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2011年7月24日 - 2011年7月30日

2011年7月30日 (土)

「批判よりも対案を」の落とし穴

 民主党と自民・公明のやりとりを見ていると、かつて野党だった民主党の菅さんが自民党政権に投げかけた批判的質問の鋭さが、政権についたいま、今度はもっぱら批判される側に立ってまるで精彩を欠いている。しかしかつて政権党だった自民・公明の議員たちの民主党に対する批判はもはや最初から精彩を欠いている。これまで自分たちがやってきたことへの反省がなにもないのだから、もうその中身は割れているからであろう。

 こうした不毛な足の引っ張り合いの中で、いわゆる「良識人」たちや「健全なコモンセンス」を標榜するジャーナリズムが掲げる看板に「批判よりも対案を」というのがある。これはもっともらしく説得力ある看板であり、ネガティブな批判を投げ合うよりもポジティブな対案を示して議論する方が前向きだ、ということなのであるが、よく考えてみると落とし穴がある。

 それは、得てして「対案」というのは相手と同じ土俵の上で出されるものであって、その意味では本当の問題解決になっていないことが多いからだ。要は、相手の問題解決の仕方に対して同じ次元で「対案」を示すのではなく、相手が眼前の問題状況をどのような「問題」として捉えているのか、その視点そのものを問うべきなのだ。同じ問題状況(これは客観的な矛盾といえる)に対して、それをどういう「問題」として捉えているかが問われているのである。同じ問題状況でもそれを捉える立場の視点によって「問題」のとらえ方は大きく異なるし、したがって解決の方向も大きく異なるのだ。

 その意味ではいまの民主党政権と自民・公明陣営は同じ土俵で相手をつぶし合っているとしか言えないだろう。だから不毛なのだ。民主党は「マニフェスト」を掲げて政権を取ったのであれば、そのマニフェストが出てくる背後では、自民・公明政権のやってきたことへの批判をその土俵そのものをひっくるめて行っていなければならなかったはずである。本来の批判とはそういうものではないだろうか?そうでなければいまの世の中は変わらないだろうし、結局は資本家階級(産業界)優先、国民(労働者階級)への増税という方法しか解決方法が見いだせなくなるのだ。

 しなくてもよい「グローバル市場での国際競争」はそれによって一方でますます資本の増殖がもたらされ、他方でますます多くの人々を賃金奴隷化して資本に労働力を提供しなければ生きてゆけなくし、世界中の労働者たちの間に格差を生み出しながら、リッチな人々の浪費生活を促進させて、そのために地球の資源を使い果たし、資源獲得競争を激化させ、原発を「必要化」させ、地球全体に環境破壊をもたらし異常気象を起こさせている。

 このグローバル市場で取引される商品は、同じ価格で売っても労働賃金が高い国で作られた商品より労働賃金の安い国で作られた商品の方がはるかに資本家が大きな利潤を得られる。労働賃金が安い国ということは、生活必需品価格が安い国(それはその国で農業労働者が過酷な生活を強いられていることの表れでもある)であり、同じ労働時間働く労働者でも相対的に労働賃金が安く抑えられるため資本家はより大きな剰余価値部分を獲得できるからである。

 しかも、グローバル市場で取引される商品の支払いに用いられる貨幣の価値は為替レートの変動によって大きく変わる。商品をグローバル市場に出している国の貨幣の価値が上がると商品の価格が同じでもその国の資本家は国際市場での儲けが少なくなる。そのため資本家の利潤を維持するために、その国で輸出商品を作るために働く労働者の労働賃金は低く押さえ込まれ、労働時間はむしろ増加させられ、雇用は控えられ、失業者が増え、全体として生活水準は低下する。運良く首を切られなかった労働者も「国際競争力をつけるためにがんばってくれ!」という資本家たちの掛け声のもと、働いても働いても生活が楽にならない日々を生きねばならない。世の中には有り余るほどの商品があふれているのに。グローバル市場とはこのような矛盾に充ちた商品市場なのである。

 ここで確かなことは、過剰資本としてだぶついたお金のやりとりによってつねにどこかで巨額の資本が蓄積されていくことである。それはもともと直接的生産者である世界中の労働者の汗と血の結晶であるにも拘わらず、決して彼らに還元されることのない「富」であり、資本家的企業や個人投資家に所有される資本としてそれを増加させ、それが金融機関や証券市場を通じて巨額な金融資本として蓄積され、さらにあらたな金儲けのために市場へ投資され、労働者階級への資本の支配を強化しつつ、地球環境を破壊し、資源を使い尽くしながらグローバルに動き回っているということである。

 こんなおかしな世の中を目の前にして、その事実を謙虚に受け止め、根本的に問題把握の視点を変えることも出来ず、なおも、「経済成長がなければ増税しかない」などという矛盾に充ちた政策しか採れないのがいまの政府である。

 労働者階級の結束とその視点からの問題提起がなければ、このような馬鹿げた政策にただただ同じ土俵での「対案」を探すことしかできない無駄な論議が続くであろう。

 

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