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2012年2月22日 (水)

いまふたたび次世代社会を考える(1: 流動化する世界情勢)

 これまでにも何度か現代資本主義社会への批判のもとで、次世代社会について考えてきたが、ここでは、前回まで3回に渡って述べてきた資本主義社会の本質的構造を根本から覆し、社会のために働く労働者たちが本当に主人公になれる社会を生み出すにはどうすればよいのかという問題についてこれから数回にわたって考えてみようと思う。

 いま、世界中で、労働者たちのプロテスト運動が起きている。アメリカでもヨーロッパでもそしてロシアや中東でも。一方で資本家たちのソサイエティーは、資本主義国家という形において「民主主義」という名目の統治形態で、労働者階級を支配している。しかし、資本家的経済体制は、すでに一国ではその経済体制を支えきれなくなっており、グローバル資本を基礎とした国際的な資本主義国家の連合を模索している。その先駆けとなったEUは、20世紀末に自己崩壊した東側の「社会主義国家群」をも取り込み、通貨の統合も成功したかに見え、やがてアメリカや日本を中心とした資本主義国家連合と肩を並べる政治経済体制となるかの様に見えたが、いまやEU全体が域内のギリシャ、イタリア、スペインなどでの国家財政運用の失敗を引き金としてEUの経済体制全体が資本主義体制として危機に直面している。経済的に破綻したギリシャの国家財政支援を行わねば世界的な「信用不安」や経済恐慌を引き起こしかねない状態である。EUは莫大な税金を元手とする金を注ぎ込むためには、ギリシャが経済政策を転換し自国の労働者階級への賃金カットや年金削減を行うよう要求している。

 この事実を見ても、いかにいまの資本主義経済体制の「民主主義諸国」が資本家階級の利害に左右され支配されているかが明白である。彼らは、資本家的企業体制を維持するために労働者階級に大きな犠牲を強いているのだ。アテネで「メルコジ体制批判」という形で労働者たちがプロテストするのも当然ではないか!

 いまの先進資本主義諸国の経済体制は実は、アジア、中東、中南米やアフリカなどの専政的国家で「グローバル資本」に搾取される労働者階級や、それらの国々から先進資本主義国に出稼ぎにきている労働者たちの低賃金労働に支えられており、高い生産性ゆえに莫大な蓄積をもたらす過剰資本を金融資本家たちが占有し世界中に投資しまくり、同時にそれら流動過剰資本が資本にとって本当に過剰化しないように先進資本主義国の労働者にさまざまな形の浪費を「消費拡大」として強い、また軍需産業へ過剰資本を注ぎ込むことで、経済恐慌をかわしながら肥え太り、資本主義諸国の政治経済を支える資本家階級たちに分配し、その国の総資本の立場を代表する国家が発行する国債を持つなどという形で支え合い、その支配力を維持し続けているのである。

 もちろん、世界中で起きているプロテスト運動は、その国や地域特有の政治経済体制の背景のもとにあり、例えば、「アラブの春」と呼ばれた一連の北アフリカや中東のプロテスト運動は、先進資本主義国の支配階級と経済的な利害上結託してきた独裁者たちが、「反独裁」を旗印とした民衆の革命によりひとまず放逐された、という状態である。しかしその後のエジプトやリビアなどの状況は、その混乱の中で、再び宗教的独裁への動きがあったり、部族や宗派間の対立が表面化したり、インターネットなどを駆使して革命を成功に導いた若者たちが必ずしも「あるべき社会体制」への展望を持ち合わせていなかったりしたため、紆余曲折が予想されている。

 EUでのプロテストでは、大量の失業や賃金カットという状況に対するプロテストが主であり、労働者たちの多くは「もとの生活状態を取り戻せ」と要求しているようである。

 アメリカでは、破綻しかけて政府から莫大な税金を使ってテコ入れされながらウォール街の金融資本家たちのあまりの勝手な振舞いに対する怒りが大きい流れを作っていたようである。そして雇用の拡大要求や「アメリカ産を再び」という旗印のもとに、海外に流失したアメリカの生産拠点を再び国内に戻そうとする運動や、オバマの社会福祉制度に重点を置いた「大きな政府」型経済政策に対して「自由経済」を旗印とした右派資本主義者がそのプロテストには入り混じっているようだ。

 そしてロシアでは、あのスターリン主義的に変質した「社会主義」政権崩壊後に、豊富な地下資源を獲得した新興資本家たちを代表する半独裁的なプーチン体制に対する民衆の怒りが爆発しているようだ。

 中国はもっと複雑で、アメリカ、ヨーロッパそして日本などの先進資本主義諸国の「消費経済型市場」をテコにして、いまや中国型「一党独裁体制国家独占資本主義」として成長した資本主義経済体制を国家指導で突き進めている中で、かつて革命の主人公であったはずの労働者や農民が「豊かになれる者から豊かになればよい」という鄧小平の号令以来、「豊かになれなかった」民として「豊かになった」人々(新興資本家)や、それと結託し汚職にまみれた官僚などの権力のもとで過酷な搾取を受けている。特に奥地の少数民族への搾取がひどく、彼らがプロテストのおおきな力になっている様に見える。

 さて、そのような状況の中で日本は一体どうなのか?われわれは、「資本主義以降の社会」のあり方をどのように考えて行けばよいのだろうか?(続く)

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