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2012年7月 5日 (木)

コメントにお応えして

 昨日の「ある購読会(研究会)での講演にて」に、mizzさんからコメントを頂きましたので、ちょっと状況を詳しくお話ししておきます。

 この購読会(研究会)のメンバーは、単なる「ブルジョア計算屋」ではないのです。60-70歳代になっても真摯に、科学の基礎とは何かということを、あくまで中立的な態度(あくまで彼らから見てですが)で、さまざまな自然科学や数学の代表的文献を購読しながらディスカッションするという目的で集まっている人たちです。私は、その中の代表者的人物であるAさんと、ある大学での設計論研究会で知り合い、その研究会での吉川弘之氏とAさんのディスカッションが実に面白かったので、以来もう20年近く交流しているのです。何でも利益に結びつけようとする「ブルジョア計算屋」と違って、人間的には皆すばらしい知識と教養を持った人たちなので、私もこの研究会に首を突っ込むことにしたのです。

 にも関わらず、やはり数学基礎論や論理学という思考の武器によって自然科学(特に物理学)の基本問題を理解しようとしている人たちの頭脳においては、社会科学には主観的要素が分ちがたく含まれているので科学としての資格がない、と映るのでしょう。だからこそ、かなかな難しい問題だと感じました。

 昨日のマルクス価値論に関するディスカッションでも、「剰余価値を資本家が獲得するのは当然だ。それをもって生産手段を購入して労働者が雇用されて生産が成り立つのだから」と私に食ってかかったBさんは論外としても、Aさんの言う、社会科学での「理解」は論理的な理解ではなくて「共感」だ。と言ったことについては、いろいろ考えさせられます。

 昨日のディスカッションの中で、マルクスの理論を数学モデルで示せばより客観性が高まり、理解しやすくなるのでは、という意見がありましたが、私は、それは無理だと思う、と答えました。マルクスが資本論で展開している内容は経済学ですが、その分析の武器は、彼がヘーゲルから「否定的」に受け継いだ、弁証法の論理です。この弁証法的な論理学は、近代数学の基礎となっている形式論理学よりも高次の論理なので、そこには形式だけではなく、論理の対象となるものの内容も含まれると思います。

 つまりいまの形式論理学は人間の思考の論理の形式的側面だけを取り出してそこに「主観の余地のない」論理展開を求めるわけですが、弁証法的論理は、主観と客観という対立をその上位で統一的に把握しようとするものであって、そこには存在論とか認識論という哲学上重要な問題が最初から含まれているのだと思います。だからこそ、マルクスの実存を掛けた資本主義社会への批判と分析の中でその論理的な威力を発揮し得たのだと思います。

 マルクスは矛盾に充ちた眼前の資本主義社会を批判の対象としながら、同時にその批判の過程を通じて、その対象に含まれている自分自身の実存(あるいは存在意識)そのものをも変革して行ったのだと思います。

 これを形式論理にもとづく論理式や数学モデルとして置き換えられるはずもないと思います。まず、マルクスの言わんとしていることの全体像を「直感的に」理解し、その自分の直感の中に含まれている論理を徐々に明らかにして行くことで、自分自身が陥っていた既成概念(その社会で支配的である観念)の矛盾に気づいて行くという理解の仕方が必要であると思います。

 最初の直感的理解をAさんは「共感」と呼んだのかもしれません。しかし、そうだとすれば、形式論理の背後にある暗黙の了解(例えば、何が公理であり、公理から定理や定義が導きだされる論理の展開がなぜ「正しい」と感じるのか)は、「共感」ではないのか?と言いたくなります。

 なかなか奥の深い問題だと思いまし、こういう問題設定の中にこそ、歴史を切り開いて行くポジティブな論理が明らかにされるのだと思います。

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