« 現在のデザイン論における致命的欠陥 | トップページ | 閑話休題:日本版格付け会社の提案 »

2011年12月 6日 (火)

コメント頂いた泉さんへ

 このブログへのコメントはそれほど多くはないのですが、ときどき頂くコメントは私の大きな励みになります。ただ読んで素通りしてしまう人たちよりも、何か感じたことをコメントして頂く方が、著者としては非常にうれしいのです。たとえそれが反論であろうと批判であろうと、そうなのです。

 当初このブログはもっと気楽にさまざまな出来事や日常考えたことの記録として始めましたが、世の中の動きが激しくなり、自然にこのブログで取り上げる問題も時事的で政治的な内容が主になってきました。

 そうなると、どうしても私が辿ってきた紆余曲折の人生の中で、自分なりに身につけてきた思想が前面に出てきます。私は個人が苦労して獲得してきた思想は、そこにその個人固有の人生による特殊性をもったものであると同時に、その特殊性が「特殊」である根拠としての普遍性を持っていると考えております。分かりづらい表現かもしれませんが、諸個人が「諸」個人であるゆえんとしての一般性を持っていると思うのです。それは世に言う「偏差値」などと違い、固有な存在を固有であるままに、そこに貫かれた一般性としての真実があるという意味です。

 実はこのブログで書かれているような内容は、私の大学教員としての現役時代には公表することが出来ない内容でした。なぜなら、私の専門領域の性質からして、そうすることは私の生活を危うくしたであろうからです。しかし、大学をリタイアしたいまはそれを「本音」で書いています。

 この表と裏を使い分けた生き方は、ある意味で卑怯であるかもしれませんし、二枚舌といわれても仕方がないかもしれません。もっと勇気のある人はきっと生活が危うくなっても果敢に自己主張を貫くでしょう。

 実は、私は結婚し家族を持って職業的な地位を得てからは、自分の「本音」をひた隠し、自分の内部にそれを閉じ込めたまま生涯を送ろうと思ったこともありました。しかし、どこかでその自己欺瞞はほころび、そうした自分に耐えられなくなるのです。私は、これが自然の摂理の一環でもある「真理の表出」あるいは「歴史の必然の表出」ということなのではないかと思っております。歴史的真実は私が黙っていることを許さなかったのです。

 泉さんが「これからどう生きてゆくべきか考えさせられる」とおっしゃることはよく分かります。まさに私の紆余曲折の人生がそうした悩みと試行錯誤の連続であったからです。しかし、一つだけ言えることは、どのような形であれ、自分が真実であると思うことに向かって生きることが唯一、後悔を最小限に抑えて、しかもそこに自分の「個」としての特有な人生において普遍的真理を実現していくことなのではないかと考えております。

 偉そうなことを言ってしまいましたが、お許しください。

|

« 現在のデザイン論における致命的欠陥 | トップページ | 閑話休題:日本版格付け会社の提案 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

野口さんが言って見える現役から降りた後・・・良くわかります。人間は社会生活を送らなければ生きていけませんから。私にも両親・夫・子供がいますので声を大きくして言えません。(負のオーラを撒き散らかす)のレッテルを貼られそうですから。でも今のプロパガンダ(グルメ・観光・ショッピング・エンターテイメント)は国民を馬鹿にしているのでしょうか?何も気が付かないお馬鹿さんだと思っているのでしょうか?

投稿: 泉 | 2011年12月 6日 (火) 17時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/53418141

この記事へのトラックバック一覧です: コメント頂いた泉さんへ:

« 現在のデザイン論における致命的欠陥 | トップページ | 閑話休題:日本版格付け会社の提案 »