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2012年2月19日 (日)

現代における資本家階級の構造(3)

(2)からの続き。(この章は、2月23日に大幅に書き換えた)

 いま巷では、資本主義以後の社会に関する本がベストセラーになっている様だが、それらの本の著者たちはほとんどの場合「資本」というものの本質についての理解がまったくできていないため、資本主義イデオロギーの補完を行っているに過ぎないことが多いのである。ハーバード大学を卒業して一橋大学の名誉教授になったりすればそれだけで、その人の言うことが大きな影響力を持つという世の中だけに、これは重大な問題である。そこで次の様な基本的事項を確認しておこう。

 「資本家」とは、あこぎに金儲けばかりを追い求める「悪しき資本家(マネタリスト)」のみを指すのでは決してなく、本来社会的共有財であるべき土地(つまり人間が生み出したものではなくその存立条件となっている地球全体の自然)と過去のすべての人間労働の結果であり社会的共有財であるべき生産手段を私的に占有し、これを元手にして労働者の労働力をその労働者が生活するために必要な資料の価値と等しい価値で購入し、その労働力をすでに占有する生産手段と結びつけることであらゆる社会的に必要な諸労働を「企業」という資本家的組織において行わせ、そこで労働する労働者たちの生きた労働の成果から絞り取った剰余価値部分(労働力の購入のため支払われた価値を超えて労働において生み出された価値部分)を含む商品を市場を通じて売ることでそれを利潤として獲得し、金融資本という形態で異なる分業種を経営する資本家間に融通分配させながら、社会的生産=消費のサイクルを推進させ、その過程で投資した資本に見合った利益を私的に獲得しつつさらに拡大させることを究極の目的として活動している人たちのことである。

 したがって当然、資本家自身も「自由な商品所有者」という自覚において「平等な権利と条件」のもとで市場競争を行って利潤を追求すると自身考えているであろうにも拘らず、実は「人格化された資本」として彼ら自身、資本の論理を実践することにおいて「資本の法則」に支配されているのである。

 この資本家たちは一つの階級ととして存在できるためには、生きた労働を、したがって諸個人の実存と社会的存在意義を表現する力である労働力を資本家に売り渡し、そのすべてを資本の生産過程とさせることにおいてのみ、資本家階級にその存在意義を認められ生活する諸個人、つまり賃労働者たちの存在を前提とする。資本家階級は労働者階級なしには存在し得ないが、労働者階級は資本家階級なしに存在することができる。いやむしろ資本家階級の存在がなくなることによってこそ、初めて本当の意味での社会の主人公になれるのである。

 資本家階級の存立基盤はあらゆる労働者たちの過去の労働が生み出した富(その歴史的搾取過程はマルクス「資本論」の資本第24章「いわゆる本源的蓄積」を参照)、つまり「過去の労働の成果」の私的所有であり、その意味では資本主義社会は、本来社会全体の財産であるべき死んだ過去の労働の成果を私的に占有することで、現在における生きた社会的労働すべての支配が確立された社会(つまり本来社会的に共有されるべき「モノ」が私的に所有されることで、社会的人間のあり方そのものを支配するという形でモノと人との関係が逆転した社会)なのである。

 だから、資本の軛のもとに置かれた労働者たちが、互いにその立場の共通性を理解し、ひとつの階級としての歴史的な自覚を持つことを出発点として、矛盾に満ちた資本主義体制を覆し、新たな社会を築き上げるための必須の第一目標は、社会的労働の目的を労働者階級自身の側に取り戻し、労働者階級が主体となって社会的生産と消費の合理的で計画的な推進を行うことにある。

 言い換えれば、過去の死んだ労働の成果を、あらゆる、社会的に必要な生きた「現在」の労働を行う人々自身が直接(つまり資本という疎外態を媒介することなく)その共有手段として用い、それを通じて確かな未来を計画的にうみだすことができるような社会を獲得することなのだ。

 それはきわめてシンプルで明快な社会経済システムとなるだろう。社会的に必要なものを必要な量だけ生産し消費できる社会である。そこには過去の労働の成果は「資本」という私的所有において疎外された形では存在せず、初めから社会的共有財の形を採るだろう。だから労働の生産性が高まり、剰余労働部分が増えれば、それが資本や過剰資本としてではなく、そのまま社会的共有財を増加させることになる。

 現在の様に、資本の支配のもとでの疎外された労働ゆえに、労働の中ではなく、商品の購買や浪費においてしか「自己実現」できないような「浪費社会」ではなく、人々はその労働そのものにおいて、自分が社会の中でどのような存在意義を持つのかを直接感じ取ることができ、いきいきとした日常生活が営まれ、未来社会を計画的に生み出して行ける社会になるであろう。そこではかつて資本家階級だった人々もまた資本の論理(法則)から開放され、一労働者として本来の人間性を取り戻すことができるようになるだろう。

 以上は、資本主義社会崩壊後に生み出されるべき社会を考えるためには必須の大目標であり、しかもこれは単なる主観的目標ではなく、歴史の科学が実証する目標であるといえるだろう。

 以下の議論はこの大目標を前提として行っていきたいと考えている。

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