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2011年8月7日 - 2011年8月13日

2011年8月12日 (金)

「ものづくり」を失った国は寄生国家に成り下がる

 市場での商品価格(需要供給関係で決まる)の決め手となる「個人的価値観」と経済的カテゴリーである「価値」とを区別しないのが「ブルジョア経済学者」の特徴であるが、それは「経済成長」という捉え方のおかしさにも表れている。

 経済的なカテゴリーとしての「価値」は、社会的に必要なものを生み出す労働によって形成され、それに要した平均的時間でその量が与えられる。これが経済学の基礎である。「個人がさまざまなものに対して持つ価値観は直接的にはこうした経済的な意味での「価値」とは関係がない。ただそれが、市場での商品価格を実際の価値以上につりあげるために利用されるときにのみ関係が出てくるだけだ。

 それでは資本家も「企業経営」という「労働」を行っているではないか、と言われるかもしれないが、「資本家としての経営」は労働によって生み出された「もの」を売りに出すことで利潤を獲得することが目的であって、つくられる「もの」はそのための手段に過ぎない。実際には、本来の意味で「必要なものを必要なだけ生み出す」ために行われる「ものづくり」の指揮を執る労働者がいれば、「資本家的経営」などはなくとも立派に「もの」は作られるし、その方がはるかに健全な「ものづくり」が行われるのである。

 ところで、いま世界経済を見渡すと、資本主義経済はグローバル化した市場で、「ものづくり」によって経済的な意味での「価値」を生産する国と、それをグローバル市場における需要供給の関係で決まる商品価格として取引する「金持ちの国」との間で大きな矛盾を来しているといえる。

 「金持ちの国」と思われていた国が、実はとんでもない債務国になっているのである。その要因はいろいろあるようだが、結局「金持ちの国」で動いている巨額の金は、「ものづくり」国の労働者が生み出した価値に市場で高い価格をつけて売り買いすることで儲けた「あぶく銭」によるものであるらしい。実際に取引される「現物の商品」は単にその手段とされているに過ぎず、「ものづくり国」の売り手は、買ってもらいさえすれば、それがどう使われようと関係ないのである。

 「金持ち国」では「あぶく銭」で儲けている資本家(ここには自国で「ものづくり」をする資本家はほとんど含まれていない)のおこぼれで他の国より多少よい賃金をもらっている労働者(中間層と言われている)が、デザイン・ブランドや意図的に作り出された流行によって恣意的に生み出される「付加価値」つまり「個人的価値観」に訴えて実際の価値よりはるかに高い市場価格を付けた商品をよろこんで買ってくれるので、その国の資本家はおろか「ものづくり」国の資本家も潤っているのである。

 しかし「金持ち国」の資本家は、「ものづくり国」に生産拠点を移し、低賃金で労働者を働かせて、たまった資本を金融資本に託し、金融資本家は、それを新たな投資先やローン(労働者の賃金の金融資本による先取り)などの貸し付けによって膨らませる。そしてそれに乗じて投機家たちがFXやレバレッジなどというアクロバティックな「金融工学」を駆使してさらにお金を膨らます。

 その結果、お金は、ものづくり国から生み出された実際の価値と交換される量よりはるかに大量の「お金」となって世界中を駆け巡るようになった。その「根無し草」マネーは、つねに株価や為替レートで増えたり減ったりする。

 一方、「金持ち国」の内部では、「ものづくり産業」を支えていた労働者が失業し、価値を生み出さないで「付加価値」を生み出す「サービス産業」や「ものづくり」国の労働者が生み出した莫大な価値や、それを基礎にして強引に生み出した虚飾の「根無し草」マネーを右から左に動かして莫大なお金を手にする金融業が儲け頭になり、それらの部門に労働者が吸収されるようになったため、産業構成が大きく変わった。

 他方で、社会保障制度や医療制度など社会が要求するが、莫大なお金が必要であり、金儲けにもつながりにくい問題に苦慮する政府は、国民にただでさえ高い税金を課している手前、増税もままならず、国債を発行してこれらの「根無し草」マネーの一部を吸収し、これに当てようとしている。

 しかし、その債務額は限界に達し、もはや「金持ち国」は本当は金持ちではないことが白日の下に晒されはじめた。たくさんあるように見えたお金は、実は、一握りの人々が握っていて、実際に社会的に必要な領域には還元されないのである。そしてそれら一握りの人たちが持っている莫大な金額のお金は、実は「ものづくり国」の生み出す莫大な価値に依存しており、本当は「お金持ち国」は、金貸し業的な「寄生国家」に成り下がってしまっているのである。

