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2012年1月 3日 (火)

二つの「民主主義」(1)

 民主主義には二つの種類がある。一つはトップダウン民主主義、もう一つはボトムアップ民主主義である。

 ギリシャ・ローマに端を発するといわれている民主主義はいわば支配階級の民主主義である。支配的階級同士での権力抗争をうまく治め、農民や奴隷を支配する「市民」の政治形態であるといえるだろう。

「市民」という言葉は実にあいまいなことばであって、これを支配階級はうまく使っている。古代ギリシャ・ローマではこうして都市国家に住む支配的階級が「市民」と呼ばれた。そしてそのような「市民」たちの自治政治形態として「民主主義」が採用された。これをここでは「古代民主主義」と呼んでおこう。

 宗教的権力と政治が結びついた中世社会でのトップダウン的支配が長く続いた後のルネッサンス期に、それと対抗する勢力として現れた「市民」はベネチアやフィレンツエあたりで貿易や略奪などにより蓄財し、経済的権力を持ち始めた商人出身の人々であった。彼らはギリシャ・ローマ時代をまねて、都市に住む商人や職人たちをひっくるめて「市民」と呼び、宗教的権力と一体化した王侯貴族たちと対抗した。だから近世の「市民」は一見支配階級と対抗する「下からの勢力」のように見えるが、やはり農民や下層労働者はその中に含まれていないのである。

 やがて西ヨーロッパでは王侯貴族の権力が失墜し、オランダ、イギリスやフランスなどで近代的「市民」が政治的・経済的権力を持ち始めた。さらに既存の王侯貴族による支配がない新大陸アメリカに移住したヨーロッパ人たちの社会で「デモクラシー」という新たな政治形態となって結実していった。 これがいまあたかも普遍的政治形態と思われている「民主主義」の元祖である。これをここでは「近代民主主義」と呼んでおこう。近代民主主義はルネッサンス期の商人に始まる、近代資本主義に特有の政治形態であるといえる。したがってその初期においては、そこに労働者は含まれていなかったのである。

 ことわっておくが、古代民主主義と近代民主主義が「二つの民主主義」なのではない。問題はこれから以後の話なのである。

 初期のアメリカ社会は、開拓時代の自給的農業社会を核として形成されたと考えられるが、ヨーロッパのような商人資本家や職人ギルドが形成されなかったので、絶対的労働力不足という状況のもとで機械力に頼らざるを得ず、ヨーロッパでの産業革命の成果がそのまま輸入されたと考えられる。そして南北戦争以後、「解放」されたアフリカ系元奴隷の人々が北部に形成されつつあった産業資本の労働力として吸収されていったのである。

 したがってアメリカ民主主義の父と呼ばれるリンカーンの思想の中にはアフリカ系元奴隷の人々をも政治の座につかせるという思想はなかったと思われる。こうしてアフリカ系「市民」は、まるであたりまえであるかのように最初からアメリカ民主主義から排除され差別された存在となった。それがアメリカ民主主義の中で政治的力を得るのはご存知のように1970年代以降のことである。

 日本においては明治維新以後、下級武士出身のインテリ、江戸時代から町人として蓄財してきた商人資本家や貿易などで財を成した新興の資本家や地主など経済的に余裕のある人々などが「下級士族」や「平民」として政治・経済の中枢に登場した。しかし、そこには、しがない職人たち、街の小さな商店主、小作農の農民や工場で働く労働者など、そしてすべての女性は含まれていないのである。やはり支配階級の政治形態としてヨーロッパ式議会制度が導入された。富国強兵政策に駆り出され、日清日ロ戦争で犠牲になった多くの人々は、参政権を持たない人々であった。

 やがて明治が終わり、大正期に入ると、工場労働者も増加し、ロシア革命の影響もあって、社会主義への関心が高まり、一方でヨーロッパでの第一次大戦後の民主主義的雰囲気が日本にももたらされ、「大正デモクラシー」と呼ばれる時期があった。このころはまた、それまでの西欧一辺倒の思想への反省から「日本的なもの」への再評価が始まった。そのような中で選挙制度も改定され、参政権が拡大された。しかし、一方で労働者や農民の間で高まってきた社会主義運動に対する支配階級側の危機感も強くなり、弾圧が始まった。富国強兵から連綿とつながる産業・軍事優先の風潮は形を変えて強められ、やがて昭和に入ると、欧米の資本主義社会と対等な日本の資本主義経済の自立化を目指して大陸への侵略が始まり、ますますその傾向が強められた。昭和初期特有の国家主義的思想として支配階級の思想キャンペーン(日本精神という言葉に象徴される)が展開され、人々は「国民」という形でまとめあげられ、完全に国家権力のもとに支配されることになった。そのような状況の中で「デモクラシー」はむしろ「敵性語」となり、誤った退廃思想として位置づけられた。

