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2011年12月11日 - 2011年12月17日

2011年12月15日 (木)

生活のあらゆる場面がビジネスの対象にされている現代資本主義社会

 いまの資本主義社会では、生活のすべての場面がビジネスの対象にされている。例えば、子供が生まれれば、子育てに必要な子供服、育児用具、遊具などはすべて資本に利益をもたらす商品市場のアイテムとして捉えられていることはもちろんのこと、子供が独り立ちして生きていくために必要な教育を受けること自体がビジネス化され、教育資本が形成される。その中で子供達は将来社会に出てよい会社に就職できること(言い換えれば資本に労働力として雇用されることつまり労働力商品市場での「競争力のある商品」になること)を確実にするために、出来るだけ良い学校に入ることが要求され、激しい受験戦争を戦い抜かねばならなくなる。中学は良い高校に入れるため、高校は良い大学に入れるため、そして大学は良い就職先に就職できるためのステップでしかなくなる。つまり人間が社会人として成長し、人格形成される過程がすべてビジネスの対象にされる。

 そしてこの過程で多くの「脱落者」を生み出しながら、競争に勝った者は資本に雇用され、賃労働者となる。彼/彼女たちは「就職おめでとう」と親や友人から言われ、胸ふくらませ仕事に励むかもしれないが、やがて仕事の内容や労働環境に疑問を感じることも多くなるであろう。そして日々過酷な労働が続くうちにストレスや神経症などで仕事を休むことも増え、やがて転職する人も多いだろう。彼/彼女たちの日々の労働力を生み出させるために必要な、食事、衣服、住居、家具そしてインフラ環境への負担、病気治療の費用、などなどは労働賃金として支払われたお金で賄わねばならない。それら生活に必要な資料はすべて商品化され、それを購入することで、その商品を生産・販売している資本のもとに貨幣は還流される。

 こうして何とか日々の労働に必要な労働力が「消費生活」の中で再生産されても、その労働力を発揮する職場において多くの場合過酷な労働が待っている。過酷な労働での労働者同士の競争に勝ち抜き、仕事のストレスなど何とも思わないような者たちが「勝ち組」として企業の上層部に昇進していき、やがてその中のほんの一握りが資本の経営を担当する機能資本家の役割を担う。しかし残りの大多数の若者達がこの過酷な競争の過程で挫折し、自分の生き方を再検討せざるを得なくなる。こうして世の中では労働力商品同士の苛烈な競争の結果、社会は一握りの「成功者」である資本家と大多数の「脱落者」としての労働者にふるい分けられるのだ。

 大多数の労働者たちの日々の生活は企業での労働(精神労働を含む)が中心であり、個人生活は、そこから開放された時間としてわずかに与えられる勤務後の時間や休日において営まれる。そこで「本当の自分の世界」を取り戻そうとして、趣味、娯楽、レジャーそしてグルメなどに賃金の多くを割くことになる、この場面でも、それらをビジネスチャンスとしてとらえる資本が労働賃金から支払われる貨幣を獲得しようと待ち構えている。

 そして何とか結婚して家庭を持つことに生きる意味を見いだそうとする若者達の思いをも資本は金儲けのチャンスとして見逃さない。結婚式もビジネスターゲットである。そして結婚した後に、二人の生活する場所も探さねばならず、そこにアパートやマンションなどの不動産ビジネスが待っている。

 たがて子供が生まれ、養育費が必要になると父親だけの稼ぎではやりくりが付けられなくなり、母親も子供を保育園などにあずけて労働にでなければならない。これを世の中のマスコミは「女性の社会進出」として讃えるが、実はその殆どがパートタイマーやアルバイトという臨時雇用労働者であって、正規雇用の労働者では資本にとって利益が少ないが社会で必要となる労働の多くの部分を低賃金で担当しているのである。

 こうした生活の中で何とか子供を育て、一人前の社会人として世に送り出し(つまり新たな労働力として資本に雇用され)何とか自分の持ち家を買う貯金を貯めることができる者は幸運であろう。しかし、そこで退職金を含めて莫大な貯金をはたいて持ち家を買ったのち、それを「ついの住まい」するころには「定年」となり、資本家企業から不要な労働力として放出されることになる。

 そして老後の楽しみに本来の自分を見いだそうと趣味に貯金を注ぎ込み、つかのまの「自由な生活」を送ったのち(このリタイアした人々の貯金を獲得するために趣味の高級カメラや海外旅行そしてグルメなどという形で資本は大きなビジネスチャンスを得ている)今度は介護される対象となり、この介護もビジネスチャンスとして資本に包摂される。やがて迎える死もビジネスチャンスである。宗教ビジネスの経営する寺社やそれとつるんだ葬式産業による葬式に法外な高額な支払いを要求され、これも驚くほど高価な区割り墓地に葬られることによってわずかに残った財産も消え失せる。

 かくてマスコミや政府が目標としている「分厚い中間層」と呼ぶ典型的労働者はその労働力と生活、そして人生のすべてを資本に捧げてその生涯を閉じるのである。しかしこうした資本のビジネスチャンスの対象になりうる「中間層」の人々はまだマシな方である。多くの労働者は不安定でわずかな収入で生きねばならず、結婚することも出来ずに孤独にその人生を終えることになるのだ。

 これがGNP世界3位の「先進資本主義国」日本の現実である。

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