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2011年1月23日 - 2011年1月29日

2011年1月28日 (金)

セルジュ・ラトゥーシュの思想に関する考察(序論)

 少し前にこのラトゥーシュの<脱成長>論に触れたところ、かなり多くの人たちからアクセスがあり、コメントも頂いたので、彼の主著である「経済成長なき社会発展は可能か?」(中野径裕訳 作品社)を購入し、熟読した。そこでもう一度ここで、少し長くなるが、ラトゥーシュの思想の要点をつかみ直し、それに対する私の見解を述べてみようと思う。

 まず、セルジュ・ラトゥーシュという人物に興味を持ったのは、彼が私と同年代であり、おそらくは、あの1960年代の激しい学生運動期のさなかにあって、その中で自らの思想を確立させてきた世代であろうということと、その後の「経済発展」の中で、多くの仲間たちがその波に巻き込まれ経済世界の「推進の歯車」になっていった中で、それに抵抗しつつ、自分自身の人生をとにもかくにも歩まねばならなまったという意味で厳しいジレンマと自己省察を余儀なくされた人であろうということに、大きな親近感を持ったからである。

 ラトゥーシュは私とは比べものにならないくらい広い知識と活動領域および実践経験を持つ著名人であり、一方私はデザイン教育という矛盾に満ちた世界で実人生を立てて行かねばならない中で、公にはデザイン発想支援問題や思考過程の研究や教育を行いながら、個人的にはその専門分野の人々からはまったく理解も評価もされないであろう理論的考察を一人密かに営々とノートに書き綴ってきた「世界の片隅」に生きる人間であるが、そこに何らかの共有できる問題意識があるならば、私は彼の考え方との違いを明確にし、彼の思想への批判を通じてより建設的な思想(もちろん私への反批判を含めて)の形成に寄与したいと考えたのである。

 まず、一言でいって、ラトゥーシュの考え方に、多くの部分で私は同意できるし、これまで私がラトゥーシュという人物やその周辺のさまざまな運動をまったく知らずに、まるで絶海の孤島のような孤立状況で考え続けてきたこととの間の基本的な方向の違いは現状認識という点においてはあまりないということを感じた。ラトゥーシュの現状認識と主要な問題意識は正当であり、同感である。

 しかし、最大の問題は、彼が否定的に捉えているところの「経済」や「発展」というカテゴリーがまさしく「資本主義経済」という歴史的カテゴリーであるのに対して、マルクスがその思想の中で展開している経済のカテゴリーは、それを否定した、そのいみであらゆる社会に共通する経済の仕組みを求めているということを彼は理解していないということである。ラトゥーシュは「自由主義(資本主義のことである)もマルクス主義も生産主義だ」として「生産主義」や「経済」に反対している。しかし、私はマルクスが「生産主義」だとは思っていない。したがってラトゥーシュの主張と私の考え方はそこで大きく異なってくる。この違いは、資本主義経済以後の社会(ラトゥーシュの言葉で言えば<ポスト開発主義>)の構築への展望と、それによってイメージされる近未来社会のイメージの違いとなって表れるのである。

 このあたりは宇野弘蔵の言うように、歴史的に形成された資本主義経済の法則性をあきらかにすることで、その否定として、あらゆる世界や時代に共通して行われてきた経済原則を明らかにすることがマルクスの意図であったと言える。そのような視点で資本論をより深く理解すれば、そこにある「生産」という概念には資本によるそれとは全く違う意味を含んでいることが分かると思う。生産力と生産関係の間の矛盾が、生産力にとって桎梏となり、その矛盾が克服された時には生産力が解放される、というマルクスの考え方に中では、その解放された生産力が資本主義経済システムでの生産(商品として売るため行われる生産)とはまったく異なる方向へ、つまり「必要なものを必要な量だけつくることで成り立つ経済社会」を支える生産力であるということが理解できるはずである。そこには資本主義経済の法則という意味での「経済」ではなく、普遍的な経済原則としての社会システムを実現させる経済(本来の経済)が必要なのである。

 マルクスの生きた19世紀中葉の西ヨーロッパでは、地球環境や資源の有限性が深刻な問題となることはなかったし、資本主義社会を乗り越えようとする人々の運動があらゆる可能性を孕んで展開しつつあった時代である。こうした時代の歴史的な性格をマルクスの思想は当然持っている。だからそれは決して「硬直化した社会主義」ではなかった。それを硬直化させたのは後の時代の人々であり、彼らこそがマルクスのオリジナルの思想を改ざんしてそれに「社会主義」という看板をつけてしまったのである。

 マルクスの思想はその広大な展望の出発点にすぎず、まだこれから発展する「開かれた思想」なのである。しかし今の世界ではマルクスが不当に無視され、誤解されている。私はまず最初にそのことを明らかにして、その上で、これからラトゥーシュの思想についての考察に入ろうと思う。

(続く)

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