 そして「ものづくり国」の支配階級も実は、「お金持ち国」の一握りの人たちが投資する資本家企業のもとで、自国の労働者を低賃金で働かせ、そこから生み出された莫大な剰余価値を含む商品を、資本家企業(これには「ものづくり国」の資本家も「お金持ち国」の資本家も含まれている)がグローバル市場で売って巨額の利益を獲得させており、その上前を税金としてはねている。それによって「ものづくり国」の支配層は、国内の労働者の不満を抑え込むべく「経済成長」を押し進め、背伸びしたハイテク技術で安全性に欠けたインフラ整備や原発の増設、さらに海底資源獲得の力となる軍事力を持つために軍事産業を育成しているのだ。

 いまこそ、日本の労働者は自分たちが何とか維持している「中間層」としての地位が、どのような経済の仕組みの上に成り立っているのかよく考える必要があるのではないだろうか?「寄生国家」の中間層の運命はいまや風前の灯火なのだから。そして日本が世界に誇ってきた「ものづくり」の高水準な能力を支えてきた技術者や生産現場(生産現場の労働者は非正規雇用が増加することで、すでに「中間層」ではなくなっている)の労働者たちは、ますます失業の危機に晒されているのだから。

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2011年8月 9日 (火)

タイ国の労働者がんばれ!

 タイ国の大統領選でタクシン元首相の妹のインラック女史が当選し、新首相に就任した。もともとタクシン元首相とアビシット前首相との間では、タイの労働者と資本家の対立が党首間の対立として表面化しており、タイ国内で騒然とした状況を生んでいたが、追放されたタクシン元首相の意図を継いでインラック女史が、労働者の最低賃金を引き上げる政策を前面に打ち出して当選したのである。

 ところがこれに対して、資本家側は、それに反発し、もし労働者の最低賃金が引き上げられたなら、タイの中小企業はほとんどが倒産してしまうと言っておどしを掛けている。

 タイの労働賃金水準は中国よりもさらに低く、最近では日本の多くの資本がタイに生産拠点を移し、安い労働力を収奪している。したがってこうした日本の生産企業(自動車やカメラなど日本が看板とする製品を作っている企業が多い)もタイで労働賃金が引き上げられたなら困るのだ。

 タイの労働者は自分の国に投資している資本家がうるおい、経済成長しているのに、労働者の生活がちっとも良くならないことに、当然のことながら腹を立て、賃上げを要求しているのだ。

 これに対して、日本の企業にいる労働者達は、自分の雇用されている日本の企業がタイで儲けが少なくなれば、自分たちの賃金も危うくなるという危機感を持つとしたらそれは大きな間違いであろう。

 タイや中国の労働者の賃金が高騰し、日本の労働屋の賃金との差が少なくなればなるほど、それらの国々で生産され、グローバル市場に出される商品と日本などで作られる商品との価格差は少なくなり(といってもその差はまだ非常に大きいのだが)、グローバル商品市場での価格競争を通じて行われていた高賃金国の労働者の賃金引き下げ圧力も少しは減るのだ。そして国際的に見れば、労働者の地位も幾ばくかは向上し、互いに資本家の競争のために犠牲になる度合いも少しは減るのだ。

 だから、日本の労働者は、中国やタイの労働者の賃上げ要求に熱烈なエールを送るべきなのだ。

 もちろん、賃上げだけが最終目標ではない。最終的には、世界中の労働者階級が団結して、資本家階級による政治経済の支配をやめさせ、社会が必要とするものを生みだし、社会のために働く人々が、本来のそれに相応しいグローバルな社会的地位を獲得することが目的でなければならないだろう。賃上げはそのための最初のステップと言ってよいだろう。

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2011年8月 8日 (月)

価値とは何だろう?アメリカ国債格下げを巡って

 アメリカの借金が債務不履行寸前にまでふくらみ、それを先延ばしできる法律がぎりぎりのところで成立したが、国債の格付けが下がり始めた(この格付けを行う会社というのも奇妙な存在であるが)。それ以前からすでにドルの国際為替レートは下がり初め、相対的に円が高くなりつつあった。EU内でもポルトガルやイタリアが危ないといわれ、ユーロ圏中軸国のドイツやフランスがそれを支援しなければならなくなってきている。いまやグローバル資本主義経済の成長を牽引している中国もアメリカの国債を大量に買っているので、アメリカ経済の行方が気になるらしい。いよいよ世界的な大経済恐慌がやってくる前兆かもしれない。

