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2012年5月27日 (日)

ハンセン病の詩人桜井哲夫氏と画家木下晋の世界

 さきほどNHKの美術番組で、画家木下晋の世界を放映していた。木下は、細密な鉛筆画で、年老いた皺だらけの母の裸像などを描いて独特な世界を表現する画家である。木下は、あるときハンセン病で何十年も療養所の中で孤独な生活をしながら、口述筆記で詩を書いてきた詩人、桜井哲夫を知った。そして何度もことわられながら、ねばり続けて、一緒に食事をし、口が歪んで食事中に入れ歯が外れてしまう桜井の食事を両手がぐしゃぐしゃになりながら手伝ったりしすることで、とうとう桜井の許しを得ることができ、桜井の肖像を描き始めた。桜井の顔は、病気の後遺症で崩れ、両目も失明し、崩れた顔面の中に埋もれ、鼻もなくなり、とても人間の顔とは思えないような表情であった。

 木下はこれを鉛筆で細密に表現した。その絵は、現実のそれよりもさらにリアルな表情である。初めて見ると、恐ろしくなって目を背けたくなる様な絵であるが、それとともにこれほど暗く、底知れぬ孤独な世界があるのかと思い知らされる様な絵である。しかし、この絵をじっと見ていると木下がいかに桜井の生き様と彼の詩に共感を抱いているのかが分かってくる。

 木下は少年時代から一家離散と貧乏暮らしの孤独な人生の中で、絵を画くことによって生きる意味を問い続けてきた。彼の「アトリエ」は、狭い公団住宅の雑然とした居間の一角にあるあまり広くもない壁面である。彼はそこにベニア板を当てて紙を貼り、鉛筆画を描いている。

 番組では、木下の作品について、宗教学者の山折哲雄氏が解説していたが、そんな解説よりもこの作品自体が表現するものの方がはるかにすさまじいものであった。真の芸術作品というものは言葉をはるかに超えたものを表現するのである。ことばの芸術である詩でさえもそうである。

 桜井が亡くなる直前の肖像を描いた木下の作品では、木下が大震災で失った友のことを語ったときにそれを聞いて合掌した桜井の姿が描かれている。病で崩れてなくなってしまった両手の指先から淡い光が漏れている。

 この二人の生き方に比べれば、私の人生などなんとちっぽけで浅薄なものであったかと思い知らされる。木下の作品を宗教学者の山折は、混沌としたいまの世界で絶望している人たちに、なにかしら希望を与えてくれるような絵である、と説明していたが、私は、そんな山折の解説よりもはるかに深い「何か」をこの絵から感じ取った。それは言葉にすることはできないが、敢えて言うならば、どん底まで落ちて「希望」などという言葉すら、うさんくさくなってしまった人々にとって、なおかつ何かしら生きる意味が感じられる瞬間があるのは、宗教的な「救い」を超えた、生命の存在の意味そのものなのではないのだろうかと思うのである。

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