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2011年7月10日 - 2011年7月16日

2011年7月13日 (水)

菅さんの「脱原発」発言に賛成する

 今日(7月13日)の記者会見で、菅首相が、日本は将来原発に依存しないでやっていけるように再生可能な自然エネルギーの利用の比率を高めていくことを国の方針としたい、と発言したことに対して、早速経産省や自民党などからクレームがついている。しかし国民の70%以上が原発の段階的廃止に賛成しているのである。菅さんはそれを代弁しているのだろう。

 産業界代表の経産省は、原発が無くなれば、電力不足で日本の経済が弱体化し、雇用も減少して国民の生活状態は悪化する、と言う主張であろう。この後ろには資本家階級である経済界がついている。そして自民党は菅さんの原発廃止表明にあからさまに反対すれば選挙民が離れていくことをおそれ、「退陣を表明した首相の約束など何の当てにもならない」などといって菅さんの発言に不同意の表明をした。自民党は資本家代表政府としてこれまで原発推進を行ってきた党なのだがそのことに関して何の反省も見られない。

 ここでもう少し深く考えれば経産省や経済界・産業界の考え方のおかしさが明らかとなる。脱原発が日本の経済をダメにする、というのは嘘である。たとえ原発があってもこのままでは日本の労働者階級の生活はよくならない。日本の産業構造はいまどんどん弱体化しつつあり、国内で生活に必要な物資が供給できない構造になりつつある。産業界を支配する資本家たちは国内で生活に必要な物資を生産するよりも、労働賃金が安い外国からそれらを輸入し、それによって日本の労働者階級の賃金水準を低く押さえ込みながら、これまで労働者階級から吸い上げ蓄積してきた資本(過剰資本)を右から左に動かしながら利ざやを稼いでいく方がはるかに効率的に利潤を上げられると考えているようだ。そしてそのようにして稼いだ利益を国内では消費部門やサービス部門を含む第3次産業などにつぎ込んで、そうした分野での雇用(労働力商品の購入)とその労働力の使用による剰余価値の獲得、そしてその結果できあがった(不生産的)商品の消費を通じてさらなる利潤を上げようというのである。つまり本当に生活に必要なものを生み出すことではなく、いわばどうでもよいことにお金を使わせて(不生産的生産と消費)、それによって「経済成長(決してわれわれの生活が成長するのではなく資本家の利益と立場が成長することを意味している)」をしようというのである。そのためには電力の消費量もどんどん増やさねばならず、原発がなければ産業が成り立たなくなるのだ。

 だが、世界はすでにその路線に赤信号を出し続けている。例えば、いまわれわれの生活必需品の多くを輸出用に安く生産している中国などでは、国内での貧富の差の拡大で労働者階級の抵抗とそれへの弾圧が日増しに強まっている。そして仮にもし、中国の労働者がほとんど中産階級化し、アメリカや日本のような「浪費生活」を常に行うようになったとすれば、たちまち石油や地球の資源は枯渇するだろうし、すでに中国を初めとして世界的に熾烈な資源の争奪戦が始まっているではないか。その結果は戦争に発展するかもしれない。そしてそのまま放っておけば結局、地球資源はなくなり、自然環境は徹底的に破壊され、人類全体が危機に陥ることは確実である。

 しかし中国ではいまその道をまっしぐらに進んでいる。そしてアメリカでも日本でも資本家階級はその中国の低賃金で働かされている労働者階級の生み出す生活資料を輸入し、またそうした労働者階級の増大によって「成長する」中国国内市場に巨額の投資を行っており、中国の「経済成長」なしにアメリカや日本の資本主義経済体制は成り立たなくなってしまったのである。

 要は、そのような「浪費を前提としなければ成り立たない経済成長」という決定的矛盾を超えて、働く人々が資本を媒介せずにその労働の成果を直接自分たちの生活向上へと還元できるような新たな経済システム(それはまやかしの「エコ」や「持続可能な成長」では決してありえない)を世界的なレベルで創出していかねばならない時期が来ているということである。今回の福島の原発事故をきっかけにみんながそれに気づきはじめたのである。それを無視してまた再びもとの矛盾した経済体制に戻そうとしているのが資本家代表の経産省や産業界なのである。