 支配階級の守護神となった軍部はこうして被支配階級の人々を戦争に駆り出し、被侵略国の人々を含めて一千万近い犠牲者を生んだ後に壊滅的な打撃を受けて第二次大戦は終わった。個人としては何の恨みのない人々同士が「国家」を背景に悲惨な殺し合いを展開するという大戦の悲劇は、まさにトップダウン支配の究極の結末であった。

 そして戦後、その反動で日本はたちまち「アメリカン・デモクラシー」に染め上げられていったのである。

 しかしこの時期のアメリカン・デモクラシーは、一方で社会主義圏の拡大があり、世界が東西に二分されつつあった時期なので、自国の労働者階級への配慮は怠りなかった。資本主義国側で労働者階級が貧困にあえぐような状況ならば彼らは必ず社会主義運動に走ると見たからである。戦後日本を施政したアメリカを中心とした占領軍も農地解放などにより小作農を地主から解放し、労働者の権利を拡大した。戦中の「国家主義」に対して「民主主義」を対置したのである。当然ながら日本でも左翼的思想が支配的となり、労働運動が高まりを見せた。ゼネストや「米よこせ」運動などで多くの労働者や下層階級の人々が権利を主張するようになった。戦後最初の「ボトムアップ民主主義」の台頭である。

 しかし、まもなく始まった朝鮮戦争をきっかけにアメリカの政策が変更され、レッドパージと呼ばれる激しい左翼弾圧が始まった。日本でも同様な事態が起き、政治の実権はアメリカ資本主義を全面的に支持し、日本をその防波堤と位置づけ、社会主義を「敵」とみなす政党が支配するようになった。そうしたアメリカ資本主義政府の手厚い「庇護」のもとで日本の産業資本はめざましい復興を遂げ、やがて1960年代に高度成長期を迎えることができたのである。

 いわゆる高度成長期には、労働者の生活内容そのものが激変していった。テレビ、冷蔵庫、オートバイ、扇風機、電気釜などなど次々と打ち出される家電製品や乗り物と、それらを貯金して何とか買うことができるような労働賃金の高騰(ただしそれは貨幣価値を徐々に引き下げる経済政策によるいわゆるクリーピングインフレーションが前提であったのだが)で、労働者階級は新しいアメリカ的文化生活にあこがれ、それを実現させることが人生の目標であるかのように思わされていった。インダストリアル・デザイナーという職業もこうした社会において初めてその社会的地位を与えられたのである。

 これは実は、戦後資本主義社会が作り上げた新たな支配構造なのである。労働者は、自分たちの賃金が徐々に上がっていき、それによって様々な生活用耐久消費財やクルマなどを購入できるようになり、やがては自分の家を持ち、豊かな生活を送る「市民」の一員となれる、という夢を描かされることになった。その「夢」の実現に向けて資本が生み出すさまざまな消費財を購入し(買ったあとに消費するかどうかに関しては資本は興味を持たない)、あたかも商品を買うことが自分のいきる意味であるかのように思いこまされることになる。それによって資本の側は、拡大する過剰資本の圧迫を莫大な浪費によって消尽し、その見返りに莫大な利益を得て富を蓄積する構造ができあがったのである。労働者階級は「消費人間」として位置づけられ、実際には直接的生産過程に携わっていながら「消費者」と見なされ、資本家側は実際には単に生産手段を所有してそこに労働市場で購入した労働力を張り付けるだけなのに「生産者」と呼ばれることになったのである。そのようにして労働者階級は完全に階級意識を眠らされ「市民」としてあるいは、「中間層」という自覚を持たされることによって、その歴史的使命をわすれさせてしまったのである。

 このような構造の社会で支配的な地位を維持してきた資本家代表政府は、アメリカ的デモクラシーを手本とした「民主主義政治」を行ってきた。それは様々な資本家の利権に結びついた政治であり、総資本の立場に立って「経済成長こそ雇用を守り社会がゆたかになるための鍵でありそのためには消費拡大が必須である」という思想をばらまいてきたのである。そして50年にわたるその成果は周知のように、世界の1%の大資本家グループが99%の人々を経済的に支配し、その99%の人々の人生を自分たちの蓄財の手段として消費し尽くしているのである。

(続く)

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