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2011年4月24日 - 2011年4月30日

2011年4月25日 (月)

「がんばろう日本」でいいのか?

 東日本大震災で未曾有の被害を受けた東北・北関東太平洋岸の地域の人々は、絶望と生きる希望への模索の狭間で揺れているのだろうと思う。連日TVや新聞などのマスコミでは「がんばろうにっぽん」があふれているし、芸能人や有名人の被災地訪問やチャリティーコンサートなども毎日のように行われている。

 海外では、日本人の結束力や勤勉さが称賛されていると報道されている。しかし、私はへそ曲がりなのか、この日本人の「結束」に何かしら違和感を感じるのである。もちろん、みんなが一緒に被災者の人々を励まし、支援すること自体には何ら違和感はない。しかしなぜそこでとりわけ「日本人」とか「にっぽん」とかが強調されるのだろうか?

 年齢が分かってしまうが、私はかつて幼い少年だったとき、ラジオから流れる「前戦へ送る夕べ」という番組を聞いていたときのことを思いだす。時代は大日本帝国が一丸となって鬼畜米英と戦っていた「非常時」であった。招集され前戦に赴いている兵士に家族や友人から慰問の手紙を届ける番組であった。そこには家族や友人から「にっぽん」のため、「にっぽんじん」のために頑張って一生懸命戦ってくださいというメッセージがあふれていた。

 こういう場合、たしかに「にっぽんじん」は結束する。しかし、あの戦争で結束して戦った結果が何であったのか、それは他国への侵略と、侵略する側とされる側双方に何百万もの犠牲者と生活手段の壊滅状態をもたらす以外の何物でもなかったという事実が、惨めな敗戦の後に初めてあきらかにされたのである。敗戦後一転してわが「にっぽんじん」は、それまでの自分たちの「封建的体質」を批判し、アメリカ民主主義一辺倒に走ったのである。まるであの結束が誰かの命令であったかのように。

 もちろん今回の大災害は戦争とは本質的に違う自然災害である。しかし、その自然災害の引き起こした被害は、そこにこれまでの消費文明と経済成長至上主義によって築かれてきた結果による悲劇として現出されているのである。それを一生懸命頑張って築き上げてきたのはわれわれ一人一人の「にっぽんじん」である。この大災害があってから、一転して「自然エネルギーの活用を!」「省エネルギー社会の実現を!」などを声高に叫び始めた人々は、いったいこれまで何をしてきたのかよく考えて欲しい。あなたがたは、だれかに命令されて、無駄使いで成り立つ消費文明社会を築いてきたのですか?だれかに強いられて「経済成長がすべてを救う」という思想を後押ししてきたのですか?

 おそらくは、あまり深くも考えずに、マスコミや周囲の人々がいうことをそのまま鵜呑みにして、「一緒に頑張って」きたのではないだろうか?もし、これが「日本人の結束力」であるのなら、私はその「結束」の底の浅さを突きたい。ただ周囲を見回してみんなと一緒に「がんばろう、にっぽん」と叫ぶだけではいけないのだ。そこには、知らず知らずのうちにこの悲劇を生み出す一因にもなってきた自分自身への深い反省がなければいけないのではないだろうか?それがなければ、本当に「にっぽん」は変わることができないのではないだろうか?

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