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2011年11月13日 - 2011年11月19日

2011年11月16日 (水)

自由・倫理・法則性

 自由貿易という言葉にも見られるように、「自由」という概念はよく考えて見るとさまざまな矛盾を含んでいる。何でも自分の望むことをやれることが「自由」なのであるとすれば、それは必ず自分以外の他者への何らかの犠牲を強制する。そこに「倫理」というものが登場せざるを得なくなる。ある倫理に基づいた自由というのがいわゆる「自由主義」の本質であろう。しかし倫理とか道徳とかいうものは、その社会での「とり決めごと」であって、その社会で支配的な「道徳観」や「常識」に基づいているといえる。これはその社会で支配的な地位をもっている人々の合意であって、たとえ普遍的な内容を含んでいるとしても、それ自体は歴史的な性質を刻印されている。江戸時代には、武士に無礼を働いた町人に対しては「切り捨て御免」が許されていた。今日の資本主義社会では、労働者から(不当に)収奪した剰余価値を資本家が自由に私有化できる。それらの社会では、これらの行為はいずれも違法行為とは認められていない。「自由」に行われるのである。

 しかしさらに重要なことは、各個人の自由な行為が社会全体として見ると、ある法則性のもとに置かれることになるということである。人間は社会的存在であるから諸個人が切り離されたバラバラな個人として生きることはできない。社会的(類的)存在としての諸個人はそれぞれが意識するとしないとに拘わらず、その社会の中である役割を演じざるを得ない。そしてそれら諸個人の役割全体がひとつの社会的な法則性を生み出している。その社会的法則性の土台となっているのが、「生産関係」である。つまりその社会で必要とされる生活財が誰によってどのように生産され誰によってどのように消費されているかということである。この生産関係の歴史的な形態が、歴史的に特有なその社会の法則性を生み出し、それがその社会特有の「自由と倫理」を生み出している。

 今日の資本主義社会での基本的な社会法則は「市場経済の法則」であって、人々は好むと好まざるとに関わらずそのもとに置かれている。そしてこの「市場経済の法則」は、それを生み出している諸個人の社会的行為自体を支配し、あたかもそれに従わないと世の中を生きていけないような状況とそれを基礎とした社会常識を生み出している。その土台にあるのが前述した賃労働者と資本の関係なのであるが、その関係の矛盾が直接的に現れなくなっている今日の資本主義社会では、それは言わば普遍的法則のように見える。資本家に雇用されなければ生きてゆけなくなっている労働者階級はもちろんのこと、社会的生産を支配している資本家階級自体も「市場経済の法則」に支配されているのである。一方では資本家同士の市場での「自由な競争」をモットーとしながら、他方ではG20の様に、国際的な資本家間(正確には資本家代表政府間)でのとり決めごとやルールを調整し合わないとやっていけなくなっている。

 「自由貿易主義」では労働者の労働力は「自由に」(実は労働者階級は自らの労働力を売りに出さなければ生きてゆけない)売買され、それが労働力商品の価値を超える剰余労働によって生み出す剰余価値は資本家によって自由に私有化されることが基本的「社会常識」となっており(資本家的な表現では「企業の社会的責任」ともいう)、労働力の価格(労働力の再生産に必要な生活資料の価格)が著しく異なる諸国間での労働賃金の差はそのままにされたまま、それによって生み出された商品の市場価格の大きな違いにより生じる利益を、資本家同士が「自由に」奪い合えるのである。

 このような「市場経済の法則」は、マルクスによって価値法則として明確に抽出され、その本質が明らかにされた。それは自然界の法則とは異なり、人間の社会的行為が生み出す法則であり、それを「法則」としてキチンと認識することができ、したがってこれを主体的にコントロールできるような立場になれるのは、その価値を生み出す源泉となっている社会的労働を現実に担う労働者階級の視点からでしかあり得ないことをも明らかにした。

 かつてエンゲルスは「自由とは必然性への洞察である」と言ったが、その意味では、資本家が本来社会的に還元されねばならない富を自分の私的利害のもとに置こうとするために生じ、自らもそれに支配されざるを得なくなる「市場経済の法則」という形で現象する価値法則の本質を明らかにし得たマルクスは、それによって、労働者階級が価値法則の奴隷になっている状態から自らを解放し、それを社会全体を支配する「法則」としてではなく、価値の源泉である労働者階級自身が意識的に価値の生産と社会的配分をコントロールできるという立場にたつことによって、その自由を獲得することを目指したのである。

 このような歴史的視点から、今日のTPP問題やティーパーティーの思想やその根拠となっているハイエクの思想などに見られる、資本主義社会的「自由」という考え方の持つ矛盾を抉り出さねばならないと思う。

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