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2012年1月 5日 (木)

「分厚い中間層」とは?

 野田首相は、かつて1970-90年頃の日本がそうであったような「分厚い中間層」が存在する社会を再現しようとしているようだ。そして昨日のNHK TVでの国際ニュース番組でも、その意向を汲んで、格差を是正して分厚い中間層を形成させようとしている成功例としてインドネシアの現状が報告されていた。

 このニュース番組の解説者は、一部の富裕層が肥え太りそこに富が集中することにより社会全体に富が行き渡らなくなり、経済は沈滞するが、分厚い中間層が形成されれば、社会の富が中間層の消費を通じて社会全体に循環し経済は活性化される、と言っていた。果たしてそう言えるだろうか? まず問題なのはこの解説では、なぜかつて存在した「分厚い中間層」がなくなり富裕層と貧困層の格差が増大したのかについては何も触れられていない。そしてさえらに言えば、「富裕層」の実体は何か?「貧困層」とは具体的にどのような人々を指すのかについても何も語られないのである。要するにこれは「中間層」と言われる人々の実体が何なのかという核心的問題に触れられていないということである。こういう解説こそ支配的イデオロギーを生み出すオピニオン・リーダー(例えば昨日のTV番組での解説者は東大の教授であった)の役割なのである。

 「中間層」と言われる人たちの中核は労働者階級であるが、彼らの賃金を政策的に一定の高さに維持し、これをテコとして彼らの消費を促し、同時に公共投資などにより社会インフラの増設工事を増やし、そこに雇用を確保するというのは、すでに1930年代後半にアメリカの大不況時代を脱するためにフーバーおよびルーズベルト大統領によって取られたニューディール政策とまったく同じなのである。

 そこでは、世界的に拡大しつつあった社会主義陣営との対決の必要上、左傾化しつつあった労働者を貧困状態からすくい上げ、同時に彼らを「消費人間化」させることによって、階級意識を忘れさせ、不況の根元にあった過剰資本からの圧迫をその消費の中で消尽させながら資本側の支配を維持しつつ利益も増大させるという戦略であった。それは第二次大戦後に成功を収め、東西対立が深刻となった時代にアメリカの資本主義は西側資本主義世界の覇者となったのである。しかしそれはまた同時に、東西対立という緊迫した状況を利用し、戦争という大量消費とそのための軍需産業の発展が社会基盤を形成することでもあった。一方での労働者階級の「消費者化」と他方での軍事力の極大化とそれにともなう軍需産業の基幹産業化によって、アメリカの「分厚い中間層」が形成されたのである。やがて、1990年代初めの東側世界の自壊によってもたらされたアメリカ資本主義の「一人勝ち」は、それをグローバル資本主義へと拡大させ、世界中の労働者をさまざまな形で支配するようになった。アメリカにおいてはますます「消費人間化」が進められ、いわゆる「先進資本主義国」のほとんどはアメリカ型消費社会の後追いをした。そして他方、そのために安い労働力を自由に買えるアジア、アフリカ、中南米などの国々の資本家階級は、グローバル資本のおこぼれを頂戴する富裕層としての資本家階級と、それに雇用される低賃金労働者という二極化された社会階層が形成されていった。やがてその矛盾がはっきりと露呈し始めた。それがいまの世界の状況である。

 つまり、かつて国内産業を発展させた「先進資本主義国」の「分厚い中間層」は、資本のグローバル化によって、アジア・アフリカ・中南米の安い労働力によってもたらされる安い商品に依存した消費生活へと変貌を遂げ、家電、自動車など耐久消費財を含めて生活資料が自国内で生産が行われなくなり、社会を維持するに必要な基幹的産業が国内から安い労働力で生産する国々へと流出したのである。そして自国内の産業はレジャー産業、サービス産業、流通販売業そして何よりも信用取引を土台とした金融関係企業が主流となり、社会全体が腐朽化し、雇用は流動的で不安定なものに変わり、ちょっとした投資家(信用取引きを基盤とした金融資本家)たちの思惑によって景気が大きく変動し失業者も増大することになった。

 そして何よりも、その結果、消費(正確には浪費)を促すことでしか成り立てない経済(経済学の本来の役割とは全く反対の方向)のために地球規模での自然破壊が進行し、石油を始め地下資源は急激に枯渇し始め、地球全体の生態系や気候も大きく崩れ始めたのである。もし、人口世界第3位のインドネシアがアメリカ的消費社会を目指したなら、その先には地球環境破壊のさらなる加速が待っているだろう。そしてさらに悪いことには世界人口第1位、第2位の中国、インドも同じ道を目指しつつあるということである。自然環境は待ってくれない。刻々とその破壊と地球全体の危機へ突進することになるだろう。消費拡大による経済の活性化のもたらす結末は地球の自然環境の完全な破壊と人類存亡の危機である。

 こうした状況をもたらした最大の原因がいまや集中する富を一手に所有し、さらには自分たちの利益のために世界中の国々を「格付け」し、市場原理という大義名分のもとで世界中の経済を振り回している「富裕層」つまり資本家階級の意志決定の結果なのである。そして彼らの「市場原理に基づく意志決定」の結果いまや貧困層に落とし込まれたかつての「中間層」の人々(多くの場合その第2世代の若者たち)は、まともな職にありつけず、社会の中での自分の存在意義すら見失い、目先の遊びや趣味にしか生き甲斐を感じられなくなり、プロテストの声を上げ始めているのである。

 それなのに、何の反省も分析もなく「分厚い中間層」など再現できるわけがないではないか!

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