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2011年10月2日 - 2011年10月8日

2011年10月 7日 (金)

Steve Jobs の死をめぐって

 昨日、Appleの創業者スチーブ・ジョブスが亡くなった。マスコミはこのニュースで持ちきりである。

 実は、私がパソコンに興味を持ち始めたのは、1980年前後のApple II との出会いがきっかけであった。それまでポケコンを使ってBasicのプログラミングを楽しんでいた私が、Appleコンピュータの噂を聞いて、興味を持ったが、高くて買えそうもないのであきらめていた。あるとき秋葉原に行ったところ、そこで海賊版のプリント基板とシステム・ソフトの入ったROMと本物そっくりなケースとキーボードまでが格安で手に入ったのである。そして必要なパーツを買いそろえ、半田ごてをふるって海賊版Apple II を組み上げたのである。そこから私のコンピュータ・ライフが始まったのである。

 当時、ジョブスはApple II で成功を収めたものの、日本市場になかなか入り込めず、キャノンにコネを求めたが、あまり相手にされず、結局「ESD Labo」などという小さな会社を代理店のようにして日本に売り込みを掛けていた。しかし当時40万円以上もするApple II は庶民の財布にマッチしていなかった。しかし、私はジョブスの「Apple II は20世紀の知的自転車である」というコンセプトには共感を覚え、個人向けコンピュータの可能性に大きな期待を持った。そのうちジョブスはLisaというマウス(マウスはすでにゼロックスが開発していた)を使った技術的に先進的なしかし当然ながら超高価なコンピュータを売り出した。これはオフィスなどの業務用を狙ったものであった。しかし、そのしばらく後に、Lisaの廉価版ともいえるMacintoshを売り出したのである。これも確か80万円近くする高価な代物であったが、当時秋葉にあった「イケショップ」でのデモを見に行って、思いの外コンパクトなMac本体とMacDrawのすごさに惚れ込んだのである。

 そこで、当時私が勤務していた某国立大学のデザイン系研究室でこれを導入すべく奮闘したのである。当時デザイン系の学科などではパソコンなどさほど見向きもされず、ワープロが使われ始めたばかりであった。当時私はまだ助手であり、Macを研究室に導入してもらうための予算獲得の説得には大変な努力が必要であった。しかし、その効あって、ついに漢字Talkで動くMac Plusを導入することができたのである。それから後は、私の学科の他講座の教員たちもMacのすごさに惚れ込み、デザイン系学科ではパソコン=Macという状態になっていったのである。そしてやがてMacがようやく個人の手が届く価格になってからは、私の自宅でもComputer=Appleという状態になり、安い給料の大半をこれに注ぐことになったのである。私の周辺の人は私を「Appleのエバンジェリスト」と言うようになった。

 ジョブスはビル・ゲイツとともに、アメリカのコンピュータ業界隆盛期における「アメリカン・ドリーム」を象徴する存在となったが、彼のコンセプトは先進的技術を必要最小限の形でコンパクトにまとめ上げ、使い勝手を中心としたデザインをトコトン磨き上げる、というものであって、私もこれに共感していた。企業買収による技術の吸収でマンモス化しつつあったマイクロソフトとは対照的であった。

 ジョブスは紛れもなくエンジニアでありデザイナーであるとともに経営者としての資本家でもあった。苦手であった経営を代行してもらうために自ら招いたジョン・スカリーと考え方が合わず、Appleを追い出た彼が、Next社の創立を経て再びApple社に戻ってきたときには、「辣腕経営者」になっていた。そしてそこから彼の独裁的経営とカリスマとしての人生が始まったのである。21世紀に入って、完全なトップダウン的体制と彼の天才肌のパーソナリティーをフルに活用したカリスマ性をたくみに用いた経営がAppleの「企業価値」を押し上げたのである。

 考えて見れば、世界遺産として残った「タージマハール」や中国の「兵馬俑」など、どうしようもないバカな王様や超独裁的支配者がいて初めてこうしたすばらしい歴史的遺産が生み出されたのは歴史の皮肉ともいえるだろう。そしてある意味Appleのジョブスもあのカリスマ性と独裁的経営によって、次々と既成概念を破るIT製品を生み出して行くことができたのだと言えるかもしれない。集合知によるアイデアがほとんど「平均的で新規性に乏しい」ものになるのとは対照的である。

 そこで考えなければならないのは、ある創造的な結果を生み出す組織の構造が「民主的」であってはだめなのか?という問題である。これは大変重い課題であり、われわれがこれから真剣に考えなければならない問題であろう。そしてその方向は、結局は、民主的であってこそ生み出せる創造性とは何か?という問題に発展するであろうと思われる。これについては今後このブログで取り上げていくつもりである。

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