 20世紀前半、世界の主要資本主義国が金融恐慌の前後に、金本位制を離脱し、いわゆる管理通貨制を取るようになったのだが、その後、第二次世界大戦を経て、アメリカのドルが国際基軸通貨になったのも、アメリカの資本主義経済がもっとも巨額の富を蓄え安定成長していたからであろう(ドルは一応金に対する交換レートが決められてはいるらしいが、兌換貨幣ではない)。そのため、ドルに対する他の国の通貨の表示価格の率が通貨の為替レートとして計算されるようになった。

 しかし、国際的な投機筋は、この為替レートの変化による差額変動を「金儲け」のために利用している。ある国の経済状態が危なくなると、その国の通貨で持っていた財産を売って、他の安定した通貨に変える。「かね」で「かね」を買うわけだ。そのため通貨の表示価格 に対する交換価値はさらに変動する。そこでグローバル商品市場での取引が大きな影響を受ける。同じ価値(つまり同じ労働時間をかけて作られたもの)の商品であっても、それと「等価交換」される貨幣の表示価格がもつ実質交換価値が下がってしまえば、利益は減ってしまうからだ。

 いまの資本主義経済が世界市場としてグローバル化しているにも拘わらず、そこで支払われる貨幣の交換価値がいつも変動しているということであり、さし当たりは「金」(「かね」ではなく「きん」である)の現物が安定した蓄財の手段として狙われているようだ。そのため金の価格が高騰しているらしい。通貨価値のアンカー役である金が市場で取引されて値上がりしているのだから、何をか言わんやである。金も商品なのだから仕方がないかもしれないが、そのうちもっとも確実に「価値を生み出す商品」としてグローバル市場で「労働力商品」が取引されることになるかもしれない。これはジョークであるが、なぜジョークなのかといえば、奴隷と違って生身の労働者が市場で取引されることはないからであるのはもちろんなのだが、その他に次のような事情があるからだ。

 同じ価値をもつ商品(同じ労働時間をかけて作られたもの)がグローバル市場の競争においては、なぜ他の国で作られたものに比べ、格段に低い価格で売ることができるのか、その理由は、その商品を生み出すために必要な労働時間が同じであっても、その労働力商品の価格が他の国々に比べて格段に安いからである。労働力商品の価格は、労働賃金のことであり、その価格は、労働力を再生産するのに必要な生活財の価格に等しいからである。生活費の安い国では労働賃金が他国よりはるかに安い価格で労働力商品が買えるために、その労働力で生み出された商品の価値は同じあっても、資本家が奪取する相対的剰余価値量ははるかに多くなるからである。したがってグローバル市場での競争で、労働力が高い国で作られた同じ価値の商品よりずっと安い市場価格で売っても資本家には巨額の儲けがあるのだ。

 もし、労働力商品そのものがグローバル市場に持ち出され売り買いされたなら、安い労働力商品が買われるに違いないのだが、現実には、労働者が、生活の場を他の国に移してしまえばたちまち労働力商品の価格(賃金)がその国の生活水準に近い額(外国からの出稼ぎ労働者の場合はその国の労働者より低い水準になる)まで上がってしまうのである。

 だから労働者を低賃金で働かせるには、生活資料の安い国(したがってその国では生活資料を生産する人々は過酷な労働に晒されているのだが)に彼らを縛り付けておかねばならないのである。言い換えれば、資本がグローバルになっても労働者は低賃金の国に留め置かれ国境を越えられないのである。こうして賃金の高い国の労働者は、つねに、資本家の支配のもとで、賃金が安い国の労働者と競争しなければならなくなり、資本家に利潤を獲得させるために、賃金を抑制されるか労働時間を延長され、雇用が抑制されることにもなるのである。そして賃金の高い国の労働者は、賃金の安い国で作られた輸入生活資料商品を買うことで、低く押さえ込まれた労働賃金で何とか生活しなければならなくなるのである。

 価値とは、もともと社会全体に必要とされるさまざまな労働のうち各人の労働がどのくらいの寄与率であったかを決めるための指標でもあり、それに応じて、生み出された価値が、それを生み出した人々に配分され還元されることになるはずなのであるが、現実には、労働者によって生み出された価値の大半が(おそらくは数百兆円もの富として)、一握りの金融資本家や投機家の手元に蓄積されるか、グローバル金融市場で新たな投資の場を求めて動き回るかしているのである。

 しかし、いくら差益や利子を獲得できたとしても、資本そのものは決して自ら価値を生み出しはしない。価値を生み出す実体は資本と対立した存在である賃労働者の労働だけだからである。

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