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2011年12月 4日 (日)

価値・価格・信用・市場そして民主主義!

 最近の新聞紙上などでは、ヨーロッパでの金融危機が世界的な金融危機に拡大しようとしている現在、それらの国々を支える「民主主義」が市場に支配されて危機に陥っているという論調が見られる。

 しかし、このことは見ての通り、こうした国々の「民主主義」が実は市場経済の原理を不問の前提として作られている「資本主義的民主主義」であることを証明している。実際に社会的に必要な価値を創造している労働者階級による真の意味での民主主義ではないのである。

 経済的カテゴリーである価値は労働が生み出すものであるという「労働価値説」は古典派経済学のスミスやリカードなどが言い出し、マルクスもそれを受け継いでいると思っている人が多いようだが、それは決定的に間違っている。その理由は、古典派経済学者は労働者が生み出した価値と市場価格の本質的違いを認識できず、したがって資本の本質を認識できていないからである。

 マルクスのいう価値は、その社会において必要なある生産物を生み出すのに要する社会的平均的労働時間によって決まるものであり、きわめて客観的な規定(決して市場価格のような恣意的なものではない)である。そしてこの生産物の価値は、それを生み出すのに必要な労働力の社会的配分に関わる量としてその計画的配置の基準となることは宇野弘蔵も言うとおりである。しかし、商品経済の歴史の最後の段階にある資本主義社会においてさえも、それが、直接決められず、市場価格の需要供給のバランスによって決められるという「回り道」を経なければならないのである。マルクスは結局この市場価格によって時には価値以上に、時には価値以下に売られる商品の価格をアンカーのように一定の地点に引っ張るのが実際の価値であると述べている(もちろん骨董品や芸術作品などのように最初から需要供給のバランスが崩れており、生産がそれに追随できない場合はまた特殊なケースとして、とくに「付加価値」という概念のインチキ性とともに別に考える必要があるだろう)。

 言い換えれば、資本主義経済のような「市場至上主義」経済によって社会的に必要な財が生産され、供給されるシステムでは、その生産物の価値は「市場価格」としてしか見えないのである。だから資本家たちは労働者たちの生み出す労働力商品の価値(その価格が労働賃金として表現される)以上の剰余価値を何の疑問も抱かずに「合法的に取得(正確には収奪)」するのである。そしてそのことが資本主義社会の「社会常識」として通用しているのである。

 そして、20世紀の初めにすでにその生産力が社会的な生産関係の殻にそぐわなくなって、過剰資本の圧迫に苦しむようになった資本主義経済体制は、それを「浪費」によって処理する道を発見し、これを軍需生産や労働者の生活資料の奢侈品化などによって合理化したのである。しかも20世紀末になって、その浪費の量は半端でなくなり、一方で資源の無駄使いと自然破壊を加速させながら、他方でそれによって再び資本として還元された巨額の過剰流動資本は「○○マネー」として投資家のターゲットとなり、世界中の金融企業や富裕層の間を動き回るようになった。

 さらにそれらの浪費を通じて資本に還元される過剰資本を生み出す労働そのものがローンやサラ金のような借金として「先物買い」され、それらが株や金融商品の「信用」によって経済界を動かすようになっていったのである。

 いわゆる先進資本主義国では労働者は、一定の社会保障や年金などによって生活を守られているように見えながら、実は、その「原資」となる資金は労働者自身の労働力の先物買いであったのだ。資本主義国の労働者階級は、一方で「あなたがたの消費こそが経済を活性化させる」とプッシュされながら他方で、その労働力を先物買いされ、それによって見せかけの「社会保障」が賄われてきたのである。

 いまや資本主義経済体制は一国では成り立たず、世界中の資本主義国が互いに支え合って行かねば生きのびることができなくなっている。だから互いにその国の労働者階級が生み出すであろう剰余価値を「信用買い」して国債などのような借金の形で売り買いしながらその「信用」がもたらす利益を原資として社会保障を運用しているのだ。そしてその「社会保障」も当然のことながらそのボロがほころびつつある。

 しかもそれらの国々の政府がその経済的基盤の前提としている「市場」が容赦なくそれらの国々の労働者階級への福祉などに圧迫を加え、資本の「国際競争力をつけるために」と称して労働者は大きな犠牲を払わされ失業の憂き目に会っているのである。

 いま、こうした視点になって「自由貿易」や「民主主義」などあたかも普遍的な概念の実現のような顔をしている「社会常識」の中に潜む資本主義的な本質を見極めなければならない。韓国でのFTA問題、日本でのTPP問題、そして多くの労働者や農民の反対を押し切ってそれらを推進しようとしている政府がいったい誰の代表なのか、誰の味方なのかよく見定めなければならない。それを見極めることからこそ真の民主主義が出発することになるだろう。

 

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コメント

1年ぐらい前からブログ拝見させて頂いています。まったくのPC音痴でブログを見せて頂くことしか出来ませんが内容がかなり心に響きます。コメントを書くのも生まれて始めてのことですが野口さんのおっしゃることは真実だと思います。これからどんな風に生きて逝くべきか考えさせられます。ブログ有難うございます。

投稿: 泉 | 2011年12月 5日 (月) 09時59分

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