義社会のオピニオン・リーダーたちの掲げる「次世代日本のデザイン」とは他ならぬ資本主義体制延命の暗黙的前提に立った「次世代社会像」に過ぎないのである。その典型が「持続的経済発展のための構想」(持続発展させたいのは資本であってその支配のもとにおかれる労働者階級の立場に未来はない)といったたぐいであり、このまやかしはここでも前に取り上げたセルジュ・ラトゥーシュが指摘した通りである。

 単に「格差の増大」や「失業の増大」あるいは「生活の困窮化」「未来への希望喪失」という現象面だけに目をとらわれていたのではダメである。なぜいまの資本主義体制がいくら手を打っても、そうした状況がなくならないのか、そしてそれは何故なのか、その原因となっている経済社会のメカニズムの成り立ちと本質を明らかにしないことには何事も始まらないのである。

 それは一部の「リベラル派」オピニオン・リーダーがいうような、「一部のマネー資本主義者が勝手なことを行うから健全であるべき市場経済がおかしくなる」といったたぐいの問題ではなく、この社会の経済全体の仕組み(つまり社会的に必要なモノがだれによってどう生産され、だれによってどう流通され、だれによってどう消費されるのか、という問題)そしてその社会を支えそれによって生活する人々がどのようなあり方を余儀なくされているのかを考えるのでなければならないはずである。

 一言でいえば資本主義社会の現在的構造とその矛盾の形態を明らかにすることなしには、その「否定」としての次世代社会の構想を生み出すことはできないのである。資本の蓄積を持続させ過剰資本をつねに処理させるうる経済体制としての大量消費を助ける役割として歴史的に登場したデザイナー(デザイン労働者)という職能をそのまま肯定した上で、次世代社会のデザインを考えても、せいぜい資本家階級御用達オピニオン・リーダーのいう「持続的経済発展のための構想」の補間版しか出てこないであろう。

 われわれがいま発揮しなければいけないのは、資本主義社会の一職能としてのデザイン労働力ではなく、それを否定した上で獲得すべき労働者階級全体の能力としての「本来の構想力」である。その本来の構想力をもって、労働者階級自身が支配階級となれる社会(つまり階級のなくなる社会)の構想を考えることが次世代社会のデザインの大目標だと思う。そこに向かっていまこの目の前にある資本主義社会の矛盾をどう捉え、どうそれを克服してゆくのかが問題なのではないだろうか。

|

« 世界資本主義体制の崩壊が始まった | トップページ | 自由貿易主義と世界金融危機へのもう一つの視点 »

新デザイン論」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/53166873

この記事へのトラックバック一覧です: だれが次世代社会のデザインをするのか?:

« 世界資本主義体制の崩壊が始まった | トップページ | 自由貿易主義と世界金融危機へのもう一つの視点 »