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2012年2月28日 (火)

いまふたたび次世代社会を考える(6:「モノづくり立国」の崩壊)

 昨夜から今朝にかけて、国内の電機メーカー資本が共同出資して作った日本唯一のメモリー製造会社でエルピーダ・メモリが倒産したというニュースが報道されている。一方で韓国のサムスンや台湾の企業に世界DRAM市場でシェアを奪われ、他方で超円高による輸出利益の減少がその原因だとされている。

 日本は、総資本の立場からすると、「モノづくり」を中心とした工業生産企業の商品輸出で国際市場から利益を稼ぎだす「輸出産業型国家」であるとされてきたが、国際市場での熾烈な競争に勝つためには、輸出産業企業に雇用されている労働者数をできるだけ減らし(可変資本部分の減少)、大規模な設備投資(固定資本部分の増大)を行って生産の「合理化」(資本構成の高度化)を行い、国際市場で競争に勝てるように商品の価格を抑えなければならない。しかし、この大規模な設備投資に見合った利益を得るためには、大量に商品を売らねばならず、そうしなければ高度化した生産力は過剰資本として資本の蓄積を阻むことになり、資本家的企業は成り立たなくなるのだ。

 国内で雇用する労働者の賃金は、すでにその賃金という形で前貸した貨幣を「消費材の購入」という形でそれらを生産する企業の利益となることを通じて資本家階級全体にに還流させるメカニズムが出来上がっている以上、消費財市場の縮小を避けるためむやみに賃金カットはできない。しかも「合理化」により労働者一人一人の生み出す労働生産物の剰余価値部分は増大するが、労働者数が減った分、トータルな剰余価値量は減少する(一般的利潤率低減の傾向的法則)。それを利潤の増大に結びつけるには、それまでの生産量をはるかに上回る量の商品を市場に投入し、どんなにエネルギーや資源を無駄遣いしても、シェアの拡大によるトータルな利潤の増大を図らねばならなくなる。これが資本主義経済の法則だからである。

 こうして国際市場ではつねに各国の同種産業資本家たちによる熾烈なシェア争いが起きており、そこで働く労働者たちは「合理化」で労働者数が減った分、一人当たりの労働量をぎりぎりまで増やされ、過酷な労働を課せされる。しかも資本家が国際市場で取引に用いる通貨のレートがつねに変動するため、製造企業はつねに市場の無政府的動向に振り回される。それに加えて、そうした企業に投資している金融資本家や株主たちが、差益を見込んで企業の株を売り買いする証券取引市場では、市場の無政府性ゆえの思惑買いが行われ、ちょっとした先行きの思惑で株価は大きく変動し、資本家たちはいつも危ない橋を渡らねば利潤が獲得できなくなっている。これが「自由経済」の内実である。

 こうして「モノづくり」資本を価値生産の源泉としながら、そこから生み出される膨大な量の剰余価値を遊休資本の有効化という形で吸い上げ、融資や投資で「利子生み資本化」し差益を稼ぎながら資本家階級全体にそれを分配することで、「産業の血液」としての金融資本を握るのが金融資本家たちなのである。

 その中で、日本のような消費財を中心とした「モノづくり」資本家が稼ぎの中心であった国では、つくられたモノを、国内市場において、労働者階級に生活消費財として購入させることを通じて、労働賃金として前貸した貨幣を還流させ、それによって資本家階級全体が潤っていた「高度成長期」があったが、やがて1970年代後半には国内需要が「飽和状態」となり、モデルチェンジなどにより買い替え需要(多くのデザイナーがそのために雇用された)を喚起することに注力したが、それにも拘らず国内市場から上がる利益は頭打ちとなってしまった。そのため「モノづくり」資本家たちは、需要が大きくなりつつある諸外国への輸出に利潤獲得の軸足を移していったのである。

 輸出に軸足をシフトした「モノづくり」資本がぶつかった最初の壁は、主要な輸出先であった先進資本主義諸国の生産企業とそこに雇用されている労働者たちによる貿易摩擦という形での猛反発(ジャパン・バッシング)であった。しかし、そこは、それらの先進資本主義諸国の総資本を代表する政府と日本政府双方の基本的立場の同一性の上に立って互いに自国資本家階級が利益を分け合う形の政治的駆け引きで乗り越えた。しかしそれはまた経済とは別の面(軍事戦略体制など)でのツケを回される結果にもなった。

