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2012年1月 2日 (月)

今年やらねばならないこと

 昨年の11月〜12月、少し体調を崩し、病院回りで検査などを受けたりしていて、なかなかブログを書くことができなかった。そこで新年を迎えたいま、まず今年の目標を立てておこうと思う。

 そろそろ残りが少なくなったわが人生だが、今年やっておかねばならないことは山ほどある。その中の最大の目標は、これまでいろいろと批判を繰り返してきた現代資本主義社会の「後」に来るべき社会、つまりわれわれが目指すべき社会の姿を少しでもよいから明らかにして行くことである。

 これに関しては、マルクスがかつて、当時のいわゆる「空想的社会主義者」を指して、絵に描いたモチのような理想社会を妄想するのではなく、目の前の現実と対決しつつ一歩一歩新しい状況を生み出して行くことこそが真の共産主義であるというようなことを言ったことは周知の通りである。

 そのために敢えて安易な未来社会の構想を描くことはしない、というのがマルクス主義者の考え方であるとして捉えられている。これは正しいと思う。しかし、19世紀末のヨーロッパを中心としたマルクスとエンゲルスの対決した資本主義社会と、それから130年も経った21世紀初頭の現在における「グローバル資本主義社会」とではまったく状況が違っている。いまや「次の社会」を考えることが焦眉の課題となっているし、それが可能になっているからである。

 20世紀世界を動かした「社会主義」運動の展開とそれに対抗した資本主義社会の著しい変貌、そして「社会主義」運動の挫折と後退という状況のもとで、21世紀にはあたかも資本主義社会が「勝ち組」として普遍的な社会構造を築きつつあり、そのなかの性悪の「マネー資本主義」を改めさせ、「リベラルな民主主義」に基づく「良い資本主義」を構築して行くことが世界の目標であるかのように見せる状況を生み出したのである。多くのマスコミもいまほとんどこの立場に立っている。

 しかし、いま世界中で起きているさまざまなプロテストは、表面的には独裁者への反発としての民主化要求であり、社会の格差是正を求める行動であり、借金ずくめ破産寸前の政府が「社会保障の代償」として国民に重税を課することへの反対であったり、さらには原発などに象徴される地球の自然環境破壊へのプロテストであったりするのであるが、これらは総じて資本が支配する世界がもはやその限界を露にしている状況に対する労働者階級やその他の資本に支配され続けてきた人々の世界史的なプロテスト、つまり21世紀型の階級闘争なのだということを認識すべきであろう。

 この状況に対して、支配的階級とその代表政府が危機感を抱き、いわば資本主義体制内での修正を行おうとしているのがいわゆる「リベラル派」であると考えてもよいのではないか?人々は一時期この「リバラル派」に一定の期待感を持った。2009年頃の状況がそれである。このひどい世の中を少しでも良くしてくれる我らの味方なのではないかと。しかし期待はあっという間に裏切られた。その後の「リバラル派」のやっていることは、要するに基本的に資本家階級の立場に立ち、被支配者たちの不満を一時的に「ガス抜き」することであるに過ぎず、その矛盾やそれによる失敗が次々と明らかにされてきたのである。いわく「消費を増やすことで国民生活を豊かにし産業や経済を活性化させる」。しかし同時にそのためには必要なエネルギー政策による石油資源などの枯渇と資源獲得競争の激化、そしてそこから導きだされる原発などに象徴される環境破壊的政策、そして決定的なのは、「不況回復」のために成される政府のさまざまな「税制改革」による、産業界の保護、そしてその陰で重税と失業と不安定化が進む労働者階級の生活、希望を失った若者たち、社会に必須の農業などの基本的産業の衰退、などなどまったくひどい状況を生み出している。

 もう一度考えてみよう、われわれはいったい誰のために働き、誰のために生きるのか? 資本家階級間の国際競争に勝つために使い捨てられるために生きているのではない、逆である。われわれが幸せに生きるために必要な手段としての産業なのではないのか?苛烈な国際競争も資源獲得競争やそこからくる紛争など決してわれわれが望むものではない。資本がそれに勝ち残るために必要なだけである。

 目的と手段が完全に逆転してしまっている資本主義社会のもっとも典型的な矛盾、つまり資本の自己運動という「物の支配」のもとに人間の生活が置かれ、われわれの人生と生きる意味のすべてが「資本への奉仕」とされてしまっているのがいまわれわれの眼前に展開している現実のだ。

 こんな状況に置かれていて、資本主義社会以後の社会としてこのひどい現実を克服してわれわれが目指す社会はどうあるべきなのかを考えないわけにはいかないだろうと思う。これこそが究極の普遍的「デザイン」ではないだろうか?

付記:このブログを書いた数時間後に、NHK BS TVでやっていた、日本の現状と今後に関するジョン・ダワー氏とガバン・マコーミック氏の対談は非常に面白かった。そこで指摘されていたのは、3.11の打撃から立ち上がろうとしている東北の人々と、戦争でもっとも苦しい体験を経ながら長年日本政府のアメリカ依存政策の犠牲になってきた沖縄の人々による草の根民主主義の台頭が、これからの日本の流れを決めるキーになるだろうということであった。まさに我が意を得たりという感じであった。

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