 われわれが目指すべきなのは、浪費によって成り立つ経済体制を原発によって維持するのではなく、原発がなくともやっていけるコンパクトな生活であり、それにふさわしい、必要にして十分な生活資料を自ら供給できる社会経済体制であろう。もう地球に大きな負担を背負わせるような「浪費」や他国の労働者の低賃金労働というおおきな犠牲を前提にした「経済成長」などはいらない。

 いま世界中の労働者階級は自分たちの生活向上のためにではなく、資本家たちのグローバルな利潤獲得競争のために働かされていることに気づきはじめた。そしてその資本家間のグローバルな利潤獲得競争に勝つために必須の要件である原発が、結局はわれわれの未来を危機にさらしているということに気づきはじめたのだ。その意味で「脱原発」へのスタートはいまや歴史の必然といっても差し支えないのではないだろうか?

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2011年7月11日 (月)

創造的思考についてのメモ

 このところ眩暈や耳鳴りがして、耳鼻科に薬をもらっても一向によくならないので、健康診断の際、かかりつけの医師に相談したら、脳の検査をした方がよいと言われ、MRIで脳内の検査をしてもらった。検査の結果を聞きながら、担当医にMRIの原理について質問したところ、忙しいのに丁寧に説明してくれた。

 説明を聞いた私の理解によれば、まず脳内の細胞の分子に含まれている電子を一定の方向に向けるために磁界をかけ、それをもとに戻すときに分子の種類の違いによって電子の方向がもとに戻る時間がそれぞれ異なることを利用して、その差を弁別することで、それを画像化して見えるようにするのだそうだ。

 自分の脳の画像を見ながら、私は、そのアイデアのすごさに驚嘆していた。それは多分さまざまな基礎的知見を総合して得られたアイデアに違いないが、このような形で現実にそれをこれまで不可能であったある目的に使えるようにするということはすごいことだ。

 次に感じたことをひとつ。震災による福島の原発事故以来、電力会社のあまりの専横さに腹を立て、自家発電装置を自前で作ってやろうと思い立ち、太陽光発電に挑戦しているが、初めてのことでいろいろと分からないことがある、そこで、趣味の友達で放送局の技術部門の仕事をしている友人にいろいろ教えてもらって、装置を試作している。まず中古で安く手に入れたソーラーパネル(これもその友人から買った)に充電コントローラをつないでバッテリーに充電し、そこからDC-ACインバーターでAC100Vに変換した電力を使って扇風機などを使おうというものだ。ところが24V使用のソーラーパネルの起電力が弱っていてバッテリーにうまく充電しない。そこでその友人に相談したところ、パネルを直列につないで48Vやってみたら?ということだった。たしかに理屈では充電コントローラを通せば24Vになるので行けそうだし、一銭の金もかからないし、良いアイデアだと思った。ところが充電コントローラの上限電圧が34Vであることが後から分かり、またまたその友人に相談した。彼は「う〜ん」と言って考えていたが「じゃあ、秋葉辺りで安く売っている整流用のブリッジダイオードをたくさん買ってきて、そのDC出力部分を直列につないで、ダイオードの順方向電圧降下分(1個について約0.6-1V)を加算して充電コントローラの上限まで電圧を下げてやればいいんじゃない?」と教えてくれた。なるほどこれなら大型の抵抗を使うより発熱対策も取りやすいしおそらく千円と少しの出費でなんとかなりそうだ。

 私がここで感じたことは、先のMRIのアイデアの様な場合とは違い、小さな身近な問題で専門的技術者が日頃持っているさまざまな経験的あるいは実践的知見をうまく利用して問題を解決していく能力のすごさである。

 そのような思考のもつ実践的問題解決力に対して、職能的デザイナーのアイデアなどはなんと矮小な「創造力」であろう。まして、最近しきりに称揚されている「提案型デザイン」の発想のようなものの多くは、結局、資本の力による「売らんかな」の動因にもとづく「新製品」開発のために要求される能力であり、結果としてたいして必要もない商品を開発し、すぐに捨てられてしまうガジェットの山を生み出すことで資源やエネルギーの無駄遣いに奉仕しているのだ。

 真の創造的思考は、やはり本質的に「問題解決型」であるし、小さな経験的知識の膨大な集積からしか生まれないものであると確信している。

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