 そしてその後、日本の輸出産業資本は第二の壁にぶつかった。それは、韓国、中国などいわゆる後発資本主義国において、アメリカ、ヨーロッパや日本などの資本家から投資を呼び込み技術導入によって生産力を培ってきた自国資本家たちが、大量に確保できる低賃金労働をテコとして最初から輸出主導で生産する低価格商品を国際市場に投入してきたことである。

 最初は設備投資があまりかからない生活雑貨や衣料品、食料品など、そしてやがて莫大な設備投資を必要とする電機産業や半導体産業などでもこれら後発資本主義諸国の輸出商品が世界市場を圧倒して行った。そのため先進資本主義諸国では、生活資料商品の「価格破壊」が起き、国内企業の大半が立ち行かなくなり、労働者階級の生活資料のほとんどがこれらの後発資本主義諸国や自国企業の海外拠点から逆輸入された商品になってしまった。労働者の賃金はそのため頭打ちとなり、国内では、自動車など中小企業の高度な技術をベースとして巨大な海外生産ネットワーク上に構築された輸出産業や、高級カメラなどのような先端技術を駆使していわゆる高付加価値商品を製造する企業だけが生き延び、それ以外の生活消費材産業の大半は衰退の一途を辿った。

 生活消費財の輸入や販売を行う商社や流通業、大企業化した小売業そしてアニメやゲームなどの娯楽産業、レジャー観光業、不動産業などが金融資本家の投資先になるとともに彼らは、勝ち目のない製造業よりも手っ取り早く儲かる投機筋などに利益獲得の軸足を移して行ったのである。

 こうしてかつての「モノ作り立国にっぽん」は、かつてのイギリスや最近のアメリカなどと同様に、生活に必要な資料のほとんどを国内で生産することができなくなり、第三次産業や金融企業によって稼ぐ資本家たちが経済を支配する寄生的国家になりつつある。「豊かな消費を享受する国」の顔をしながらその内臓はぼろぼろに蝕まれ、次世代を担うはずの若者たちは自らの手でこうした矛盾を告発し、新しい社会を築いて行こうとする意欲すら失っていきつつあるように見える。 

(続く)

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コメント

遅ればせながら、後追いでコメントさせて貰います。

2012/02/27 DRAM製造で国内唯一のエルピーダメモリ(資本金 約2,360億円 当初従業員数 約6,000名) が倒産した。少し前には経産省の役人のインサイダー取引で話題となっていたが、その次がこのニュースになろうとは予想外のことであった。1999年NEC・日立の各当該事業を統合して発足、2003年には三菱電機の同事業部を吸収して国内唯一の半導体メーカーになった。2009年には国が産業活力再生特別措置法の支援企業に認定して税金300億円を投入している。負債総額 約4,480億円 従業員数約3,200名とある。

4月2日に返済期限が迫っていた約770億円の借金が返せなくなったと云う。手元資金は約600億円ほどあったものの、代金前払いに応じてくれる企業も、返済期限の延長を承諾してくれる企業もなかったと云う。韓国のサムスンや同ハイニックスの製品が十分あるので、誰も困らなかったし、資金の余裕がある企業など、もう、すっかり無くなっていた。台湾メーカーとの資本提携交渉もまとまらなかった。

ここではっきりしたのは、従業員の大幅解雇が進んでいた事である。約半数が解雇されている。日本有数の電機メーカーがまとまって、何を策したかは発足から約20年も掛けて、倒産に至った経緯を見れば、明らかであろう。従業員を解雇し、可変資本を減らし、製造装置、固定資本を大きくしたとでも云うのか。古くなった装置を動かすのをゆっくり止めただけの事だ。その間これらの資本等がどこに資本を注ぎ込んだか知れば、筋書き通りということが分かってしまう。円高や韓国の投資力が進んだと云う理由だが、そのある資本力なしにそうなった分けではなかろう。

総資本は、総資本の増大を図る。当然ながら、その方法は全く自由であって、なにも国内唯一の工場を作って維持する必要もないが、より儲かる方法へと、損しない方法をと考えて実行する。その結果以外のなにものでもなかろう。税金投入、税金免除、利益隠しという一連の劇場が終演した。見事な演出だった。うまく行ったと高笑いが聞こえる。雇用などどうでもいい。うるさい従業員を放り出す設備でもあったであろう。税金300億はもう戻らない。国の認定だか協力だかサービスだか知らないが、撤退策を承知でのインサイダーなんだろ。それでもここで100億はもうどうにもできなかったのだ。資本の逃げ切りの収束宣言をしても始まらない。

投稿: | 2012年3月 6日 (火) 16時53分

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